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ガブリエル・夏 6 「クルクルヘアの下」

「まみもちゃんは僕のことが好きなんだね!」

興奮気味か、レイの声は大きくなっている。少し破れている。声変わりがすんだばかりで、こうなるのかも。

「そう思う?」
「そう思うよ!」
また大きい声。目も大きい。口も大きい。

「ガブくんが、いつもニヤニヤ嬉しそうにしてて、好きなことしてるといいなと思うよ。家族でご飯を食べる時は、ガブくんがおもしろいことを言って、お父さんとお母さんと弟が笑って、ガブくんも楽しくなって笑って、わっはっはーって美味しく食べて、みんな元気が出てきて、次の日も、みんながそれぞれ、またがんばろうという気持ちになるといいな、と思うよ。」

 まみもは言い終わってからじっとレイを見て、本当にいつもそうだったらいいなぁと思った。レイが周りの人に愛されて、安心して自分の好きなことに没頭する。レイは賢そうだから、きっとそのうち何かおもしろい研究をして、立派な論文を出すんだろう。
 レイは、嬉しそうな顔と真面目な顔を行ったり来たりするような、または、両方込みこみのような顔をしている。クルクルヘアの下からは、色んな表情が出てくる。

「まみもちゃんは?」
「なんですか?」
「寂しい時、ある?」
「………あります。」
まみもの声は小さい。もうレイの方を向いていない。
「それは、いつもです。だいたい毎日……。」

まみもは走り出した。朝のジョギングのペースじゃない。全力で、腿をあげて買い物袋を振り回して、坂道を駆け登る。まみもは45歳。主婦。全力といっても全然速くない。中学は陸上部で、三種競技Bというのをやっていた。100mハードル、走り幅跳びと砲丸投げのセットで、総合得点を競う。どれも抜きん出るものはなかったが、総合するとまあまあの点になった。高校に入るとその流れで七種競技をやることにしたが、他に気になることができてきて、というより、なんてことのない自己記録更新のためにせっせせっせと練習することに、はてながたくさん出てきて、身が入らなくなった。それで、潰れそうなバレー部や演劇部の数増し用部員になったり、放課後を待たず、午後の授業もサボって家に帰ったりした。そのように、走ろうと思えばそれなりのスピードで走れていたのは、”ages ago” で、今はほとんどスローモーション。でも本人だけは、ものすごい勢いで風をきって進んでいるつもりでいる。速く進めば、要らないものが全部、するりするりと身体から離れていって、どんどん自由になれると信じているかのよう。実際には、古くてボロい軽トラか、ご臨終間近の洗濯機のように、動きに見合わないうるさく大袈裟な息をしている。

 教会が見えた。もう山頂近くまで来ていたのだ。まみもは走るのをやめて、平らな広場を教会に向かって歩く。まだ、ズァーヒーズァーヒーと大きく息をしながら、入り口に近づいていく。何も考えていない。中に入りたいかどうかも知らない。入り口で、あっと、自分は汗を吹き出している、こんなでは入れないと気がついた。引き返す方向に向き直ったところ、今通り抜けてきた広場の向こう側にレイがいるのが見えた。そうだ、レイと来ているのだった。レイが、わざわざオランダから、一人列車を乗り継いで来てくれているのだった。

「ガブくんー、ぺってん行こうー! ぺってんは、どっち?」

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