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ガブリエル・夏 26 「到着」

窓の外で、続いていく山と、麓の方にたまに出てくる人々の暮らしを眺めていると、興奮してるけどとても穏やか、という2つが入り混じった気持ちが充満してくる。こんなきれいなところに、生まれてきていたのか、私は。私たちは。 太陽が当たると、山肌も草も建物も輝きを増す。雲の影が動いていく様もドラマチックで、目が離せない。全部見たい。今は、白目ヨーデルを練習している場合じゃない。
レイとまみもと、折り紙のカタツムリとハリボのカモたちと妖怪のプレッツェルは、窓際に固まって、同じ景色を見ていた。この、ずっと内側の方にあって、今まで気づかなかったけど、自分も地球の一部だという安心感のようなの。一緒に見ている仲間たちも同じように感じているだろうと思えて、幸福感が膨らむ。

あと少しで、今日の目的地の駅ですよとアナウンスが入る。はりきったレイが、だいぶ前に脱いでどこかへいってしまった靴と靴下を探したり、散らかした自分の荷物を鞄に再度詰めこもうと動き出す。カタツムリ とカモとプレッツェルとまみもは、動かない。

「到着しなくてもいいのになぁ。ずっとどこにも行かないで、このままこれに乗ってるだけでいいんだけどなぁ。」

まみもが、カモの声で、ハリボカモ団の気持ちを代弁する。ぼんやり、動くレイを目で追う。

「まみもちゃんも準備して。早く。早く。もうすぐ降りるよ。」

「だって。カタツムリ とカモと妖怪が、まだ準備しないもん。妖怪は食べたくないし、大きくて邪魔。運ぶのに手が足りない。だから準備できない。」

一瞬間、対決の目線が交わされる。2人とも笑っていない。でも怒ってもいないし、喧嘩したいわけでもない。レイが先に目を逸らし、折り紙とハリボに向かって言う。
「準備しますよね〜。」

窓際に配置された小型動物たちを、自分の胸のポケットと、もうパンパンのバックパックに押し込む。次にプレッツェルを手に取る。

「君はこうだよ。」

妖怪プレッツェルの、内側にはみ出ている部分を2つポキッと折って、1つを自分の口に、もう一つはまみもの口に入れた。潰れた円の形になった残りの部分には、レイが頭を突っ込んで、首輪のようにしてしまった。トニー・ブレアがメルケル首相のことを、problem solver と言っていたが、レイもだ。荷物を持つ手が足りないという問題は、もう解決されてしまった。まみもは、レイのシートの下に落ちている靴下の片方を拾って、ほろってレイに渡す。もうレイがこの靴下を履いて、靴を履いたら、降りる準備は万端で、レイと窓の外のアルプスを見ていた時間は終わって、レイと過ごす時間は、一つ終わりに近づく。まみもの眉毛は外側へ下降する角度に変わる。口に入っているプレッツェルを、手にとってかじる。しょっぱい。涙が落ちそうになる。引率の大人だったことを思い出す。涙を引っ込める。引っ込まない。目を瞑って大きく息をはいたら、涙が一粒ずつ目からはみ出したけど、息を出した分、どうにもならない気持ちの割合は減る。JRの車掌の鼻から出てくる声を真似して言う。

「お忘れ物ございませんよう、ご注意ください。」

痛い。胸が痛い。頭のてっぺんも痛い。


「頭が痛いの?大丈夫?」
レイがまみもの頭をなでる。

「ガブくん、下敷きって使ったことある? そうやって下敷きで頭のてっぺんを擦ると、髪の毛がブワーって持ち上がるよ。静電気で。」

「知ってるー。補習校では下敷きを使いなさいって言われて、持って行ってた。」

「ガブくんのふわふわの髪は、みんな立ち上がって、ダンスしてるみたいになる?やってみたい。」

「学校が始まったら、まみもちゃんが同じクラスだったらいいのになぁ。そうしたら毎日一緒に下敷きでゴシゴシもできるし、休み時間も一緒に遊べる。グループのタスクも楽しくできる。」

「同じクラス?学校で? ん〜〜、嫌かなあ。ガブくんが誰かと話すのを見るたびに悲しくなりそう。あの人たち合ってるなぁ、若い人たちきれいだなぁって。食堂のおばさんだったらどう?」

「僕だけ大盛り?!」

「毎日? いいよ。いいけど、それだとあっという間に首になっちゃうね。じゃあさ、ガブくん、そのうち大学を卒業して研究者になるかもしれないでしょう? 偉くなったら、研究室の掃除のおばさんに雇って。すごいスピードで掃除するから。ほんで、余った時間に、その時ガブくんが研究してるもののこと、いつも教えて。おじいさんちの虫とか、カタツムリのこと教えてくれたみたいに。研究が進まなくてイライラしてきたら、なんか面白い落書きとかして遊ぼうよ。あ、そうか。あんまり遅くなったら、私がヨボヨボになって動けなくなっちゃう。早めにしてね。」

「まみもちゃんて、おばあさんになる?」

「多分! 近づいてるし、なれると思う。身体がだんだん動かなくなって、あちこち病気が始まって、頭もぼんやりしてきて、何でも忘れて、考えるのもできなくなっていって、筋肉がもう1cmも動けませーんってなって、心臓がもう血を送る力がありませーんってなる瞬間まで、がんばりたい。もう無理、もう許してって思う時もあるけど。」

「まみもちゃん、生きてるのが大変なの?」

「うん。生きてるのは好きだけど、毎日やっとって感じ。みんなそうだと思ってたんだけど、なんかそうでもないのかも。わかんない。」


列車が停まった。周りに立っている数人の人がみんな、慣性の法則のシチュエーションを体現するように、同時にカクッと同じだけ傾いて、元に戻る。よく練習したダンサーみたいに。
一番前の人が、ボタンを押してドアを開ける。
ステップステップと降りて、3つ目のステップで、駅のホームに足が乗る。1人ずつ、どの人も、ホームに両足が乗ると、表情が変わる。空気が違う。風が違う。においも違う。山が大きい。優しい。優しさに、自分と世界との境界線が緩くなって、溶けだして切れ目ができる。そこから自分がはみ出していって、自由が入ってくる。


まみもはレイを抱え込みにして、ズンズン揺らす。

「♪  ズンじゃんズンじゃん ズンじゃん ズザザザ
  ズンじゃんズンじゃん ズンじゃん ズザザザ
  ズン 生きてることが大好きでザザザ
  ズン 意味もなくコーフンしてるザザザ
  ズン 一度に全てをのぞんでザザザ
  ズン マッハ50で駆け抜ける〜タタ〜……」

レイも笑って、一緒にズンズンする。

遠くまで来た。


月が空にはりついてら 
銀紙の星が揺れてら
誰もがポケットの中に
孤独を隠しもっている

あまりにも突然に  昨日は砕けていく
それならば今ここで  僕ら何かを始めよう 
僕ら何かを始めよう

生きてる事が大好きで
意味もなくコーフンしてる
一度に全てをのぞんで
マッハ50で駆け抜ける

くだらないの世の中だ  ションベンかけてやろう
打ちのめされる前に 僕ら打ちのめしてやろう
僕ら打ちのめしてやろう

未来は僕らの手の中

誰かのルールはいらない
誰かのモラルはいらない
学校もジュクもいらない
真実を握りしめたい

僕らは泣くために
生まれたわけじゃないよ
僕らは負けるために
生まれてきたわけじゃないよ 
生まれてきたわけじゃないよ

(未来は僕らの手の中/ブルーハーツ)



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