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ガブリエル・夏 14 「折り紙」

下り坂はだいぶなだらかになって、もう家は近い。スーパーに寄って行こうか。それが目的で出てきてたのだし。ドイツ中に展開する Rewe という大きなスーパーのチェーンがあるが、まみもの家の近くのは、Rewe City というので、小規模で、置いている食品の種類も数も少なめだ。大きな Rewe にある寿司のデリカテッセンや、アジア食材を集めた棚はない。醤油もここには売っていない。野菜の種類は、とても少ない。他のどのスーパーより、照明が暗いようにも思う。なので、行くたびにウキウキするということはない。が、それでもそれなりに、あるものを1つ1つ試して、知った気になるとき、ほんの少しだが達成感を味わえる。なにも知らない国で、なにも話せない赤ちゃんの段階から、自立に1つ近づいたような。隣りに、パン屋がくっついている。 店の裏手には、大きな釜のあるトルコ系のファーストフード店があり、いつも繁盛している。まだ行ってみていないが、地下にビリヤード場とバーもあるようだ。

レイは、屋内に入る際に必要なマスクを持ってきていないし、カタツムリを連れている。先にレイと一旦家まで帰って、買い物へは1人出直して来ることにしよう。

家では、研が久しぶりに折り紙をしていた。自室でスクリーンを見ている姿勢に飽きたそうだ。食事以外の時間のほとんどを、スピードキューブをカシャカシャ回しながら、Netflixで何かを見て過ごしているのだから、そういうこともあるだろう。レイがここで寝ると言ったソファーに、大判の折り紙を散らかして、自分は床で、普通サイズの折り紙を折っている。大小のクッションが研の周囲に配置してある。快適な作業スペースを目指しての工夫なのだろう。研がつくるのは、やっこさんとか12面体とかではなく、工程が100も200もあるような複雑なのだ。1枚の紙からどうやってこんな立体が?というのを作る。山口真の『端正な折り紙』など、難易度は高く、完成するとかっこいいのが作れるタイプの折り紙の本は幾つも出ていて、研も数年前夢中になっていた時期に、何冊か手に入れた。その頃、研の折ったカブトムシを見てレイが感心し、夏休みの間、研の本を貸していたことがある。返してきた時、何かができたとは言っていなかったので、多分1人で最後までやるのは難しかったか、興味がなくなってしまったのだろう。研も、泣きながら折っていたことがあった。図の説明どおりにできないことに腹を立てて、何時間も費やした紙をぐちゃぐちゃにしたり、破ったりしたこともあった。まみもはそばで見ていたので研を励ますことができたが、レイの家ではどうだったのだろう。

「ウォッドッウー バウアウガウ アグアウグア ズワーンダン!」

いきなり聞こえた意味不明の音声に、研は心底びっくりして、跳び上がった。

「レイくんね、今、石器時代の人をやってみてるの。なんて言ってるかは、わかんない。わかんなくてもいいんじゃないかと思うよ。多分そういうコミュニケーションでしょ? このぐらいの時期は。」
「旧石器時代と新石器時代では、進化の度合いもだいぶ違うよ。レイくんはどっちをやってるの?」
「お〜。ひょっとしたら、レイくんの中ではイメージあるのかもしれないけど、ママにはわからない。買い物行って来るから、レイくんと遊んでてね。レイくん、ウホホホダンドン ズルチュル ズンボン。」

まみもは出かけた。
ボーイズは、どうにか意思疎通しながら、まずツノダ・スーのために住処を作った。ベースは衣装ケースの引き出し部分で、蓋はない。見つからなかった。逃げられるのを覚悟で庭に置くか、家の中に置くか、話し合いが難航するので決められず、結局とりあえずは、庭へ通じるガラス戸のレール上に、衣装ケースの半分が内側、半分が外側になるように置いた。スーはきっと、どっちに置かれても、どうという顔もしなかっただろう。そのあとで折り紙に取りかかった。研は、前に作ったアノマロカリスをサイズを変えて作るのの続きを、レイは30cmx30cmの大判で、有澤悠河という人のデザインのカタツムリ を作ることにした。スーと同じで、ツノを出してる。出来上がりは、スーより少し大きくなるだろうと研が予想した。

まみもが買い物を終えて、家に帰ってきた。靴を脱いでいると、研が玄関へきた。
「レイくんね、カタツムリ作りながら寝ちゃったの。」

寝ている。
開いた本の下の端にふわふわした髪の毛がのっていて、研のいたテレビの側に顔を向けている。両手の間に、まだ全然カタツムリのようではない、折れ線のたくさん入っている黄色の折り紙がある。右手は押さえていた形のまま離れていて、左手はまだ紙をつまんでいる。

「眠かったんだね。」

ぐっすり眠る人を見て、なんとなくその人を愛おしく感じて、応援したいような気持ちになるのが、全人類共通なのかどうかは知らないが、研とまみもは、レイを見て、その気持ちを共有した。レイの下敷きになっている折り紙をそうっと回収し、2階の段ボールからタオルケットを探して持ってきて、かけた。


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