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Q 21. クリスマスは異教に起源を発しているのですか?クリスマスを祝うことは神に対する罪となるのですか?

A.
いいえ、異教に起源を発していませんし、神に対する罪とはなりません。エホバの証人は、キリスト教会を非難・攻撃するために、キリスト教会が行なっていることを取り上げます。その一つがクリスマスを祝っていることです。彼らの主張は、クリスマスは異教に起源を発しており、イエスは12月25日に生まれたのではないこと、それを祝っているキリスト教会は神に対して罪を犯し、神の不興を招いているというのです。クリスマスを祝うことは神に対する罪となるのでしょうか?聖書に反することでしょうか?

1.クリスマスの起源

①クリスマスという名称

 クリスマスとは何でしょうか?英語で書くと、Christmasです。この言葉は、Christ(キリスト)とmassという2つの言葉からなっています。英語の「mass」という言葉は、アングロサクソン人の言葉「maesse」から発展してきた言葉であるということは、権威ある辞書を見れば明らかです。この「maesse」という言葉は、さらにラテン語の「missa」
に由来しています。このラテン語の「missa」は、「送る」を意味する「mittere」の動詞形です。(「ものみの塔の教えの秘密を暴く」〈元エホバの証人デイビット・A・リード著〉より抜粋)
 これら原語的なことを見るなら、クリスマスの元来の意味は、「キリストを送る」あるいは「キリストが送られた」ということです。ですから、この「クリスマス」という言葉は、「キリスト(救い主)がこの地に送られた」という事実を伝えるものなのです。神の御子イエス・キリストがこの世界に送られたことを表現する「クリスマス」、その救い主の誕生を喜ぶことを「メリークリスマス」と表現することに神様は反対なさるのでしょうか?
人々を罪から救う救い主の誕生を、私たち人類は心から神の愛とあわれみと恵みに感謝すべきです。

②12月25日という日

 毎年12月25日はイエス・キリストがお生まれになったということでクリスマスが全世界で祝われています。本当にイエス・キリストはその日にお生まれになったのでしょうか?その答えは、だれにも分かりません。聖書を通してはっきりとわかっていることは、幼子イエスを殺そうと企んだユダヤの王ヘロデ大王が西暦前4年に亡くなっているので、少なくともその年より前であったことは確かです。
 またエホバの証人は12月25日が異教の祝祭日であり、クリスマスの起源はそこにあると主張します。それは事実でしょうか?確かに12月25日はローマ人たちの太陽を祭る祝祭日でした。彼らの書籍を見るなら、アメリカーナ百科事典を引用し、「太陽の再生」を祝う祭りであったり、ローマ人のサトゥルナリア祭(農耕の神サトゥルヌスの祭り、太陽を取り戻した力を祝うための祭り)に起源を発すると主張しているのです。このように見ると、12月25日が本来、ローマ人が祝っていた太陽神に関わることであったことは事実です。しかしそのことはクリスマスと異教との結び付きを証明するものとはなりません。なぜなら、当時のクリスチャンたちがキリストを捨て、また聖書が述べている神を捨てて、その代わりとしてこれらの異教の神を神としたのではないからです。むしろ彼らは、ローマ帝国からの迫害に遭い、これら異教の神々を神とするように強要されたことに対して、自分たちの神はイエス・キリストであり、この方こそ真の神、義の太陽(マラキ4章2節)であると主張して12月25日がキリスト誕生の祝いの日となったのです。つまり人々はイエス・キリストに対する信仰を持った結果、もはや太陽を拝まず、太陽を造られた神を喜ぶようになったのです。ですから、クリスマスはローマの太陽神の祭りとは関係なく、そこに起源を発しているのではなく、義の太陽であられるイエス・キリストをたたえ、そのお方がこの世界に来られたことを喜ぶ日となったのです。

2.クリスマスは個人の問題

 イエス・キリストが12月25日に生まれたのではないなら、クリスマスを祝わないほうが良いのでしょうか?クリスマスツリーやクリスマスの飾りつけなどはしてはいけないのでしょうか?特別な日として祝うことは間違っているのでしょうか?いいえ、決して間違ってはいません。聖書の中にそのようなことを禁止している箇所は一つもありません。むしろ、聖書は祝祭日に関して批判してはいけないことを述べています。コロサイ2章16節には、「こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなた方を批判することがあってはなりません。」と書かれています。またローマ14章1-6節の中には、個人(良心)の自由について書かれています。そこでは、最終的に各個人が神様にあって確信して判断すべきであることが書かれています。クリスマスを祝う人がいます。祝わない人もいます。どちらも神様と神様の栄光のためにするのです。どちらを選択するかは、一人ひとりが決めることができるのです。他の人に束縛されるようなことではありません。神様のために祝うこと、食べること、行なうことは神によって喜ばれることなのです。クリスマスは、キリストがお生まれになったことを心から喜び、敬意を表わし、感謝をささげることですので、神様に嫌われる行為ではないことは明らかです。クリスマスを祝っている人を批判する者は、結局、個人(良心)の自由を奪っており、聖書の教えに従っていないのです。またクリスマスを祝っている人を裁いて罪を犯しているのです。

3.クリスマスは神に喜ばれる

 この世で行なわれているクリスマス、人々が飲んだり、食べたりして楽しんでいる、またどこもかしこも「クリスマス」という文字を掲げて商品を売っている、そのような商業化されていることも理由としてエホバの証人はクリスマスを否定します。このような状況を神様が喜んでいるはずがないというのです。確かにそうかもしれません。そのようなクリスマスの状況は聖書が述べているクリスマスではありません。しかし、だからと言ってクリスマスを祝うことをしない、また神様はクリスマスを祝うことを喜ばないのでしょうか?いいえ、神様はクリスマスを喜びます。聖書を見るとクリスマス、すなわち、救い主イエス・キリストの誕生を喜び、神を称えた人々がいること、神に受け入れられたことが記されています。東方の博士たち(星の動きを研究していた学者たち)について、「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。それから家に入り、母マリアと共にいる幼子(イエス)を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(マタイの福音書2章10・11節)と書かれています。またイエスが誕生した時、御使いによって、その事を知らされた羊飼いたちは幼子イエスに会いに行き、実際に会って、神様を崇め、賛美をささげてクリスマスを喜んだのです。(ルカの福音書2章8‐12、15‐20節)さらに救い主が誕生した時、多くの御使いたち(天の軍勢)が救い主の誕生を喜び・祝って神を賛美しました。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカの福音書2章13・14節)
 これら救い主が誕生した時以降、今日に至るまで神を信じ、救い主を待ち望んできた人々は、本当のクリスマスを喜び・祝ってきたのです。そして真の神様に受け入れられてきたのです。神様は本当のクリスマスを喜ばれるのです。

【 結 論 】

 救い主イエス様の誕生を祝うクリスマスは、神に喜ばれることです。決して強制されるものではありませんが、真の神様を信じているなら、救い主であるイエス・キリストの誕生を心から喜び、神を崇めるべきです。また何よりもイエス・キリストの誕生は、私たち罪人を救うために来られた救い主の誕生なのです。その誕生を喜び、お祝いすることは当然のことです。12月25日という日にこだわる必要はありません。因みにキリスト教会は、世の人々に12月25日がクリスマスとして浸透しているので、その日に一番近い日曜日にクリスマス礼拝をささげているのです。その理由は、本当のクリスマスを知らせる(福音を伝える)という伝道の目的で行なうのです。
 エホバの証人の方々、どうぞ本当のクリスマスを祝って下さい。イエス・キリストは救い主としてお生まれになりました。そのお方はあなたが持っている罪を贖って下さる救い主なのです。誰でもイエス・キリストを救い主として信じるならば罪の裁きから救われるのです。
(ローマ人への手紙10章9〜13節)

 皆様の上に救い主の愛と恵みが豊かに注がれますようお祈りしています。


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