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Q 11. キリストを信じるだけで救われることはない。本当の信仰は立派な業が必要なのではないでしょうか?その業とは伝道することであり、全世界的に行っているのはエホバの証人だけではないですか?

A.
聖書が述べている救いの条件は、「イエス・キリストを信じる」だけであります。
救いのために一切の業、善い行いや業は必要ありません。
聖書の中に良い業によって救われたということは書かれていません。
むしろ、パウロは自殺しようとしていた看守に対して

「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」
(使徒の働き16章25-33節)

と語りました。
もし、救いに業が必要であるなら、救いは神の恵みではなく、その人の努力によって得たものとなり、イエス・キリストの贖いは必要ではなくなり、聖書の一番大切な教えも意味のないものとなってしまうのです。

聖書はどうすれば救われる(罪の赦しを得て神の前に義と認められること)と述べているでしょうか?

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1.聖書が述べている救いの条件

①イエス・キリストのもとに行くこと。

・「すべて疲れている人、重荷を負っている人は私(イエス)のもとに来なさい。私はあなたがたを休ませてあげます。
 私は心が柔和でへりくだっているから、あなた方も私のくびきを負って、私から学びなさい。そうすれば魂に安らぎを得ます。」
(マタイ11章28・29節)
・「あなた方は聖書の中に永遠の命があると思って聖書を調べています。その聖書は、私(イエス)について証ししているものです。
 それなのにあなた方は、命を得るために私(イエス)のもとに来ようとはしません。」
(ヨハネ5章39・40節)
・「イエスは言われた。『私はいのちのパンです。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』」
(ヨハネ6章35節)

・「イエスは彼に言われた。『私が道であり、真理であり、命なのです。私を通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』」   (ヨハネ14章6節)

②イエス・キリストを信じること。

・「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子(イエス)も上げられなければなりません。
 それは信じる者がみな、人の子(イエス)にあって永遠の命をもつためです。」
 神は実に、そのひとり子(イエス)をお与えになったほどに世を愛された。それは御子(イエス)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命をもつためである。
(ヨハネ3章14-16節)
・「御子(イエス)を信じる者は永遠の命を持っているが、御子(イエス)に聞き従わない者は命を見ることがなく神の怒りがその上にとどまる。」
(ヨハネ3章36節)
・「そして二人を外に連れ出して、『先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか』と言った。
 二人は言った。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』」
(使徒の働き16章30・31節)
・「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主(キュリオス=神)と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
・・・『主(キュリオス)御名を呼び求める者はみな救われる』のです。」
(ローマ10章9・10・13節)

2.救われるために業は必要ではない。業とは何ですか?

①聖書が語る「業」をどのようにとらえるか?

 エホバの証人は、「真の信仰は立派な業によって示される」と言います。
そして、その業とは伝道することなのです。
確かに素晴らしい行いや伝道することは間違いではないし、そのような歩みができるならそうしてもよいでしょう。
 問題となることは、善い行いや伝道を救いの条件とすることにあるのです。神様は救れるために善い行いや伝道することを求めていません。

 しかしエホバの証人の組織は、救われるために伝道を強要するのです。
(彼らの救いは楽園に行くことであるが?・・・)
信者たちの多くは「自ら進んで行っている」と主張しますが、実際は組織にマインドコントロールされているのです。

 彼らが主張する「業=伝道」は、ヤコブ書の「業の伴わない信仰は死んだも同然である」と言う聖句に基づいているのです。
多くのエホバの証人はそのようにして組織拡大のために人生のすべてを使われ、しかも人生を終えるころには、使い捨てのようにされるケースが多いのです。

 因みにヤコブ書は「業」が強調されていますが、神に対する信仰の結果、「業も大切ですよ」とクリスチャンたちを励ましている書物です。
決して救いの条件として業を求めているのではありません。
ヤコブは信仰の結果から見て、ヤコブ書を書き、迫害に遭っているクリスチャンたちを励ましているのです。

❌ エホバの証人「業=伝道」  条件にしている 
  
⭕ クリスチャン「信仰の結果→業」 恵みによる  


②キリストは「業」について何と言っていますか?

 エホバの証人の組織は、「今、神の業をおこなわなければならない」と言い、信者を伝道に駆り立てるのです。
では、「神の業」とは何ですか?本当に伝道することなのでしょうか?
イエス・キリストは何と述べていますか?

イエスはヨハネ6章28・29節で次のように述べています。

「すると、彼らはイエスに言った。『神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。』イエスは答えられた。『神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。』

 そうです。神の業とは伝道ではありません。イエスを信じることなのです。
イエスを自分の「罪の救い主・神」として信じることこそ、神の業なのです。そしてその信仰によって人は義と認められ、罪は赦されるのです。
聖書は立派な業によって救われるとは述べていません。
立派な業は心からイエスを信じる信仰によって生じるのです。

 イエス・キリストの贖いの御業は、すでに十字架の上で完成されており、イエス・キリストを信じることによって、すべての人は義と認められ、罪は赦されるのです。

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3.結 論
 エホバの証人は、救いは業によると言います。そのため、熱心に伝道し、自分たちのその行いや努力によって救いを得ようとします。
それは他のあらゆる宗教と同じことを行なっているにすぎません。慈善事業をしたり、修行をして悟りを開いたと言っているのと同じです。
しかしそのような人間の力で救い(罪の赦しや永遠の命、神の子とされること)は、決して得られません。
救いを得られる神の業(イエスを信じる信仰)だけが、本当に人を救うのです。

 エホバの証人の方々、イエス・キリストを自分の救い主とし、神として信じることにより、神の業を行なってください。
真理のみ言葉である聖書を通して目覚めますよう心よりお祈りしています。

「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
(エペソ2章8・9節)

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