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色んなものが許せなかったあの頃

「許せない」がたくさんあった日々。

かつての私には「許せない」ものがたくさんあった。

なんでそうなるの?
なんでそんな風に考えられるの?
なんでそんなことできるの?
なんでそう言う言い方できるの?
なんで?なんで?なんで?


↑こう書いてみると、ほんとやばい奴…😅

始終ず〜っとピリピリして
色んな人に腹が立って
色んな人を理解するのにすごく体力を使った。


それくらい、自分のことを許せてなかった。


人は、自分と人の脳を区別できないらしい。
自分が自分に対して許せなかったり腹が立っていることを、
そのまま人に投影して、
同じように人が上手くいっていなかったり凸凹したところが見えると、
条件反射的に「嫌だ」と感じるらしい。


私は、自分に優しい人を見て、
「そんなの許せない」と思っていた。

頭では、

自分と他人は違う。
自分は自分で、自分のことを厳しくしていたいだけなんだから、他の人にもそれを強制する必要は絶対ない。そんなことしてはいけない。

と頭でわかっていても、
どうしても頭がピリッと来る。

その怒りを抑えるのに必死だった。
それだけで疲れる。

なんでこんなに毎日しんどいんだろうと思って、人を許せない自分が大嫌いだった。


でも、それが少しずつ変わってきた気がする。
母や、ぴと過ごしていると、
なんでそんなに人に優しくできるんだろうと思う。

でも、話していくと、
自分に優しいのと、
「人を許せる」というのは背中合わせにいるんだなと思った。

今まで、「人を許せる」ことだけを習得したくて、いいとこ取りを必死にしようとしていたけど、どんなに頑張ってもどんなに頑張っても、脳みその原理は私の味方をしてくれなかった。

逆に、「あぁそう言う人間なんだ」と単純な原理に気づいただけで、物事が理解できた気がした。


ぴや母は、色んな物事が許せる。
私や父は、色んな物事が許せない。
でもそれだけ私や父がたどり着ける場所があるし、
同じだけぴや母には、私たちが見れない世界線がある。

誰に向いているか、は一旦抜きにして、そういうこと。いいか、悪いか、も抜きにして、一旦、そういうこと。



そこから先、どう、動いていくかなんだと思う。
私は、色んな物事が許せるぴや母のことを、素敵だと思う。自分にはやっぱりできないことだと思う。

ぴに出会って、できないことをできないと認めることは、素晴らしいことだとわかった。
ぴのことが好きになれるから。好きなままでいられるから。

自分が完璧な人間だったら、自分ばっかり好きになって、相手のことを好きになれない。相手に興味を持てない。それって結構辛いよなと、私は、自分の経験上、そう思った。あくまで、私の場合は。(人は色んな条件の中で生きて成り立っているので、あくまで私と言う諸々の条件の中で生きている人間において、の話。)


そう思ったら、違うのを違ったままにするのも、それもまたありなのではないかとおもった。


なんとか私に取り入れて、なんとかいい人間にならなければいけないと思っていた。
それもなんか、違うのかもしれない。


私は私で、自分に厳しいことで何かを得ているのかもしれない。
それに付随して起こる「他の人に攻撃をしてしまう」と言う副作用を、うまく自分の中だけに収めておけば、いいのかもしれない。
生み出さないようにするのは無理だから、生み出されてしまった後に外に出してしまわなければいいのかもしれない。


そんなことを考えた、今日この頃でした。

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