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スピリチュアルと葬式と星読みと。

先日マルシェに子供達と参加して2日目
あと15分で終わるという3時45分
父の訃報メール。
マルシェは子供達もとっても楽しんだ2日間
ほとんど終わった時にその訃報が
悲しいというより、ありがとう。
いつも私に迷惑をかけたくない、
負担をかけないように気を使うので、
私のやりたい事をやらせてくれたような気がして不思議だった。
今年の8月は父の最後の日が来るとわかっていて、どこかに旅行に行く気にもならず、予定を組むのもほとんど控えていた。気が乗らない。

スピリチュアルな話をすると眉を顰める人が多いなと思う。
私も分らないでもない。そんな人あやしい。
でも星読みを勉強する中で、占星術、宇宙のエネルギーが降り注ぐ事、天体の事、人の魂、人のエネルギー、調和などの話、何度も生まれ変わっている話しに繋がったりして、
そのような考え方も少しだけ
わかるようになってきた。
例えばホワイトセージで浄化
とかいうけど、
火を焚くこと🔥も浄化
子供も浄化、
笑顔さえも浄化という。
笑顔な人がいたら、笑顔になるし、連鎖する、
スピリチュアルっていうのかな、当たり前のこと。

怒涛のお葬式が終わり、線香もきっといろんな意味があるけれど、浄化もある、同じだなと思う。
星読みではこの体を選んで生まれてきた、生まれてきた意味、何を体験したくて生まれた?
という問いをホロスコープから見出すことができる。
生年月日で調べていく。


いつも私が思ってしまうことがある。生年月日は不思議で、生まれたら絶対に死ぬ日も決まってる。産まれたての赤ちゃんでさえも死ぬ日は決まってる。まるで死の刻印を押されたみたい。

光と闇

映画のマーベルをみてからは、
ドクター・ストレンジみたいに上から自分の死体を見てるんじゃないの?とか思うし
それは幽霊の世界と同じ
三途の河や閻魔大王の世界、
何が言いたいのかというと、魂と体の事で、
 
父の亡骸を見ては、
ああ、魂と体が分離してしまった。
と思うようになってしまった。
やっぱりこの体でもっとしたかったことが
あったよね。そしてこの体でありがとう。

今思えばいつもお坊さんの
お葬式の話なんかめっちゃ
スピリチュアルじゃないか。
そうか、仏様はインドだし、もとは繋がっているのかも。
そして
その時あった事柄は偶然で必然。なるようになるんだな。と思えるようになってきた。
だってなるようになるのだから。
 そしてどんな事があっても自分の体は大切にしたい。親の死はそれを、身をもって学ばせてくれる。孫達にも衝撃的に。

お葬式なんか体験すると、沢山不思議なことがあって、仏様の世界とスピリチュアルと言い方とか角度が違うだけで、確信は同じじゃないかな?

 そして、今ある体は大切で、愛しくて、心地よい服を着せてあげたいし、体に良いものを食べて大切にして、身近な大切な人を抱きしめて、温度を感じたい。

そして、体さえなんとかあれば、やれないことなんて本当にないし、存分に体を使って頑張ってみればいい。不可能なんてない。

小さな幸せを花束にして毎日暮らしたい。

明日死んでも後悔はないって毎日言えるように生きたい。

私にエネルギーがあるならばそんな気持ちに嘘がないからである。そこはキラキラしていて、びっくりされるほどの純粋な気持ちのはず。

喧嘩もしたし、うるさかったけど、いないかと思うと寂しい。一生懸命働いて育ててくれたし、子煩悩だった。出産の里帰りには、美味しいご飯を張り切っていつも作ってくれた。

お手製のミートソースとお好み焼き食べれないのか。寂しい。

文句ばっかり言ってたけど、素敵な人生だったと思うよ。葬儀も本当に立派な良い温かい式でした。親戚が疎遠になるのを嫌うから、皆んなでワイワイ集まってお酒も飲んだよ。お父さんも満足すると思うな。本当に今までありがとう!お疲れ様!


 




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