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題:現代詩文庫1001「北村透谷詩集」を読んで

現代詩文庫1001とは、シリーズ本の一番の初めである。なるほど近代詩人編の最初に北村透谷がくるのは、読んでみると当然であろう。近代詩、いや近代文学における魂の相克が、病根の巣が、現実を、現実的にかつ幻覚的に捕らえて、ロマンチシズムを含み明晰に綴られている。北村透谷の影響を受けた島崎藤村などの自然主義文学を凌駕し圧倒している。亀井俊介著「日本近代詩の成立」で記述した感想文によると、『北村透谷の「蓬莱曲」がホイットマンと同様に言葉自体に宿る生命を表しているとする。著者が「予言詩人」と呼ぶ「告げる人」であり「自己の歌」を歌うのである。原初的な人間の力を原初的な言葉で捉え直す詩人である』と書いている。本書の最後には研究「不眠の詩―透谷の詩の論理」と解説「透谷のなかの大岩壁」が透谷の詩に関して詳細に論じている。従って感想文としては、それほど緻密に読んだわけではないし、二、三の気づいてた点のみ記述したい。

なお、読んだ内容は、詩集「楚囚之詩」全編と詩集「蓬莱曲」全編、それに若干の「詩論」のみである。未完詩集からとして、約20篇の詩が掲載されているが、それほど惹かれなかったため殆ど読んでいない。また「詩論」も一部を斜め読みしただけである。少し青臭いところがあるためである。漢文体なのか、古語体なのか読みにくいことも起因しているに違いない。北村透谷に、獄舎に繋がれた経験はないはずであるが、「楚囚之詩」はそれを擬して書いたものとも思われる。ただ、自由民権運動に参加して、その運動の粗雑さに絶望して離れたとのこと。「楚囚之詩」は緊縛された内面の虚無の囲い内から自由とロマンシチズムへの渇望を描いたものなのだろう。

「蓬莱曲」は世に憂いて蓬莱山に訪れた青年、柳田元雄が大魔王と対決するのである。鬼どもや仙人も現れ出て、昔の恋人仙姫と同じ女と思われる露姫も現れ出る。そして、柳田元雄は生きていても甲斐は無いと思い、崖から飛び降りるのである。ただ、「蓬莱曲」別編では、柳田元雄は露姫と会い、その手を握っている。なお、北村透谷は25歳で縊死している。なお、北村透谷には「蓬莱曲」と並び有名な論文であるが「内部生命論」がある。人間の根本の生命に重きを置く理論である。この詩人哲学者の優れているところは、この内部生命を語ることにあるはずである。この人間内部の生命を宇宙の精神によって感応して再造する、再造した眼によって見る時、その極地が見えると彼は言うのである。さて、気付いた点を寸評する。

1) 現実と幻影
北村透谷は正直な人であって、現実が幻影化するのではなくて、現実を意志的に幻影と混ぜて、もしくは模して描写している。この描写は手法であり、その極端な例が煌く光芒からなる「宇宙」である。彼に現実は幻影としてあるのではない、また、現実は知覚上において錯乱させるのではない、現実は厳然と存在しているのである。

2) 宇宙と平面
この宇宙の光芒に身を投げ出し心の内に取り込み一体化しようとする、それが彼にとって生命の極地である。また、この極地から厳然と存在する現実へ批判を行い、また絶望する、虚無を生み出すこの源との戦いでもある。この戦いにおいて彼は落下・墜落して、着地した平面にて安らぐのである。

3) 他界
また、この戦いは他界への到達へと導く、即ち、平面に横たわるのは他界においてである。平面とは他界そのものでもある。この他界なる彼岸に到達すること、それが巧妙に極地に到達したと思わせる、躍動しようとする内部生命の行き着く先でもある。この他界と内部生命の関連は解き明かす必要がある。

4) ロマシチズム
恋する女は彼岸への到達を遅らせる邪魔者ではなくて、その女への愛こそが極地への到達を遅らせる。むしろ、逆に愛の宙へと向かわせる可能性も秘めている。ただ、言い換えると、残念なことに俗化に過ぎない。この俗化なるロマンシチズムは望ましい、好ましくもある。でも、高貴に極めんとする者には束縛にもなるのである。

5) 音楽との親和性
琵琶や笛など音楽との親和性がある。雅楽的な律音が聞こえてくる。

以上、感想を記したが、北村透谷が近代詩の祖であるとは確かである。ただ、少し粗い、もう少し前に読んでいたなら、もっと感激したのかもしれない。北村透谷を洗練化し、より深く普遍化した詩を萩原朔太郎が書いている。別な表現形式へとして、中原中也が書いている。その前後は良くは分からないが、西脇順三郎などによる「荒地」グループ、それに現代詩が繋がっているのだろう、詩とは多様な形式と表現によって、多様な人物によって書かれている。私の知っている詩はその一部であり、そして私の好きな詩は、そのまたごく一部であるに過ぎない。でも、好きな詩は何度読んでも良いものである。

以上

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。