見出し画像

題:上田敏訳詩集「海潮音」を読んで

日本における近代史の経緯は、亀井俊介著「日本近代詩の成立」の感想文に記述しているが、その内の「海潮音」を読んでみる。なお、「海潮音」は新体詩に飽き足らず、日本の詩を変革せんとして、上田敏が海外の優れた詩を訳したものである。ヴェルレーヌ、ボードレール、マラルメ、プラウニングなどのフランス近代詩を紹介している。なお、「海潮音」と言えば、高校生当時の教科書に載っていた、カアル・ブッセ作「山のあなた」を思い出すだけである。

「山のあなた」
          カアル・ブッセ作
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫(ああ)われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなになお遠く
「幸」住むと人のいふ。

もう少し教科書には、詩が紹介されていたと思うが、詩とはこんなものかとしか記憶にない。詩が理解できるようになるには、本屋にて何気なく手に取った、白石かずこの「聖なる淫者の季節」まで待たなければならない。何が書いてあるか良く分からないけれども、妙に気になって購入して読んでみた。けれども、やはり良く分からない。でも、何か高揚とした感情が押し寄せてきたことは確かである。

この「海潮音」は意訳で古語を用いているけれども、とても格調高く、とくに韻律が良い。無論、上田敏の意訳である。上田敏の創作とも言えるのである。この詩集を論じることなどしない、難しいためである。ただ、言語と主体に対する確かさ、信頼度が現代から見れば確固としていて、少し古臭いような気がしないでもない。それは訳し出された詩の選択の問題にも帰する、当然、当時の時代的な背景の影響もあるのだろう。現代では、言語、主体、この世界に対する懐疑、不確定性が増幅しているはずである。ここでは、ただ単に記述されている詩を何篇か紹介したい。良い詩がたくさんあって選び出すのが難しいが、二編だけ紹介したい。なお、一遍にはどの本であったか別訳もあったので、これも加えたい。詩はまず読んで楽しめることが大切である。個々人の感性に応じて好きな詩は異なってくると思われるが、詩は読める、そして何かを感じ取れることが、作者との最初の出会いになるはずである。

    心も空に
           ダンテ・アリギリエ

心も空に奪われて物のあわれをしる人よ、
今わが述ぶる言の葉の君の傍に近づけば
心に思ひ給ふことの応え給ひね、漏れなくと、
綾に畏き大御神「愛」の御名もて告げまつる。

さても星影きららかに、更け行く夜も三つ一つ
ほとほと過ぎし折しもあれ、忽ち四方は照渡り、
「愛」の御姿うつそ身に現れいでし不思議さよ。
おしはかるだに、その性の恐しときく荒神も

御景色いとど麗はしく在すが如くおもほえて、
御手にはわれが心の臓、御腕には貴やかに
あえかの君の寝姿を、衣うちかけて、かき抱き、

やをら動かし、まどろみの醒めたるほどに心の臓、
ささげ進めば、かの君も恐る恐るに聞しけり。
「愛」はすなわち馳せ走りつ、駆せ走りながら打泣きぬ。


別訳の一部

愛を君に告げんとして
夜を行くと
「愛」の御姿現れて

わが心の臓君が寝姿を
かき抱いてやおら動かし
心の臓ささげむに

君も恐れて聞いている
愛は絶え去り
駆け去りながら泣いている

別訳の一部の文はどの本だったのか見ていないが、この詩が単純な人なる君への恋愛詩でありながら、愛の神を出現させることによって、愛を告げんとする時の、崇高にかつ肉感的なエロシチズムを浮き彫りにしている、というのが私の解釈である。怖ろしさ故にか逃げ去るのではない、愛の神の荒々しさに私の心臓は捕まえられていて、君は衣を乱して愛の神の腕に抱かれ恍惚としている。この愛の神には立ち向かえないのではない、もはや逃げ去るのでもない。でも、愛は去ったのであろうか。いや確かに君に愛を告げたのである。でも不成立であったのであろうか。こうした観点からすると、上田敏訳が愛を告げんとする時の心も空にして高まる鼓動と、君の肉体とを浮き彫りにしている。
ネットで調べれば、もっと的確な解釈が掲載されているかもしれない。でもやっぱり現代語訳のほうが分かりやすい。

      伴奏
            アルベエル・サマン
 
白金の筐栁、菩提樹や、榛の樹や・・
 水の面に月の落ち葉よ・・

夕の風に櫛けづる丈長髪の匂ふごと、
夏の夜の薫なつかし、かげ黒き湖の上、
水薫る淡海ひらけ鏡なす波のかがやき。

楫の音もうつらうつらに
夢をゆくわが船のあし。

船のあり、空もゆくか、
かたちなき水にうかびて

ならべたるふたつの櫂は
「徒然」の櫂「無言」がい。

水の面の月影なして
波の上の楫の音なして
わが胸に吐息ちらばう。

湖の情景が現実感と幻想感が混じって印象的である。「かたちなき水にうかびて」が浮遊感を漂わせている。最後の三行が良い、「わが胸に吐息ちらばう」のはなぜなのだろう、普遍的な吐息を思わせる真摯さが、色と音との寂膜さの内に窺える。でも、この詩も先のダンテの「心も空に」にも言葉が古いのである。確か「マラルメ詩集」や「ランボー詩集」は新訳が出版されていて、的確さを増し表現されている。でも、古い詩人の詩集はそれほど関心を持たれず、ましてやあまたの詩人の集めた詩集など見向きもされないのが現状であるのかもしれない。

以上

この記事が参加している募集

読書感想文

詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。