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題:ジェーン・オースティン作 富田彬訳「説きふせられて」を読んで

ラファイエット夫人作「クレーヴの奥方」がとても良かったので、ジェーン・オースティン作「説きふせられて」も読むことにした。結構、題名はよく聞く本である。でも、二匹目の泥鰌とはならなかったのである。あらすじは表紙から引用したい。『愛しながらも周囲に説得されて婚約者と別れたアン。八年後、思いがけない出会いが彼女を待ち受けていた・・興趣ゆたかな南アングランドの自然を舞台に、人生の移ろいと繊細な心のゆらぎがしみじみと描かれる。オースティン最後の作品』と書いてある。全体400頁弱の内、40頁そこそこで、アンはすぐさまラッセル夫人に説得されウェンワース大佐と別れるのである。大佐が金を持っていなかったからである。そして、父エリオット卿の財政難で家を貸すことにし、父や姉妹は別の土地か、なにやら分からぬが一緒か別に暮らすことになる。そして、借り手の人間たちにその仲間も加わって、誰が誰だか良く分からなくなる。どうしても何もが分からなくなる。つまり、40頁以降は、あまり読んでいないのである。登場人物も多すぎる。

「クレーヴの奥方」も、最初は多くの人間が登場してきてその関係がよく分からなかった。この小説の場合は、心理が行動に交錯していて丁寧に読んでいないと置いてきぼりを喰うのである。でも、後半はクレーヴの奥方とヌムール公に話が集中してよく理解することができた。こうして考えると、いったい登場人物は何人まで許されるのだろうか。今まさに読んでいる最中のヴァージニア・フルフ著「ダロウェイ夫人」も、最初は登場人物が良く分からない。でも、表紙の裏に主要な登場人物が記載されていた。これが結構役に立つ。ウルフの場合、登場人物の相互の関係さえも良く分からないけれど、読んでいくと作者が都合よく気ままに拵えていて、この時代の風景の中に埋め込んだ人間たちであることが分かるのである。まあ、こうした「ダロウェイ夫人」の話は次回に行うとして、無理に登場人物を増やすことは良くない。作品内容が集中しなくなる、心理もよく分からなくなる。無論、叙事詩などの古い書物ではたくさんの登場人物がでてくる。ギリシア神話などはお手上げである。腰を入れて読まなければ、登場人物を紙にでも記述しておかなければ、読んでも結局誰が何を行ったのかよく分からないだろう。

きっと主要な登場人物一人か二人に脇役をそろえることが良い。たくさんの登場人物に、平等な重みを与えるととても分かりにくい。というより、もはや小説ではなくなる、ある種の別な形式になる。こんなことを話していても詰まらないから、「説きふせられて」に話を戻すと、ウェンワース大佐は再開しても若い娘と付き合うなどして、アンとの間は知り合い程度である。でも、娘たちと結婚はしない。しかしながら恋愛小説にはよくある話で、実はアンに思いを寄せていて、最後に二人はめでたく添い遂げることができる。

「解説」を読むと、オースティンは思慮分別ある常識的で健康な生活と文学観を主張しているリアリズムの作家と書いてある。それに『つまり作者は実生活や作品の中で自分自身の神や人間の生き方(モラル)を探求しているのではなく、社会からモラルを与えられて、それを作品というお皿の中に綺麗に盛って差し出しているようなところがあるのだ』と評している。評価が低いのはもっともなことである。実はこの「解説」にはヴァージニア・フルフの評価が記載されているのである。ここでこの文を引用して感想文として追加したい。少し優しく婉曲ながら非難している、もっともな評価のためである。ヴァージニア・フルフのオースティン評は次の通りである。

『「説きふせられて」には何か特別の美しさと特別の退屈さがある。退屈さというのは、よく二つの時期の間の過渡期を示すあの退屈さである。作者はすこし面倒くさがっている。彼女は題材のうえに、あまり親しみすぎて、今さら注意して眺める気はなくなっている・・・彼女は題材のうえに、全心を集中していない。ところが、そういうことは依然の彼女の方が得意だったという感じを与える一方、他方ではまた、彼女は今まで企てたことのない何かを為そうと試みているのだという感じを与えるのである・・・彼女は、自分で想像していたよりも世界がもっと大きくもっと神秘的でもっとロマンチックなものだと、気づき始めているのである』さらに『彼女の視野がひろがるにつれてあの安全弁はゆり動かされ、今までのようにあるがままの人たちを描くばかりでなく、人生そのものを描くようになったのではないだろうか』とフルフは好意的な表現に徹している。

好意的と言うのは、逆に言えばとても厳しい評価である。厳しい評価は普通言わずに放っおくのに、ウルフがオースティンについて述べるのは、少女時代に読んだなどの思い出あるためなのだろうか。良く分からない。ただ、ウルフが、安全弁がゆり動かされる人生を描くようになったのは確かである。つまり、ウルフはオースティンを借りて自らを語っているのである。

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。