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題:シャルル・ペギー著 大野一道訳「社会主義への洞察 もう一つのドレフュス事件」を読んで

本書の内容を簡単に説明すると、フランス陸軍の砲兵将校なるドェフェス大尉がドイツへのスパイ行為を行っているとして疑われた。ドイツ大使館から見つけ出されたメモの筆跡が似ていたとのこと。1894年のことである。彼はユダヤ人でもあるし、軍内に友人もいないことが状況を不利にする。彼は無罪を主張するが、フランス領ギニアの沖合にあるサリュ列島、通常悪魔島に島流しにされる。厚い日差しの降り注ぐ、夜も明かりを点け続け、足かせをはめられる。フランス資本主義の発展はユダヤ系金融資本の強大化の過程でもあり、その影響もあって彼は有罪とされた面もあるようだ。
 
ドレフュスを支援する人たちもいて、絶望に追いやられていた。ただ、フランス将校エステラジーがドイツ側と接触していたことが、ドイツ大使館を監視していた参謀本部員によって見出される。でも、軍は傷つくことを恐れて認めない。ドレフュスの妻リュシーなどの努力により、ドレフュスが濡れ衣を着せられていたと思う人もでてくる。そしてゾラが国民的大事件へと劇的に拡大したのである。ドレフュスの罪状を質問して返って反感をかった上院議員を擁護する一文「われ弾劾す」を新聞に掲載した。こうして、ドレフュス擁護派と反ドレフュス派との激しい論争が始まる。結局政府は手を打たざるを得なくなり、上告しないかわりとしてドレフュスを特赦にする。
 
こうして両派の対立は治まったが、ドレフュス事件の謎は解明されない。そして正義や人権等における社会主義の位置づけが課題として残されたのである。これが、後述するが、もう一つのドレフュス事件である。フランスではフランス革命当時から、ジャン=ジャック・ルソーなど多数の論客がいて、主義主張する派も多数あったはずである。フランス革命は貧困した農民の参加が重要な役割を担っていた。なお、フランス革命は1789年に起こっている。この辺の経緯は少しまとめた記憶があり、調べれば多少の書き物が出てくるかもしれない。なお、マルクスとエンゲルスは1848年に「共産党宣言」を書いている。「資本論」は1867年に第一部が出版されている。第三部は1894年である。
 
なお、主義主張の盛んなパリで、マルクスは活動していたが、結局はロンドンでくらすことになる。なお、共産主義の思想は広まり、ロシア革命によるソビエト政権の樹立、毛沢東による中華人民共和国の設立が行われている。ただ、これらの国での思想はマルクスの思想と掛け離れ人民は国家を担う主役ではなく、国家に意識的に隷属を強いられている。日本でも当時盛んだった共産主義の信奉はだいぶ薄まったが、今日まで続いている。この辺りの世界の思想や組織の変遷は複雑であるが故に、簡単に記述するには無理がある。ただ、国家権力が人民を把握する手法ととしての力の変遷の歴史であり、資本の動きと合わせて調査研究するのもなかなか面白いものであろう。
 
さて、本書「社会主義への洞察 もう一つのドレフュス事件」の主目的は「ドレフュス事件と社会主義政党の危機」の章に書かれている。社会主義者と自称している人(三人の名前を上げている)が、その他の組織も、ブルジョアの最大の犯罪に加担してしまったことになる。即ち、ドレフュスははブルジョアに属する市民であり、フランスの社会主義が彼の人権と市民権を擁護するのを望まなかったと言って著者は非難するのである。この辺りの非難は言い方を逆説的に書いていて分かりにくい。ここの文章を引用すると『自らを社会主義者であると信じているこれらの指導者は、人権を踏みにじっているブルジョアたちのほうを、結果的に擁護してしまった。ブルジョアの市民権を擁護しなかったため、彼らは市民権を踏みにじっているブルジョアのほうを結果的に擁護してしまった。いわゆるブルジョア的理性と正義の擁護にかかわろうとしなかったため、彼らはブルジョアジーの狂気、偽善、犯罪に加担してしまった』著者のフランスの社会主義者全体に対する非難であると思われるが、次の章「荒廃と回復」に書かれている「民衆全体の腐敗」にみられるように、主観詩情的な文章を見ると、どこまで著者の主張を信用してよいのか分からない。即ち、一冊おおまかに読んだだけでは、著者はいわゆる真の社会主義を目指してしたとしか言いようがないのである。
 
「ドゥルーズ 千の文学」では、大山載吉が「ペギー 反復と出来事」と題して記述している。反復とはn乗化されることと、純粋記憶としての現在、過去、未来、また出来事の受肉化が記述内容の主題である。ペギーの思想が捕らえられないまま、これらの内容を説明することは避けたい。モーリス・メルロ-=ポンティの「意味と無意味」がマルクス主義者の批判を記述しており、大いに参考になる。ただ、現在は先に書いたように問題は、資本主義と社会主義における個人の自由と国家の統制、資本の投下と逃避にあると思われる。それ以上に、社会主義における人間や組織の持つ権力の巨大化にある。マキャヴェアベリの「君主論」は権力の保持方法について書いてあるが、逆に読めば崩壊する権力の弱点を推測することができる。機会があれば読んでみたい。
 
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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。