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題:ラファイエット夫人作 生島遼一訳「クレーヴの奥方」を読んで

本の題名を知っていたためか、何気なしに買ってしまった。読んでみるととても優れた作品である。どうなるのかと読み進めざるを得なくなる、文章を細かく追ってクレーヴ夫人の姿を追い求めずにはいられない。フランスの代表的心理小説のさきがけとなったと言われるのも最もである。表紙のあらすじを紹介したい。『夫の愛情に感謝と尊敬をいだきつつも、美貌の貴公子への道ならぬ思慕に思い悩むクレーヴ夫人。ついに彼女は断ち切れぬ恋の苦悩を夫に打ち明け心の支えを求めるが・・。作者(1634-93)はルイ14世時代の宮廷婦人。緻密な心理分析と透徹した人間観察が生み出したこの名編は、フランス心理小説の古く輝かしい伝統のさきがけとなった』名編と言われるのはきっと真実である。

本作品は宮廷での社交生活が綴られていて、最初は幾分複雑で名前などを覚えるのが大変であるが、また各人の心理や行動が交錯して良く分からないこともあるが、次第にクレーヴ夫人と彼女の思慕するヌムール公との話に集中してくる。クレーヴ夫人はとても美しい人で男性なら誰もが恋心を抱かざるを得なくなる、でも彼女は恋などする心は持ち合わせていずに、クレーヴ殿と結婚する。クレーヴ夫人は母に淑女としての心構えを厳しくしつけられていたのである。この躾は幸福を呼び込んだのか。いずれにせよ結婚した後に心をときめかす、真底愛する人を見いだしたのである。その人こそがヌムール公である。宮廷での数多くある恋愛事例が語れ、特に手紙の件などは誰が誰に送ろうとして紛失したのか、そして誰から誰への手紙と誤解されるのか、紛失した事実の揉み消しは上手くいって事なきを得たのかなど、宮廷での恋愛事情の複雑性や人のうわさなどが話しとして加わって作品を盛り立てている。でも、クレーヴ夫人は自らの心を隠している。

もはや、ヌムール公はクレーヴ夫人にのみ恋煩っている。彼女の別荘に忍び込んでまでその美しい姿形を追い求めざるを得ない。彼女との瞬時の出会いの幸福は、友人に話さざるを得なくなる。この話も誰が誰へと噂を広げて、どう結末されるのか読んでいると冷や冷やものである。本当に冷や冷やで済んだのだろうか。ヌムール公の抑制的な恋心も、クレーヴ夫人の恋心も誰にもばれることはなかったのだろうか。結局、クレーヴ夫人は夫にヌムール公への恋心を打ち明けたのである。他者への恋心を夫に打ち明けるなどという馬鹿げた話はなぜあり得たのか。打ち明けられた夫は、紳士的な誠実さでクレーヴ夫人の貞節を信じることができたのか。むしろ、妻の本心を知って悩み苦しむのではないのだろうか。まさしくその通りにクレーヴ殿は苦しむのである。

クレーヴ夫人のヌムール公への恋心は、公が御前試合たる競技で倒れた時に顔色を変えて駆け寄った時も、手紙の主の噂話が弾んで思わず身を翻した時も、ばれることがなかったならば何時ばれるのか。妻の他者への恋を知ったクレーヴ殿は苦しんで死ぬのである。夫の死にクレーヴ夫人の心はどう変わっていくのだろうか。もはやクレーヴ夫人は貞節を汚すことなくヌムール公へ身を委ねることができる。自らの身を自由にできるのである。礼節をわきまえながらも言い寄ってくるヌムール公にどう対応するのか。ヌムール公は執拗にクレーヴ夫人の屋敷の近くに家を借りて、夫人の姿を目に焼きつけながら切ない恋の成就を望んでいる。この激しい恋心にクレーヴ夫人が答えないわけはいかない。クレーヴ夫人もヌムール公が椅子に腰掛けているのを見出さないわけにはいかない。この作品の結末は書かない方が良いと思われる。

この作品を読んで思い浮かべるのは、フローベールの「ボバリー婦人」やコデルロス・ド・ラクロの「危険な関係」である。それよりも幾世紀も以前にこの「クレーヴの奥方」は書かれいていて、きっといい意味でも悪い意味でもその後の恋愛や不倫小説に影響を与えているはずである。これらの比較検討は論評しない。興が薄れるためである。でも本作品を読んで恋愛における切ない心の真実性は女性作家の描写の方が優れていると思われる。というより、細やかな心理の襞が出来事に伴って推移されることに、ラファイエット夫人の特徴なのか良く分からないが、緻密さがあることは確かである。でも、「ボバリー婦人」には心理展開としての緻密さと大胆さが、「危険な関係」には大胆な策略と行動とが表現されている。そういう意味で行けば、日本の恋愛文学にこれらの作品に匹敵する質の高い作品があるのか気に掛かる。けれど、どうも思いつかない。それぞれの国の事情があるから特に落胆することはないだろう。

以上

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。