変身物語

題:オウィディウス著 中村善也訳 「変身物語」を読んで

ずっと以前から読みたかった本である。表紙に記述している紹介文を紹介したい。『古代ローマの天成の詩人オウィディウス(前43-後18)が、ストーリーテーラーとしての手腕を存分に発揮したこの作品には、「ナルキッソスとエコー」など変身を主要モチーフとする物語が大小あわせて250もふくまれている。さながら、それはギリシア・ローマの神話と伝説の一大集成である。ラテン語原点の語り口をみごとに移しえた散文訳』と書いている。なお、オウィディウスは騎士階級に生まれローマに行きながら、あまりにも詩才にすぐれていたため官界での出世はかなわず、結局異境の地に流罪にされる。彼の代表作の一つ「愛のさまざま」なるエロチックな詩作品が原因であるらしい。「有名女性たちの手紙」、「色道教本」、「恋愛治癒術」と加えて、作者にいわゆる「恋愛研究」の時期があったのである。この時期を過ぎて「変身物語」や「祭事歴」に見られる神話伝説や祭事に関する物語を創作する。ただ、最後は追放されて嘆きく「悲しみの歌」や「黒海からの手紙」を作ることになる。こうしたオウィディウスの生涯は波乱の満ちたものであるが詳細は省きたい。なお詩作品には韻律を踏まえた叙事詩と自由な詩型とがある、またそれらの過渡的な形式もあるとのこと。これたの形式のおおまかな説明は本書の解説で述べられているため、参照のこと。

本書を読むと当然ギリシア神話を思い出す。でもギリシア・ローマ神話とは厄介で、有名な話は覚えているが、殆ど忘れているのではないだろうか。まずもって名前が覚えきれない。神話としての話が微かに脳の隅にこびり付いているだけである。確かトマス・ブルフィンチの「ギリシア・ローマ神話」や呉茂一の「ギリシア神話」に野上弥生子の「ギリシア・ローマ神話」は持っていたはずであるが読み切れていない。野上弥生子の作品には巻頭に夏目漱石の紹介文が載っていたはずである。串田孫一の「ギリシア神話」は簡明で有名な話だけが載っていてすべて読んでいる。記憶にあるギリシア神話は、この串田孫一の本が痕跡として残してくれたものかもしれない。元々各国の神話とは似通った箇所があり、特に世界の始まりとしての神話と古事記の日本の始まりやペルセウスとヤマトタケルとの試練の類似性などには関心が深い。これらを調べるのも面白いが、たぶん結構な時間が必要とされるだろう。

この「変身物語」は原文もしくは訳が良いのか文章に味があって読むに耐え得る、それ以上に味わい深いものが在る。ただ、有名なお話は分かるが、それ以外の物語は連続的に記述されていて区切りが不明瞭で良く分からなくなる。即ち、古事記はイザナギとイザナミの系譜の時間的な流れが明確であるが、ギリシア神話は時間的な流れが混濁していて、誰が誰の子だとか混乱してくる。無論、系譜図などもネットを調べれば載っているはずであるが、調べないと分からないのはあまりにも登場人物が多いためであろう。古代ギリシア・ローマは周辺国や人種も含めて複雑であることが、神話本を厚くさせている一因なのかもしれない。それにゼウスが多数の女に多数の子供を生ませ過ぎる。無論、古事記でも多数の子が生まれてくるが、物語として意味ある行動を行っている人物は限られていて、当然お話は少なくてすんでいる。北欧神話を読み調べようと思ったら函だけがあって中身がなく空っぽである。インド神話はごく一部しか読んだことがない。こうした各国の神話を調べるのも面白いが、困難性が伴うであろう。

話が幾分横に逸れたが本「変身物語」を読んで一番良かったのは、ペンテウスとディオニュソスの神話に登場する信女たちの狂気を暴いていたことである。ギリシアの悲劇作家エウリピデスの「バッカスの信女」をはるかにしのぐ描写がされていた。ペンテウスが母の率いる信女たちに腕を引きちぎられるなど残酷な仕打ちを受けた後、母の勝利の宣言が印象的である。こうした経緯はカドモス王の子孫たちが生み出すしているが、カドモス王そのものが因果を導いているとも言える。このテーバイの王なるカドモス王そのものの話も加わっていて話を豊かにして、結構長めに書かれている。更に、アポロンに変わって日輪の運行を行うパエロンの悲劇、更にペルテウスによるゴルゴーンの三姉妹との、特に石化する目を持つメドゥーサの首の獲得の戦いやその後の話は印象的である。更に自らの姿を見て恋い焦がれるナルキッソスは有名である。オルペウスが冥界に降りて妻のエウリュディケを受け取り、後ろを振り返ってはならないというのに振り返ってしまいまた死ぬことになる話は、イザナミの腐乱した死体を見たイザナギの話と似ている。このようにこの「変身物語」には数々の変身の話が、詩情豊かに書かれている。

本書「変身物語」は、物語を作る上で大いに参考になるかもしれない。芥川龍之介が「今昔物語」から創作上のアイデアを仕入れたように、物語を紡ぐには現実の出来事以外に過去の物語を参考にするという手法もある。けれど、過去の物語から物語を紡いでもこの現実こそが反映されている。なぜなら文章とはエクリチュール論に基づいていると確信していて、エクリチュール論はロラン・バルトやデリダなどが行っていたはずであるが、作家の書く文章とは自らの感性も含まれているけれど、伝統文化や現実からも大いに影響を受けているとの理論である。そうした文章は概念でしか紐解けないはずである。

なお、本書「変身物語」の細かな内容の紹介は省略したい。ただ、変身には悲劇を伴っていることが多い。カフカの「変身」のようにシュールに絶望的ではないが、悲喜こもごもの人生の悲劇が詰まっている。でも、どこか幻想的で読むと楽しませてくれる。

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。