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題:幸田露伴著 篠田一士編「露伴小説 第二冊」を読んで 

本冊には長短編七つの作品が納められている。「風流仏」、「對髑髏」、「一口剣」、「五重塔」、「艶魔傳」、「ひげ男」、「二日物語」である。時間がなくて読んだのは、処女作「風流仏」と有名な「五重の塔」の二偏だけである。でも、露伴がどういう作風であるかは、良く分かった。明治における文語体である。結構、詩情も含まれていて読みやすい。と言ってもきちんと読むには現代文と異なっていて、相当に骨が折れる。注釈もないため分からない点が多々ある。分からない点は読み飛ばす、もしくは斜め読みする。樋口一葉の原文の小説を読むようなものである。でも樋口一葉の小説には注釈が付いていた。本書にはまったく注釈がない。 

簡単に筋を紹介したい。「風流仏」は仏師なる珠運が旅すがら旅籠屋に泊まる。すると花漬けを売る、辰と名づけられた美しき女が現れる。その女が忘れられずに珠運は彫刻する。そして、その彫刻物に現実か幻想なのか、辰の美しき姿を見出すのである。無論、短編ながら、辰の生まれた境遇に、嫁入りの話などを含めて、短編ながら内容は結構入り込んでいる。 

幸田露伴の代表作「五重塔」は人情を含めた職人気質の話である。十兵衛は大工としての腕前に自信がある。五重塔建立の話を聞き、なんとか建立したい。自らの腕で建立した建築物を後世に残したいためである。でも、師匠筋の源太は実績がある。お寺の上人は二人で話をして決めるように言う。源太親分は仕方がなく心を配り、二人で建立するように腹を決める。ただ、十兵衛は断る。あくまで一人で作るつもりである。こうして、十兵衛が五重塔を、職人達を使い作ることになる。十兵衛や源太の妻たちの夫への愛、そして互いの夫への気配りや心配に憤りの心持ちが良く分かるように描かれている。源太の手下の清吉が怒りのあまり、十兵衛を襲い傷つける。それにも源太は責任を感じて仕方なく、十兵衛に謝るのである。五重塔の建ったある日暴風雨が吹き荒れて五重塔を襲う。でも、一寸一分の歪みが生じないことを十兵衛は塔を見ながら知っている。上人は二人を呼び寄せ塔に登って行くのである。 

さて、幸田露伴は今まで読んだ明治初期の作家の中で、文体と心情は樋口一葉に一番近い距離にある。近いと言ってもその心情の距離は相当に離れていると言っていい。樋口一葉について書いた感想文からほんの一部分を引用すると、彼女の特徴は簡単に述べると、『読んでみると各作品に流れているテーマに特徴がある。貧しさ、出世、狂気、人情沙汰、人情そのもの、冷淡さ、病弱、零落、妾、闇などである。先にも述べたたが、一葉のこれらに関する描写は江戸戯作を擦り抜けて、近代文学の心理描写に届こうとしている。むしろ、その自然主義文学などの表層的な心理描写に比較して、より深みを増している。身の内に内蔵していて爆発する、もしくは沈潜したまま身を滅ぼしていく心情とその哀れさが手際よく描かれている。こうした一葉文学は全作品を丁寧に読まなければ評することはできないだろう』 

では幸田露伴はどうなのか。二作品を読んだだけでよく分からないだろうが、一葉が哀れさを秘めているのに対して、露伴は職人気質、芸術的美への追求がある。無論、出世、人情沙汰、人情そのものに情念を加えて、武士みたいな義と町人的な人情が加わっている。解説で篠田一士が「風流仏」における珠運の目の前に現れた女性が、彫像が生動したのか、お辰その人なのかはっきりしない。幻覚と現実の不明確な文章を単純な自然主義文学を超えていると高く評価している。私もこの露伴の文章を読んだ時、はっとした。露伴の幻覚を含む文章と感性に飲み込まれたような気がしたためである。これらの根拠を示したいが、引用も含み長くなるため、ぜひ「風流仏」を読んで頂きたい。 

これに対して「五重塔」は、小説として登場人物は過不足なく、小説の文章や筋も質が高いが、なぜか今一つ味わいが少ない。これは十兵衛や源太に、彼らの妻が人情を主眼にさらけだしているためである。つまりありきたりな通俗小説である。十兵衛は後世に残る作品を作りたいという気持ちが強くて、源太親分の提案する共同作業を拒否する。それも源太が対等の関係で作業すると段々敷居を下げてくるのに対して、重兵衛は黙りこくって、または丁寧に言葉で断るだけである。この自分一人だけでやると言う心理描写が、十分に描かれていない。自らの技量に対して発揮する機会がなかったと述べているだけである。妻のお浪の夫なる十兵衛や源太親分に、その妻お吉への思いやりが人情的には丁寧に描かれている。 

ただ、最後の暴風雨を受けている五重塔を登り、吹きくる暴風を闇据える十兵衛の姿は鋭く暴風雨と対峙している、と同時に闇の向こうへ微塵も損なわれず屹立している五重塔を誇りに思っている。この場面は少なからず迫力がある。ここまで書くともう書くことがない。ただ、私は幸田露伴よりも樋口一葉の方に関心がある。一葉の哀れさと狂気が気に掛かるためである。もし、「五重塔」の十兵衛の工事受注の強引さが職人気質ではなく狂気を含んでいれば、暴風雨に五重塔が歪んで十兵衛が失意のあまり塔から飛び降りたのであれば、露伴にも同等の関心を持つだろう。いずれにせよ、露伴も一葉も、紅葉や逍遥など他の作家に比較すれば優れた才があると思われる。 

以上

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。