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とんでも旅行のおススメ

数年前、それは毎年恒例の伊勢旅行でのこと。
同行者が急に「しばらくいってないから台湾いきたい」と言い出した。
「日本語がめっちゃ通じて楽」「キレイだし、オイシイ」などという話を、よそからもちょいちょい聞いていた私は、完璧なノリで「うっす、次は台湾だ」と予定をつめ、あれよあれよという間に台湾旅行は決まった。

実はこの旅行仲間、おかんが台湾人である。何度も行き来していることもあり、「こいつは安心だ」と思った私は極めて計算高い「ビビり」である。
なんせ海外旅行というと、学生時代の中国留学以降……十年近くぶりなのだ。
なるべく情報は多く、慣れている人と共にいきたい。
できれば通訳も兼ねてるといい。最高だ。(実際友人はそこまで話せないが、聞き取りはできる。素晴らしい)

さて、どこに行きたい?何をしたい?
事前情報が全くなかった私は、決まるや否や大慌てで調べた。
・九份……ふむふむ、千と千尋の神隠しの舞台?ぜひ行こう。
・故宮博物館……父がいいといってた!ここも見たい。採用!
・あとはなんたら屋台……おいしければ場所は問わない。
・映画館のカフェ?お茶に関する場所……ここだけは譲れない。ぜひスケジュールに組み込みたい。
希望をまとめて、友人に共有した。
チケットと泊りの手配は、彼女がやってくれるということで、お任せ。
これが……とんでも台湾旅行のはじまりだった。
最初にいっておくと、彼女の手配にミスはなく、最終的にはとても楽しかった。が、トラブルというのは、常におもってもみないところから齎される。今回はこれに異文化コミュニケーション(国内!)が加わるわけだが……時系列でお話したい。

初日、空港まではスムーズだった。
ただ、学生時代の短期留学(北京)で凝りていた私は、「中華圏」に進むことを意識し、厳重な荷物態勢で空港に降り立った。
なんせ十年ぶりの海外旅行。台湾は大体何でも手に入るといわれ、ネットは確認したものの、前例での恐怖がある。
ちなみに、北京では、スーツケースが到着前に大破。なんとか直して、留学生寮にいくも、「いくつかの鍵と、ベッドに括り付けるチェーンはがあるといいですね!」とチューターの学生に笑顔で紹介された。昼休みのレストランで覗ける光景では、皿を洗う代わりに、「洗剤のたらい⇒水のたらい」に突っ込む作業のコンボ。これが当たり前に行われており、「おっと、このまま食べたらお腹がやばいぞ……」という空気を察知した。店に入ったらまず皿をアルコール消毒し、マイ箸をスタンバイしていたことも注意しておく。
そんな経験から導き出した結果――
要するに、私は、たった5日分の荷物の中にすさまじい量のお手拭きシート(アルコール除菌用)を持参したのである。他にもろもろ便利グッズもある。今思えばおちつけよ……といいたい。なお、スーツケースの鍵も見える範囲ですらガッチガチである。
案の定、この気合のいれすぎに、友人は開口一番「どこの戦地いくの?!」といった。(が、これでも、レーションと乾燥味噌汁はやめておいたんだよ!北京でも結局日本からもってきたもの食べずに済んだから)

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さて、そんな状態でフライト。
ここでも緊急事態。久々で忘れていたが、高所と揺れの恐怖症である私は飛行機が鬼門である。どのくらいかというと、前回は先輩に手をずっとつないでもらっており、飛行機は基本微動だにもしないで過ごすか寝るかの2択。国内の旅行で陸路の選択肢があれば迷わず選ぶ。といった具合だ。
当然、緊張は最初からマックス。
「すまんな、友よ……お手を拝借するのは申し訳ないから我慢する。その分、挙動不審だが許してくれ」
目をみひらいて、ふるふるしながら着席。以降、ふるふるしながら4時間弱を過ごす。魔女の宅急便の、ジジ(猫)が見つからないようにぬいぐるみのふりをしているシーンを覚えてる方はいらっしゃるだろうか? あんなに可愛くはないが、挙動としては似たようなものだ。ちょっと飛行機が不安定になるたび、勝手に縦揺れしていたらしい。無駄に疲れた。

そうこうして、ようやくついた台北。
到着してしまえばこっちのものだ。早速の観光……いきなりご飯ということで、なぜか現地の方と合流。
そうそう言い忘れていたが、節約と安全を考えた結果、友人のおかんと合流する流れになっていたのだ。
空港をでたところにいる、どう考えても現地の妙齢の女性二人。
……二人?
首をかしげるまでもなく片方は友人の母である。
ではもう一人は?と聞く前に、自己紹介がはじまった(ただし台湾語)。「北京語ならちょっとくらい聞き取れるもんね」と思っていた自分が恥ずかしい。さっぱりわからん。
通訳してもらい、事情をきくと、どうやら彼女の家にのちほど厄介になる?とか。
――むむ?初日は、彼女の妹の家???
友人もきいてなかったようで、「なるほどわからん」と顔にかいてある。
が、現地の「勢い」はすごかった。
不安を感じるまでもなく、タクシーで出発。このタクシー運転手さんがとっても素敵な笑顔の方で、どうやら友人とも懇意。のちに分かるのだが彼女が小さいころ預けられていたお家のお父さんのようだ。北京語なら何とかしゃべれる私にゆっくり北京語で話しかけてくれたり……と、サービス精神旺盛で緊張が緩和した。


が、いきなり連れていかれる繁華街。&屋台を前には、優しい笑顔程度では落ち着けない。台北の空港と街の距離はとても近く、私たちはあれよあれよという間に、屋台の前にいた。屋台風の店というべきだろうか。
昼時間でも当然屋台は屋台で人手はそこそこ。これで朝ごはんの方が混むというから、びっくりである。

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友人のおかん(アイイー)は、片言の日本語で「おススメ」を頼んでくれた。がまずこれ、めちゃくちゃうまい。そして量が多い。後で調べてわかったことだが、「めんせん」というこの料理、日本だと輸入しないと麺がない。
台湾ではポピュラーな料理だ。その後何故かドーナッツ的なものを渡され、むしゃむしゃ。
「早くしないと置いていくよ」的なことを(おそらく)言われ、慌てて乗り込めば次の場所は、「寺」であった。龍がいるので有名な寺ということで、本当に四方八方龍がいた。(後で調べて龍山寺だとわかった。まんまな名前だ)

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一瞬、入り口でスマホの写真をとっていると、私と友人はおいて行かれそうになる。どうやら台湾母たちは、さくさくと中に進んでいるようで、明らかに慣れている。
観光であればゆっくり見たいが、「現地の人がよく来てるから立ち寄る」となると、もう駆け抜ける速度。あっという間に、線香?をたきこめ、おまいりを済ませ、ちょっとだけ奥にすすんで、小高い場所で龍を眺めたら外へ。
流れ作業のようなスムーズさで、時刻はこの段階でたしか到着1時間をこえていなかった。トップスピードである。
龍にまたいつか会いに来るからな、と声をかければ、向かうは次の寺だ。
ここは、恋占いや恋愛成就で有名なところだそうで、そのお守りをもらうには手順がある。うろ覚えだが、紙をかいたり、線香をつけたり…………まあうろ覚えである。なんせここも手順通りという部分は厳しかったが、めちゃくちゃな速度で終了した。
東京旅行に地方・他国から出てくる友人がいたら、なれている浅草寺であろうと、しょっちゅう通りかかる渋谷のスクランブルであろうと、ゆっくり進もうと心に決めた。慣れてるものは、つまらない。気持ちは分かるが、観光は一期一会だ。まあ、私たちの場合、おかげでもう一度行こうという約束ができたので、結果オーライである。絶対もう一度いく!

そのまま一同は次の目的地に。
台湾といえば、ずばり「占い」である。
これは台北の観光地ではなく、本格的な「いきつけ」まで移動するとのこと。
そこかしこにある占いや風水の看板を無視して進む先はおそらく高速道路(?)。大分かかって疲れ切ったところでたどり着いたビルは本当にただの雑居ビルで、台北のようなそれらしき看板はない。
エレベータで上に上がると、やっと入口がみえた。なんとなく普通そうなのだが、入った途端受付奥の広さに圧倒される。

おかんが予約をしてくれていたようで、専用の一室に私たちは招かれた。が……これがどう見てもガチなやつ。
いざ占い師のもとにとおされると、部屋の奥、いきなり茶色い皮のソファがある。ジャッキーチェーンの映画にでも出てきそうな……あるいはマフィアのボスが使っていそうな武骨なやつだ。手前、大理石の盤のテーブルは、お茶を注ぎこぼしながら味わう中国茶のお作法の道具が並べられ、いかにもなお姐さんが現れる。おかんはどうやら結構なお値段のする風水具を先に頼んでいたらしく、奥から出され、友人が試着。重くて本人は嫌がっていたが、この辺は文化の差か。おかんがからすると、絶対必須らしく、押し切っていた。ちなみにこの瞬間、一瞬怪しい宗教勧誘の類にも思えて内心ばくばくしていたのだが、別段売りつけられるようなことはなく、これは完全におかんの趣向。
ただ台湾では風水は本当に当たり前で、街のあらゆるところにモチーフにした造形物はあるし、一般の人も抵抗なくこういう店や横の専門ショップを日常的につかっているらしい。私も占ってもらったが、いかんせん……現地じこみすぎて「何いってるかわからない」&おかんの翻訳が片言なので、辛うじて聞き取れたことを要約すると
・突出して上りもしなければ下がりもしない、占い師的に言うとつまらない運気
・来年は交通事故(移動)に注意
・黄色・緑いいね
まあ元の運がそこそこあれば、むしろいいのかもしれない。なんか占いの姐さんに「この人おもしろい」とめっちゃ笑われたのだが、そういうことか。良い意味でとっておくことにする。
なお、おかんは太い運。友人は運気がたりんといわれていた(だから上記オーダーを先におかんがしてたらしい)
しかしこのおかん……後で聞いたら、占いを頼りに、日本に来て友人を生んでいるというではないか。強い。とてつもなく強い。
そんなこんなで(?)占いが終わると用意されていた水餃子をいただくのだが、これがおいしい。普通に水餃子で商売できるんじゃ?と思う。

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めちゃうますぎて、食べる前の写真がない。

さて、次の場所へと向かう前に、一人合流するものがあった。
これが噂のおかんの友人の妹である。長いので「妹」としよう。後で分かるがこいつがなかなかツワモノであった。
合流後、彼女の家は台中側にあるということで更に移動となるのだが、妹の車とタクシーと二台に分かれることに……。
何故か初日は彼女の家に泊まる話だったようだ。初耳。でもいいの、お世話になるならキニシナイ。ありがとう、ありがとう。
というわけで、移動。蒸し暑くて疲れたが、お腹もすいたので、ここで屋台である。屋台はめちゃくちゃテンションあがる!
だが、残念ながら、本当にジェットコースターのような移動で、ぐったりしていた私たちはせいぜいぐるぐるまわり、タクシーとはぐれて合流するためにもぐるぐるまわり……食べ物<疲れであった。それでも感謝と衝撃とともに初日は終了。
無事お布団へ。


【二日目】

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台湾といえば朝ごはんが強い。
いろいろあって安くておいしいという情報だけは事前に買い込んだパンフレットとネットの情報でゲットしていた。
ところが、思わぬところに伏兵がいた。
現地人ズである。

朝起こされた私たちは、朝ご飯を食べに繰り出す。
ちなみに、今日の予定はどうやら「日月潭」というところらしい。友人もおすすめしているので、間違えなさそうだ。ほっとしながらも「腹が減っては戦はできぬ」とばかりに、連れていかれた食堂 イコール屋台。
もう人だかりができていた。対するメンバーは四人=(私・友人・友人おかん・タクシー運転手。おかんの友……姉の方(以降アイイー)は、仕事があるということで戻った。
そして衝撃はここから。
「いろいろあって困っちゃう~」となる台湾の屋台だが現地人の嗅覚はするどい。アレコレ眺めているうちに、店を決め、わずかな空席を確保。メニューを選ぶまでもなく注文も決まっていた。
ありがてぇ、ありがてぇ。なんせ簡体字、食べ物のメニューはさっぱりわからない。
そして出てくる、スープ的なサムシング。「おかゆも食べたかった。でもこれもおいしいー!」写真をとる暇などなく食べおえた私たちは、当然のように、満足。次はお茶でもと思ったところでおかんが言う。

「次隣!」
――隣だと?!
そのまま本当に次に向かっているおかんズ。これまたすごいスピード感。
台湾ではこの速度でないと生きていけないのか?
疑問符を挟むまでもなく、隣の屋台に行くとまたも頼まれていた?!
1人一杯はシンドイ。慌てて止めに入るフレンズ。
「半分こでいいから!」の声におかんが「あら小食ね」的なことをいっている(たぶん)
ありがとう、友よ。お腹の危機は免れた。
さらにここから友人はファインプレイ!
お昼も同じノリになりそうだと踏んで、大慌てで叫んだのがこちら

「果物がたべたいなぁ」

私の頭の中は「?」だったのだが、後でこっそり聞いたところ「ここでの遠慮はご法度」とのこと。ローカルルールなのか、台湾ルールなのかは不明。
ただ遠慮は失礼となるばかりか、スルーされるという話なのである。
むしろ「他にしたいことを叫び、大量メシを避けるほうがいい」ということだ。
結果……フレンズのリクエストに、おかんはすでに走っていた。
買ってこられたフルーツはこちら。

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台湾の屋台では、フルーツはその場で切ってくれる。
つまみやすいようにという配慮は助かるが、まるまる一つ、ないし半分である。
量は多い。
ただ、まあ「パイナップルケーキよりはいいでしょ?」と言われればそうね。
すぐにも食べ出しそうなところを宥めながら、別のものを買われる前にタクシーで移動することになった。
行き先は、よくわからないが博物館。
博物館といえば故宮だが、今回連れてこられたのは別の場所。全てがデカイ……という情報以外入ってこない。後で調べたかいまいち分からなかった。情報下さい……。

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区画がでかい。建物がでかい。すべてがでっかい。例えば銅像の足元が既に、身長高めの私三匹分くらいの高さである。建物もこの石段一つでやっと人間一つ分くらいの大きさだ。
でも、ここまでは好調。
更にお昼を~と切り出される前に、まだ流行る前だった「タピオカミルクティ」に私たちは手をつけた。タピオカのスタートは台中~台南らしく、この数日間の旅行でここが一番だと思われるオイシイモノに出会えた。
たっぷり観光して、いよいよ本命――日月潭へ向かう。

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日月潭は、日本からの観光でも最近ようやく注目されるようになってきたが、元は本土(中国大陸)からの客が多い、メジャーな観光スポットだ。
少数民族の住むちょっとした丘や、湖島にかこまれている、「湖」。
ただ日本の規模を思うと間違う――これは海だ。
はじっこに立ち、向こう側を眺めるが、全く先が見えない。
実は中国でもこの感覚は味わったことがある。黄河・長江――もちろん日月潭の方がずっと小さいのだろうが、中国でいう川は海にも似ていて、日本人からすると馴染まない。ただやはり、それはそれで湖。まだ少しマシに思えた。三つの路線で楽しめるボート、近くを一部周回するサイクリングロード………箱根の湖の大きい版だと思ってほしい。晴れた空が非常に似合う、最高の観光スポットだ。
「また泊りで来たいね」と思わず漏らした私の声に、「絶対個人旅行でこよう」と友人。なあこれ、個人旅行じゃな……以下略。いわぬが花である。

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なお私が思わず撮った動画は、まるで大河ドラマのオープニング。
仕事にも使えそうな素材が手に入れられて、テンションが一気にあがった。昨日の疲れは嘘のようだ。一緒に乗った船(結構大きい)には、昔見た小公女セーラの子ザルのような子を肩に乗せた男の子や、小さなリスを手に乗せている少女もいて、何でもあり。乗客はもちろん船員も何も注意しない。ここではそれがスタンダードなのだとわかる。
なお日月潭は、台湾随一の紅茶の名産地でもあり――ミルクティのあうお茶をいいお値段で売っていた。友人とすかさずゲット。これがのちの悲劇にも繋がるが紅茶に罪はない。

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一通り楽しんで、ぎりっぎり晴天にも恵まれたものの雨もふってきた。さて帰ろうとなったところで、昨晩からの伏線は発動した。
「妹」爆弾である。
どうやら「妹」は妹で、友人が北京から到着するらしい。ここが運命の別れ際。
本来ならば、私たちは別行動で家路につくはずだったのだが、人数的にぎりぎりになるのもあり、タクシー運転手も連れだって何故か空港に妹フレンズを迎えに行く運びになった。「ちょっとよるから」という案内は何故か「ちょっと」を軽く超過して、3時間――まさかの渋滞にはまり、往復5時間ごえの旅がはじまったのである。
つらいのは先が分からないこと・タクシー運転手はどうやら先に私たちを送り届ける方がいいと再三いってくれたようだったが、結局空港まで運ばれた私たち。
降り立って衝撃を受ける。
――行きの空港とちゃう……。
いや、台中にいるからそうよね?と思いたいが、むしろ南側?
ここはどこ?私は誰?状態。
そのうえで、何故か早々にOKを出した友人おかんがキレだして、ますますカオスになる車内。休憩でよったパーキングエリアがでかすぎて迷ったり、悪くなる前に食わされた果物でお腹がタプタプだったり……さまざまな苦難を乗り越えて、われ等が根城に戻ったのはまさかの22時過ぎ。実にスタートから6時間が過ぎていた。考えたらまけだが、台湾にいるうちの実に4分の1~5分の1ほどはこのお迎え劇にまきこまれていた疑惑も……。

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東京バナナのぱちもんみたいな謎の像を空港で拝んだ後、現地で有名な24時間レストランで、さくっと夕飯をゲット。疲れ切った私の記憶はここでぷっつり途切れている。

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【三日目】

今度こそ大人しく観光を楽しめる!と期待でおきた三日目……
「海用の靴はある?」とおかんに質問され、あらかじめ一応用意してきたサンダルを指さすも顔をしかめられる。
「え?」とおもいながら、本日の工程を知らされることなく、連れていかれるのはアイイーのもとらしい。
ここで初めてしったのだが、どうやらアイイーはバスガイド。しかも台湾のバスガイドは、ツアーの企画から組んで、運転手を雇う、いわば「個人事業主」なのだ。私たちは急遽アイイーの計画する台湾現地人オンリーのバスツアーに同行することになったらしい。
しかし、そんなことを知る暇もなく、なぞの車輪へ運ばれる私たち。

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日本だったら確実に法律アウトっぽい、謎の乗り物で砂浜へ降りる。汐風は最高に生ぬるいが、多少とばしていることもあり、ちょっとしたアトラクションの印象。非常に楽しくて、これはいい一日になるなと確信。

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しかし……。
ついたとたん渡されたビニール袋で「え?」となった二人。
サンダルはサンダルでもガチなビニサン以外受け付けない砂浜。……微妙に幅を開けながら必死にしゃがみ込む人、ちょっと離れた場所でたかれる煙と、鉄板。磯の味わい……?
そう……連れていかれた先はまさかの「牡蠣食べ放題つき潮干狩り」だったのです。
「牡蠣食べ放題つき潮干狩り」――文字面が強すぎる。
そして理解しないうちに、いきなり手渡された熊手とビニール袋。びゅうびゅう吹いていく風は思いのほかに強い。本気で打ち込まないとこれは……やめられないやつだ。私とフレンズは目を合わせた。
「さっさと刈り取って帰ろうぜ」
もはや一狩りいくぜというには、寒すぎる微妙な曇り空が私たちの前に広がっていた。

案の定、30分するまでもなく雨がざあざあと振り出し、慌てて逃げ出す一行。
ちょうどいいタイミングで、アイイーのツアーと合流できた。(潮干狩り自体はアイイーは一歩先のグループで、団体客をもてなしていた)。

牡蠣を食べた後のランチ(まだ食う!)で合流した団体客は、10割現地の人。台湾では人気のバスツアーなのだろうか。よくわからないまま、私たちは指定された席にのりこむ。ちょっと疲れているものの充足した気持ち。
そして始まるのはバスガイド(助手)によるカラオケ。これがビックリするくらいうまい。欧陽菲菲か美空ひばりかという、「往年」の名歌手になぞらえたい美しい旋律と、安定した声の伸び。彼らの声を封切に、手を挙げ、リクエストがなだれ込むさまは、おそらく昭和のバスツアー。

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私たちもまだ経験していないバブルかそれ以前の香が若干まざる。
ただ本当にオーディションでもしてるのかとおもえるほど、ときおりまざるバスガイドの女性と、青年……氷川きよしかな?とにかくうまい。なんでこの仕事やってるのか不思議なくらい。

さて、ある程度進んだ後に、「休憩」兼イベントが入るのはバスツアーのお約束(?)。まずは、寺。これはいい。割と面白かった。台湾の寺は日本の寺と同じで、アレコレタイプがあるようだ。そして戻った私たちを待ち受けるのが第一の関門……饅頭。

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しかももち米である。

朝ごはん(たっぷり)⇒牡蠣⇒昼ごはん(たっぷり)⇒今ここ。

わりとシンドイ。だが食べる。
しばらく進むと何故かバスがとまり、みんながわれ先にと降りて行った。
「どうしたの?」聞くと友人が「おそらくスイカ」だと答える。
――どういうこと?
きけば、この辺は採れる名産地というアナウンスの元、みんながみんな高速を降りていく。出遅れた私たちは正直アナウンスが分からなかったせいもあるが、おかんが買って帰ってきた。そして何故かその場でめちゃくちゃ刻まれるスイカ。食わされるわれら。
この若干の死んだ目をご覧あれ。

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更に、次のパーキングエリアもどきは、塩の博物館。
そこで食わされる謎のアイスバー。

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だんだん目がすわっていくのはご愛敬。
宴は続き、カラオケは続く。眠れない……何時間経ったか、外が暗くなったころ……お約束のディナータイム。ここでは写真をとりそびれたが、おぞましい姿のウナギのお化け――大きな魚をいただいた。正直呪い殺されるかと思った。水槽に泳ぐ姿に「え?ほんと?」と何度か叫んだのはご愛敬だ。ただ味はしごく淡白でおいしかった。

ところで……この日の夜私はちょっとフレンズと喧嘩した。
何故か?
私はこの旅行でお茶屋さんにいきたかったのである。疲れているのもあって、明日の自由を勝ち取りたかった。――否、ちょっと自由行動したかったのである。いや、フレンズもまきこんでいい。現地パワーではない、「観光」がしたかったのだ。その意見にくわえて、お茶を買いたかったのだが、その話をしたら、おかんが言った。
「アイイー経由で買えばやすいから、買いな」
――いや、ちがう。そうじゃない。
安い高いではなく、現地で行って、自分で買い、そこの人と話したかった。
だが、この意図がなかなか通じず、お世話になっていることもあり我慢せねばという気持ちはありつつ……結果、私は貝になった。もともと友人に絶対行きたい場所の一つとして、お茶の吟味をあげていたこともある。
フレンズがあまりにおかんに逆らわないことにもちょっとムッとした。絶対フレンズのせいじゃないのに、フレンズがおかんに荷物が見つからなくなったことをせめられていたのを見たばかりということもあり、どうにもならない気持ちになってしまったのだった。なおこの荷物、日月潭で購入した例の紅茶であり、他の場所では買えないが、哀しがるべきは欲しがった彼女であって……興味を示さなかったおかんのものではない……。「おかんがせめる理由あるか?」という思いと、そんなおかんに対して「何をいっても無駄だから」とあきらめている友が悲しかった。
家族の問題には他人は立ち寄れない。ただ初日からそこかしこに出ているほころびが噴出した感じもあった。彼女側の問題というより、フレンズを「娘だからわかる」と決めつけているおかん側にもあるように思えて……歯がゆくてしかたなかった。
結果、私とフレンズがぎくしゃくした。「おかんに、きちんと言い返せ、黙ってるから伝わってないぞ」という憤りが原因である。
本当は、やっぱり親子だから、さんざん言いあった後なのかもしれない。実際言葉にしても無駄という気持ちも分からなくはない。家の中で、小さな文化の対立をしているのだ――数日間一緒にいるだけで見えてくることも今ではある。ただその瞬間、私は疲れもピークに達していて、大人げないなぁと思うのだけれど、「なんで、他人もかかわってる状態で言い返せないのか」友に腹を立てた。
おかんの商売根性たくましいのが悪いとは言わない。行きかけに日本のお土産を売りながら、移動しているおかんをみてある意味ですごいなぁと思ったのもある。
それとは別に、友人は、私が訴える、お値段で買えない「経験を買いたい」話を十分分かっていたはずである。だから、なぜ今私の方がおかんに交渉してるのか流れの不自然さにも困惑した――お土産を買う場所の自由も確保を言い出せないってどうよ?と思ってしまったのである。お世話になっている感謝はしているし、代金以上のものをもらっている気もしていた。だからこそ、なるべく意向には沿いたい&わがままだとも分かっていたのに、初日の「妹」の時間のロスもあり、私は結構キていた。残念、あのときの私は実に大人げなかった。
加えて、実は、そもそも翌日は何故かフレンズとおかんは、現地の人しかいけない「薬の場所」へいく予定という初耳の話を、その場で聞かされたこともあった。トリプルパンチである。独り残されるのをしらされていたら、いくらでも調べて場所を考えていただろうから「早く言えよ」というムシャクシャが出た。
その流れで、「ならば、私はお茶を買いに行く!」という流れになったのだが、友人も欲しがり、「最終日私たちは別行動したい。お茶を買う」と主張。その答えが、おかんの「知り合いがいいのもってるから買え」「何がいい?」なのであった。(回りくどい書き方ですまない。今でも思い出すと、気持ちがメロスになってしまう。)

まあすったもんだの挙句、友がおかんに伝えて、翌々日に二人でお茶屋をめぐる権利を得た。これは非常に素敵な流れだった。おかんにも「経験を買う」の話をなんとか分かってもらうことができた。


【四日目】

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朝、私たちは分かれて、おかんと友は「薬や」へ。(なんでも現地の人しか使えない倉庫のような場所で漢方を処方してもらうらしい。これは冷静に考えると、土下座してでもついていってレポートするべき案件だったかもしれない)
私は、ブランドショップも並ぶ一等地中山と、その割と近くにある「スワロフスキー」などが並ぶビーズの問屋街に移動した。
この時期(残念ながら亡くなってしまったが)とある友人がブレスレットを作る腕が非常によくて、私は彼女の作品を売る場所を都内で探し、あるいはネットショップを開く手伝いすべく奮闘していた。彼女の作品にとびきり似合いの大粒は日本国内では手に入らなく……この土地ならば極めて安価で手に入ると調べはついていた。
いいタイミングがあれば寄ろうと思っていた場所の一つだ。
狙いのカフェと共に、ここにいく――初めての一人旅である。
友人とおかんと別れてゆるゆる動く。雨の多い台湾、スワロフスキーといくつかのマニアックなビーズを買い、お茶をして、約束の場所に降り立つ頃にはちょっと湿気の多さにくらっとするくらいだった。

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しかし連絡は来ず……一時間くらい外で待つ羽目に陥った。両替もあまりタイミング上できなかったこともあり、どうしようか途方に暮れたが、ここで助けてくれたのがカードとデパートだった。高級ブティック街であることが功を奏した。
この時期の私は本当に仕事がなくて、お金もなく……ぎりっぎりの生活をしていたのだが、この時ばかりは無理やり手前にカードを作れたことに感謝した。
ちなみに合流後、映画館のカフェもよったが、残念ながら、休みだった。
一通り訪れられたことをよしとして、本命は帰り前に一緒に行こうと友に誓った。おかんから権利を勝ち取った友人は頼もしくなった。

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【五日目】

アイイーは可愛い人で、前日からこの方のお家にお世話になっていた。
よくよく冷静に考えると台湾人は自営的で、暮らしをそれぞれ会社でなく個人におもねている方も多い様子だった。私はこの旅行で苦手だと思っていたマンゴーが大好物になった。台湾のマンゴーは甘いだけでなく、すっぱさがある。
山の種類で、原種に近く、日本のマンゴーはアップルとか別のものもまざっていて味が違うのだと知った。

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この日は何が何でも行きたいと友と二人で話していた九份に向かう。
手前に、故宮博物館も見た。無理やりな日程だったと思うが、充実感はスゴイ。
ただ変な話が、前日までの強行軍の方が今思えば心に残っている。
結局なんだかんだいって、自分の思っているコース以上に「人に巻き込まれ」「知らないコトに振り回される日々」の方が後々輝くのかもしれない。
ただ、故宮博物館がめちゃくちゃ広くて疲れた中で、QR的なものが発展していて説明されながら案内の端末で「3D」で本来見えないツボの裏が見えたり、お城の外壁が観察できたのはよかった。これは日本にそのうち来るだろうと思ったりもした。台湾の方が技術の取り込みははやいところもある――今思えば当然なのだが、当時すでにその流れは見えていて、それなのにいざ現地に行くまで私は何もきづいていなかった。
もちろん中心部と田舎との差が大きいこともある。例えば、台北ではあまりみかけなかったが、台中側移動すると、バイクの三人のりはざらだったし、4人や5人……どうのってるの?!といいいたいような曲芸師も見かけた。取り締まられるべきは繁華街であり、外から人が来る都市部だけなのだろう予測もつく。考えて見れば日本だって同じだ。そういった場所と、都市部の一番進んでいる場所では違う――という話なのかもしれない。ただこの「ザ・観光地デイ」でなくとも、地下鉄のコイン型Suica(電子感知するコイン)や、そこかしこのサイネージなど日本よりよほど優れた場所はあって、恥ずかしながら私の意識は急速にアップデートされた。
ここにきて初めて日本人観光客ともすれ違った。
九份は思っていたように美しく、思っていた以上に高台で、空気が澄んでいた。

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前日もめたおかんも付き合ってくれて……本当にこれはありがたく、なんというかその丸まった背中に哀惜を感じ、怒ったり喜んだりの素直さに「なるほど、なんてかわいい人なんだろう」と思ったりもした。その反面、友の、忍耐の強さや、あらゆる場面でしっかりしているが、たまにとんでもないボケをしでかすギャップの由来を見た気もした。
よそものの私がこんなに入り込ませてもらっている奇跡を考えたのも実にこの日だった。大いに反省した。(友は、他の友人だったら縁を切られていたかもと後で語るが、私は本当に一緒にいけたことへの感謝を、九分の夜に改めてしたのであった)


【最終日】

しかし、そんな思いもなんのその……トラブルは起きるのである。
最終日、私たちは勝ち取った「お茶デイ」を愉しむ予定だった。
が、おかんがやらかした……。いわく、「買い込みすぎて、スーツケースの用意が終わらない」。なんならお前らの荷物に、自分の荷物を加えてくれという話だった。
引き受けるのはやぶさかではないが、とにかく朝の支度風景を横目に、昼までの自由行動が叶うのか私はドキドキしていた。

ありがたくも……
ぎりぎりで友人が言いくるめ私たちはお茶屋を目指すことになった。
気になってチェックしていたのは、紫藤廬。

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1920年代初めに建てられ、日本統治時代高官の官舎として使われた建物である。
その後、大学教授のすまいとして、知識人や学者たちが集ったといわれるこの場所に私も訪れてみたかった。
和風の建物と、おちついた部屋。
大学がほど近いこともあり、給仕は学生がしてくれた。
英語が堪能で、説明は丁寧。ゆったりと過ごしたこの時間はいまだに友人とともに「台湾の憩いのとき」として位置づけられている。
個人旅行でもまた訪れたい場所の一つだ。
ただまあ御庭の鯉の勢いはすさまじかった。

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近づくまえから人の気配を察知し、このとおりである。ものすごい食いつきに……え?蟲毒でもしてるの?と思った私たちである。いまだトラウマだ。
無事戻り、スイカをいただき、
後は空港へ。

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この後も乗ろうとしたらおかんの荷物がひっかかったり……めちゃくちゃ重いから仕方なくこちらの荷物に無理やりいれられて、飛行機降りるなり、終電間近な私側の手続きが間に合いそうになかったり……とまあアレコレあった。ただ、いい旅行だった。ちなみに、これは本当の話、友人のおとんが、迎えに来てくれて、「先にいっていいよ」といわれてなかったら、終電逃してたやつである。大惨事であった。
まあ帰れたからよし。終わりよければすべて良しの旅行だった。
他人に頼ったから当たり前だといわれるかもしれないが、流石のフレンズも、「今度は二人で行こう」と述べ、チベットスナギツネのような顔をしていた。
それでも、これはこれで非常に楽しい旅行だった。
特にアイイーにはお世話になった。あとタクシーの運転手さん。かなりオマケしてくれたと同時に、何より気を使ってもらい、そして何とかコミュニケーションをとろうと、空き時間いろいろな形で相手をしてもらった。
コロナを抑え込んだ台湾の姿をみて、「ああやっぱり技術がすごいんだなぁ」と思う。と同時に、調べると「一度サーズでの失敗があるからこそ」というコメントもあって、台湾らしいなぁとも思う。
台湾は、人で出来ている。アレコレあるし、複雑なポジションではあるけれど、人間がいて、学んで、明るく前を向いているような気がする。
私も文句ばっかりいわず、全部まるっと楽しめる力をもっともっと手に入れなくては、と思い返すたびにつくづく思う。
友人とはその後も国内のさまざまな場所に一緒に旅行させてもらっている。仲は良好で、おかんに子離れさせるべく彼女は彼女で闘い、この数年で大分力関係も変ったと聞く。
親と子の関係は難しくて、私もまだ父母の前には大きな子供に過ぎない。またこじらせて喧嘩もするし、通じなくて頭をかかえることもある。感謝はするが、感謝以上の感謝をしないといけないことに気が付けていないのでは?と不安にもなる。
旅行で、こんなに他人の家に、あるいは他の国に踏み込むのは珍しい経験だ。
こういう良くも悪くも内側に入るような「まきこまれ方」をつくづく大事にしたい。
とんでもない旅行は、想像を超える旅行。予期せぬことにあう旅行だ。
計画的であるに越したことはないけれど、偶然性とともに私たちは今を生きている。
コロナがおちついて……落ち着くか分からなくてもそれが当然となったところで、やっぱりどうにかこの「偶然性」を得るために私は旅にでるだろう。
また、とんでもない経験ができないかなぁと願っている。
台湾のパワーに負けないような場所はきっと世界中どこにでもあるし、親子の問題も、世界中どこにでもあるんだろうなと予想しながら、今は家で引きこもりつつ……待っている。


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