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サボテンが割れた日に思うことは。

サボテンが割れた。

名前も見ずに100円ショップで買ったサボテン。
時に人間は乱暴だなと思う。
個性を塗りつぶすことも、出る杭を打つことも得意だ。

はじめは、見ちゃいけないものを見た気がした。

これまでサボテンは一つの閉ざされた物体だったから。
光合成するための小さい穴とかはあるのかもしれないけど。
目に見えないものを日常的に「ある」と意識しておくのは難しい。
ぱっくりと三日月形に空いたその裂け目は、
とても瑞々しくて、生々しかった。
やっぱり悪いことをしているような気がした。

でも、次の瞬間には
「このまま枯れるのかな」って、
終わりを受け入れる準備をはじめてた。

私はいつだってそうだ。
悪い兆し、予感、空気の流れを感じとると、
すぐに最悪の結末から考えてしまう。
そうすることで自分を守ってしまう。
自分的未曾有の悲しみや、憤りや、怒りから。
出来る限り下降しておけば、浮上してくるのに体力が要らないから。
私が25年の時間をかけて培ったライフハックなんてこんなもので。

本当はそこでググってしまえばよかった。
「サボテン 割れる 対処」とか。

そうすれば、天下のGoogle先生はすごい速さで検索結果を表示して、
ものの0.5秒くらいで私を意味の分からないマイナス思考の底から
掬い上げてくれただろうに。

しかし、まだサボテンは割けたままだ。
その開かれたままの世界。
そこから何かを取り込むのだろうか。
時間をかけて、少しずつまた閉ざされていくのだろうか。
そこに割けたという歴史は刻まれるのか、
何事もなかったように、傷はいえるのか。

サボテンはきっともう以前のサボテンではないのだろう。
人間はこんなに色々なことができるのに、
何かが起こったら、起こらなかった世界線には戻せない。
知ってしまったら、知る前に戻れないし、
やってしまったら、やる前には戻れない。
プラスもマイナスも足し合わせながら、変わっていくしかない。
トランスフォームの連続の上にあっても、
私は私だし、私は誰からも名前を奪われることはない。
そして生活は続く。

サボテンは今日もすっくと伸びている。




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