見出し画像

イエスタディはミスで、トゥモローはミスター。

女性名詞と男性名詞。
日本人としては、「そんなもん知らねー!」と突っぱねたい。
いや、突っぱねるに値する。
私にはその権利がある。そう、ここはニッポン。
それにしても、kemioさんの「どこまでいっても渋谷は日本の東京」は、
いつ思い出してもやばすぎる金言だ。
人間の長所と短所がコインの裏表なように、最高と最低は紙一重ってことを教えてくれる。

話は戻るがヨーロッパの言語には、どうして性別の違いで名刺の綴り・発音を変えるルールがあるのか。
つくづく不思議だなぁと思う。
かといって解き明かしたいという思いはない。
何となくまだ私の人生における、「摩訶不思議」の棚に収まっていて欲しいとさえ思っている。

私はこの事実に、遥か海を隔てた国の街角でその時、今この瞬間も交わされる会話の中に息づくスペイン語とやらを、大学の第二言語で選んだことで巡り合ったというか、パンをくわえた高校生が角からドーンみたいなあくまで唐突に、ラブコメ然として知り合うこととなった。

と、さもここから言語にまつわるクスリと笑える、明日の糧になるようなお話が続く訳でもなく、
私はただ「イエスタディはミスで、トゥモローはミスターだな」と思っただけで、その感覚を言葉にして一つ頭の外に置いてみんとす、くらいの気持ちで綴るのである。
荒唐無稽。いや、結構。
われ思うが故にわれあり。
もしこのフィーリングを同じくする人がいるのであれば、
私はほんの少し嬉しいし、明日の糧とまではいかずとも鮭フレークぐらいにはありがたく白米をかっこむ箸にも俄然チカラが入るというものである。

その区別、どうして?と聞かれても、頭を抱えること例え人生2周目に入っても足らず…となりそうなくらい本当に根拠はないけれど、自分の中では感覚的に言葉を「擬人化」してみれば、そうなるなぁ、ですよね?うんうんと脳内会議では賛成が過半数を占めてこれにて閉幕!となったので、こうしてアウトプットされている訳でして。
あとほんの少し、YUKIちゃんが好きなので楽曲の「ミス・イエスタディ」が
楽曲の世界を飛び越えて私の脳内で鮮明な像を結びすぎているだけのことかもしれない。

あ。本当にそれだけのことかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?