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恩塚HCに対するネトウヨ的クレームと合理的な改善点について

 女子バスケ日本代表の恩塚HCのことは以前から注目しており、度々言及してきました。W杯前にはこんなブログも書きました。そのW杯も敗退に終わり、ネットでは恩塚批判が噴出しました。そしてバスケファンの関心はもうNBAのジャパンゲームに移っているようです。しかし私はまだ女子バスケと恩塚HCのことに関心が残っています。どうしてそんなにこだわるかというと、それが私の本業である家庭教師の仕事と深く関係があると思うからです。恩塚HCのコーチング哲学は私の教育哲学ととても近いのです。私も保護者や企業からの理解を得られずに対立することがありますので、恩塚さんの立場がよく分かります。「もっと厳しく指導しろ」「叱れ」「ガチガチに管理しろ」「細かいルールを決めろ」とは私もよく言われるクレームなのです。もっと言えば、およそどんな分野であれ、何かを指導する立場の人なら必ず同様の問題に直面していると思います。

選手の自主判断についての振り返り

 W杯敗退が決まった後の会見で恩塚HCは、選手に負荷をかけすぎてしまったかもしれないと反省していました。試合中に自分で判断して動くことに慣れていない選手たちが、大きな舞台で迷ってしまったというのです。恩塚HCとしてはこの一年間、選手たちの自主性を育む指導をしてきて、それなりに手応えを掴んでいたはずです。まさかW杯本戦でここまで出来なくなってしまうとは思っていなかったことでしょう。この反省の弁から推察されることは、選手たちが委縮してしまってチームが機能不全に陥った状況では例外的にセットオフェンスを指示するなどして、選手の精神的負担を緩和することも今後は考えなければいけないということだろうと思います。
 勉強を教える仕事でも似たような状況はよくあります。私は基本的に自主性を尊重し、生徒自身の判断力の向上を目標にしていますが、どうしても生徒が合理的な判断をしてくれない場合には、やむをえず指示を出すこともあります。恩塚HCがあれほど具体的な指示を出さないのはある意味ですごいことだと思います。指示を出すことを我慢しているわけです。目先の結果が欲しければ指示を出したほうが早いと思っても、それを我慢して選手を信じることを選択する。そのほうが高みに行けると信じているのです。これはすごいことで、なかなか出来ないと思います。バスケに限らず、何かを指導する立場の人にとっては、恩塚氏の姿勢を見ると思うところがあるのではないでしょうか。恩塚氏は非常に理念的で、信念の強い人です。優しい雰囲気ではありますが強力なリーダーシップがあります。怒らないからダメだというようなクレームはまったく見当違いです。
 さて、馬瓜ステファニー選手は次のように振り返っています。

今回、(準備期間が)5カ月という結構長い期間ではあったんですけど、5人制ではお互いの良いところを引き出し合うことが、なかなかできませんでした。自己判断はもちろん、どうやったらお互いの良いところを引き出しあえるかを考えたいです」
「お互いを知ることで良くなる部分もありますが、何をしても通じなかったこともありました。そこを認めて違うことに変えていく、改善していくことも重要だと思います」

 5か月間一緒に練習してお互いをよく理解したのに本番では通じ合えない場面があったといいます。いろんな含みのある反省の弁だと思いますが、たとえば状況によってはセットオフェンスを採用することも考えるべき、と言っているようにも見えます。あるいは、大舞台で平常心を失ってしまうと味方と意思疎通も出来なくなってしまうので、メンタルが大事だという話かもしれません。今大会で一つ分かったことは、選手たちは恩塚HCが見込んでいたほどにはメンタルが強くなかったということです。この1年やってきたことを信じ切れなかった。それは今後も時間をかけて強化していくしかないでしょう。またその一方では、うまく行かないときのためのバックアップとしてセットオフェンスというオプションも準備しておいたほうがいいという教訓も得られたのではないかと思います。実際、予選の途中で急遽セットを組み始めた試合もありました。恩塚HCの高い理想に向けて選手たちが努力することは必要不可欠の最優先事項だとしても、プレッシャーのかかる試合で選手に過度な負担がかかってしまうときには柔軟に作戦を変更することも大切だということを、HCも選手たちも認識しているように見えます。

システム化された組織プレーを称賛するバスケファンたち

 緻密に設計されたチームバスケットの魅力も分からないではありません。たとえば福岡第一高校のフルコートプレスとか、地味ながら強かったかつてのスパーズとか、チームとしての芸術点の高さを評価したくなる気持ちは分かります。まして日本代表は小柄で身体能力も劣るので、組織力が生命線だというのも間違っていないでしょう。だから緻密なシステムを組んでいたトム・ホーバスの方が良かったと言う人が多いのだと思います。

 しかし、トム・ホーバスが退任した後、選手たちのバスケIQが下がってしまったように見えることについて、私たちはもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。具体的に指図されないと出来ないということは、コーチの指示にどんな理論的背景があるかを選手は理解していなかったということでしょう。だからコーチが変わると忘れてしまう。これは教育学の研究結果で出ている事実でもあります。教師主導の管理型の指導をすると、その期間だけは多少効果があるかもしれませんが、その教師が去った途端に元の木阿弥になり、本来の生徒の能力にすぐ戻ってしまうことが知られています。強権的な指導は短期的にしか効果を見込めないと言われているのです。それでは、選手のバスケ人生のすべてに渡って強権的なコーチが管理し続ければいいのでしょうか。それで贔屓のチームが勝てばファンは満足なのでしょうか。私は納得いきません。

 恩塚HCは女子バスケ選手たちのマインドを変える挑戦をしてきました。その成果として誰しも認めていることは、チームの雰囲気が明るくなったことです。以前の女子バスケ界は非常に強い縦社会でした。先輩・後輩を強く意識しなければならない文化が根付いていました。だからこそコート上での円滑なコミュニケーションのために独特の「コートネーム」で呼び合う風習が生まれたくらいです。その雰囲気をだいぶ柔軟にしてくれたのが恩塚体制です。たとえば代表に参加したばかりの20歳の平下選手があれほど積極的にプレーできたのも、チームの雰囲気の良さが生んだものではないでしょうか。
 W杯で勝てなかったことに対して選手たちは各々反省の弁を述べていますが、口々に言っていたのが「恩塚さんのバスケができなかった」ということでした。恩塚HCの理想に付いていけなかったと率直に認めているわけです。たしかにInside Akatsukiを見ても、「チームのために自己犠牲の精神で頑張る」などと見当違いの発言をしている選手もいました。まだまだ以前のマインドから脱却できていない部分があるのだと思います。そこは今後もますます変革し続けていかなければいけないでしょう。これはそういう話であり、日本のバスケには厳しく管理する(外国人)HCが必要だという話ではありません。東京五輪で一つ大きな成果を上げた日本代表が、今度は本当の意味であるべきバスケ選手になるための挑戦を始めているのです。これは非常に価値のある挑戦です。恩塚HCを批判している人たちは、この価値をあまりにも軽く考えすぎています。

 恩塚HCと女子バスケ選手たちの挑戦は、既存の価値観に対する挑戦でもあります。一糸乱れぬ組織プレーを称賛する価値観に対する挑戦です。たとえばシンクロナイズドスイミング。一糸乱れぬ演技をすごいすごいと私たちはつい称賛してしまいますが、本当にそんなに価値の高いものなのでしょうか。あれが厳しいスパルタ指導の賜物だということは有名です。日本チームが強いのは、外国人よりも我慢強いから、ただそれだけです。それはそんなに褒められたことでしょうか。現代的な価値観からは、少なくともかつてのようには評価できないはずです。その価値は色褪せているはずです。違うでしょうか。どうして私たちは一糸乱れぬ軍隊のような組織プレーを称賛しなければならないのでしょうか。
 スポーツ観戦者の価値観が問われているのです。勝利のための自己犠牲を称賛するような価値観に疑問符が突きつけられているのです。

恩塚批判はネトウヨの発想

 恩塚批判をする人の中には、自主性とか自由などどうでもいい、組織が第一であり、規律と管理でガンガン縛り上げればいいと言っている人もいます。リベラルか保守かで言えば保守的な価値観です。ネットでここまで恩塚批判が大きくなっている要因の一つは、このようなネトウヨの人たちが敵に回っているからだと思われます。ネトウヨから見れば元々恩塚HCのようなリベラルなスタイルは気に入らなかったはずです。だからW杯で結果が出なかったことを幸いに一斉に攻撃し始めた形に見えます。
 それでなくても日本代表の観客にはかなりの程度ネトウヨが含まれているようです。オコエ選手に人種差別発言を投げつける人もいますし、八村選手も東京五輪の後心労でダウンしてしまいました(原因は不明ですが)。代表チームのファンはおそらく性質が悪いのです。Twitterで公開の発言をしている人たちはきっと良いほうで、愚劣な人は選手に直接DMを投げつけたり、2chで悪口を書いたりしているのだと思います。私たちの目に見える以上に、代表チームのファンの素行は悪いのだと思ったほうが良さそうです。

 保守派は個人の価値をさほど認めませんので、「なりたい自分になる」というような話は歯が浮くような詭弁にしか聞こえないのでしょう。そんなことより組織に忠誠を誓い、言われたことを黙ってやっていればいいんだと。教育業界にもこういう人たちはたくさんいます。保護者や企業が権威的な厳しい指導をするように圧力をかけてくることも日常茶飯事です。自由、自主性、個性、自然体、まっとうさなどといった概念をすべてあっさり却下して、その代わりに強制、抑圧、目先の結果、お金、有利な社会的ステータスを迷わず選ぶ人たちです。ネトウヨ的なスポーツ観戦者たちと共通するメンタリティだと思います。だから恩塚さんの敵は私の敵でもあります。

具体的な改善は必要

 ここまで恩塚HCを擁護してきましたが、最後に必要な改善点についても触れておきます。批判の中には合理的なものもあります。それは建設的に取り入れて改善していってほしいと思います。
 ひとつはすでに書きましたが、状況によってはHCが具体的に指示をすることで選手の脳をいったんクールダウンさせてあげることも必要だろうと思います。それは準備しておけば問題なくできることでしょう。
 ふたつめは選手交代です。よく言われているように、シュートタッチがホットな選手を代えるのは非合理的に見えます。タイムシェアをするにせよ、もっと最適なタイミングがあるはずです。それを科学的に徹底的に研究してほしいと思います。
 みっつめは選手選考の仕方です。たとえば吉田舞衣選手などは恩塚HCのバスケに最後まで適応できていなかったように見えます。一方で、練習試合では大人しかった高田選手が本戦であれほど存在感が大きかったのは、あの人が誰よりも頭が整理できていたからではないでしょうか。頭が整理できていることがメンタルの安定に直結しますので、選手選考の時点でもっとその点を見て選抜したほうが良い気がします。吉田選手はその発言から見ても、全然準備が間に合わなかったように見えます。個人個人の思考力、判断力、そして自信が要求されるので、その条件に合った選手を見出して招集するスキームも重要になるでしょう。Wリーグでは目立った活躍をしていなくても恩塚HCのバスケでなら輝ける選手もきっといるはずです。新しい選手の発掘に期待したいです。あと、エブリン選手は絶対に戻ってきてほしい。
 よっつめはネトウヨバスケファン対策です。炎上リスクを防止するためにも、観客の見る目を一段引き上げるためにも、恩塚さんや鈴木さんがメディアで発言する機会をもっと増やしてほしい気もします。それは広報やジャーナリズムの仕事かもしれませんが、今女子バスケがやろうとしていることがどれほど価値のあることなのかをもう少し積極的にアピールする必要があるかもしれません。そういう問題意識があるから私もこの記事を書いているのですし、他にも恩塚さんや鈴木さんの人となりを語っている人はいます(下記リンク)。ファンを育てるというか、そういう仕事も必要なのではないかと思っています。

まとめ

 指導者は選手や生徒を信じなければいけませんが、行動遺伝学の最近の成果によれば、知性には遺伝的な限界があることが示唆されています。信じてあげるのは美徳ではありますが、合理的な範囲を超えるとかえって相手を傷つけてしまいかねません。出来ることは信じてやらせる、出来ないことは支援する、その見極めが指導者の仕事です。恩塚HCのスタイルに適応するためには、おそらく知的能力が重要なはずです。体力と忍耐力だけは自信があります、指示されたことはバッチリやり遂げます!みたいなタイプでは困りますし、なんか悲壮感を漂わせて頑張らなきゃと思い詰めているような選手でも困るわけです。知性にも生得的な要因が大きいことを考えれば、どこまで選手に要求していいのかの判断は簡単ではありません。できない選手にできないことを要求するわけにもいかないでしょう。ミーティングでマインドの持ち方を教えたくらいでは付け焼刃にすぎません。個々の選手が自分で考えて、自分の言葉で語れるようにならなければいけないはずです。ただ、大会後の会見ではどの選手も立派だったので、期待できるとは思っています。

 私だけでなく、恩塚HCのやり方には分野の違う指導者たちもきっと注目していると思います。女子バスケ日本チームのさらなる発展を期待して、これからも応援していきます。

 

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