橘玲、安藤寿康『運は遺伝する』
遺伝の話をする。遺伝は知能にも性格にも影響を与える。行動遺伝学により遺伝の影響の大きさが明らかになっている。それを踏まえて、教育とか社会設計とかを考えなければならない。日本の行動遺伝学の第一人者といえば慶応大学の安藤寿康であり、一方、遺伝学の知見を世間に紹介してきたエバンジェリストとしては橘玲の右に出る者はいない。この二人の対談本が2023年11月に出版された。最新の「遺伝本」である。
これは生まれつきの遺伝子配列の話だ
まず最初によくある先入観に対して釘を刺しておかなければならない。遺伝と聞くと即座に「親の形質が子に伝わること」と解釈する人が大多数だと思うが、必ずしもそうではない。子どもの形質が親に似ることはもちろんあるが、それ以上に確率的なばらつきが大きいということが重要なポイントだ。それは単なる運なので「遺伝くじ」と呼ばれたりする。このランダムなばらつきも含めて「遺伝」と呼ぶ。両親のゲノムがランダムにシャッフルされて子どものゲノムになる。その組み合わせによって、両親のどちらにもない形質が発現することも当然ある。それも「遺伝」と呼ぶ。つまり、「遺伝」とは親から見た概念ではなく、子どもから見た概念なのだ。子どもから見れば、ゲノム配列は生まれつき決まっている。遺伝の影響とは、その生まれつきのゲノム配列による影響のことだ。「遺伝とはほとんどただの運だ」というとやや誇張しているきらいもあるが、まずはそれくらいのものだと捉えたほうが話に入りやすいのではないかと思う。いずれにせよ重要なことは、子どもにとっては、親から受け継いだものかどうかはともかく、生まれつき特定の遺伝子配列を持っているということであり、それに付き合って生きていかなければならないということだ。
遺伝を無視してはいけない
遺伝がどれほど大きな影響力をもっているかは本書を読めば分かるのでここには書かない。(橘や安藤の他の著書を読んでもいい。)大事なことは、これほど大きな影響があるにも関わらず、私たちはまるで遺伝的な差など存在しないかのように、教育を語ったり政治を語ったりしているということだ。その結果、「勉強ができないのは努力が足りないからだ」と批判されたり、自分を責めたりしてしまう。いくら怒っても出来ない子どもが出来るようにはならない。また、子育ての良し悪しで子どもの知性が上下することもほとんどないことが知られている。教育の効果はとても小さいのだ。この科学的事実を押さえておくことが大事だ。そうでなければ、親が子どもに不当に高い期待を押し付けたり、教育と称して無理な介入をして問題を引き起こしたりしてしまいかねない。政治に関しては、経済格差についても遺伝で説明できる部分がかなりあるので、それを自己責任で片づけてよいのかということが問題になる。たまたま運良く知能に恵まれた人が成功したとしても、それは運にすぎないのだから、その遺伝の寄与分を公平に再分配したほうが良いという考え方もある。遺伝の存在を無視しないで、ちゃんと考えることによって、初めて議論可能になる物事がある。それが本書最大のメッセージである。
この記事では本書全体を見ることはせず、終盤の議論に絞って見ていくことにする。その理由は、遺伝の影響が大きいことを踏まえて、「ではどうしたらいいか?」という議論がなされているのが終盤であり、それこそ今私が一番関心があることだからだ。
「運の平等主義」は「逆優生学」?
「運のいい者は幸運のおかげで手に入れたものの一部あるいは全部を、運の悪い者に譲るべきだ」という主張を「運の平等主義」と言う。マイケル・サンデルの『実力も運のうち』が有名だ。キャスリン・ペイジ・ハーデン『遺伝と平等』でも同様の考え方が示唆されている。
興味深いのは、「運の平等主義」に対する橘玲の見方だ。引用しよう。
橘はこの直後に、人類の知性が大きく低下した世界を描いたSF映画の話を始めている。どうやら橘は現実世界がそうなってしまうことを恐れているようだ。要するに、才能豊かな人が繁栄し、殖えるのは自然なことであり、才能の乏しい人が不遇の人生の末に淘汰されていくのもまた自然なことであり、そこに矯正的な介入をすることは人類衰退の道だと言いたいのだろう。
ちなみに橘玲はリバタリアンであり、自由競争を支持し、国家の権力は小さいほど良いと考える立場だ。だから例えば日本の中小企業が慢性的な赤字でも融資や補助金の力でゾンビのように生き残っている状況を良しとはしない。そんなことをやっているから日本は駄目なのだと考える人だ。その橘から見れば、遺伝的に不利な人々に盛大に補助金を出す政策はゾンビ企業の救済と変わらないのだろう。そんなことをしていては国全体が駄目になる。知能の低い人がどんどん殖えて社会が壊れていく。そういうロジックだ。だから橘は、運による遺伝的な不公平があることを百も承知の上で、それを補正しようとは決して言わない。
しかし私の考えでは、遺伝が所得に与える影響が科学的に算出されているのだから、それは再分配を正当化する強力な論拠になると思う。もちろん橘が懸念するような社会の劣化を招かない程度に収めるべきだし、優秀な人が努力するモチベーションをなくすほどの税率にするのは良くない。また、再分配を強化することは国家の権力を強化することにもなりがちだが、そうならないようなシステムの工夫もしたいところだ。ほとんど国家が恣意的な介入をできないような、自動的なアルゴリズムによる再分配が望ましいと思う。
遺伝学から見たアクティブラーニング
次は安藤寿康の発言を引く。
安藤は「遺伝的な個体差があることを前提に教育システムを考え」る必要があると強調する。私なりに補足すれば、「この子にはアクティブラーニングをやらせても意味がない」と判断すれば止めればいいし、その代わりにその子にとってもっと有効な課題を与えればいいということだろう。学校教育は形式的な平等主義イデオロギーに囚われて合理化が遅れている。科学ベースで教育を語る人は少なく、個人的な経験や印象論ばかりが流通している。この点は私も大きな問題だと思っている。
そもそも、子育てや教育には大した効果がないということも学問的にはっきり分かっている。その認識を共有するところから始めなければならない。教育に過大な期待をすると虐待になったり、モンスターペアレントになったり、子どもは鬱になったり不登校になったりする。だから遺伝学の知見が早く社会常識になってほしいと思う。
私も教育産業に属しているので片棒を担いでいるわけだが、教育産業は親の教育幻想を煽ってサービスを売りつけている側面がある。遺伝学の知見が周知されれば誰も塾になど通わせなくなり、教育産業は萎んでしまうかもしれない。仕事がなくなるのは個人的には困ったことだが、教育界が正常化・合理化した結果そうなるのであればその方がいい。
遺伝的適性にもとづくマッチングシステムの構想
最後に、安藤が大胆な提言をしていたので紹介しよう。遺伝の話をすれば、最終的には当然1つの問いに向かう。それはもちろん、遺伝的に知能が特別優れているわけではない人たちはどのように生きればいいのかという問いだ。安藤はそれを助けるシステムの構想を語る。
この現実世界にはニッチな問題はごまんとあるはずで、どんな人にも問題解決の仕事はあるはずだ。ただそれが効率的にマッチングできる仕組みがないから、自分には出来ることが何もないと思い込んでしまったり、過度に失業に怯えたりしてしまう。可視化されていないだけで、世の中には実はいろんな仕事が無限にある。大きなことじゃなくていい。
そのシステムを具体的に説明すると、以下のようになる。
それを受けて橘が要約している。
以上が安藤の構想だ。私は面白いと思った。技術的にはたしかに実現可能性がありそうだ。いわば「マッチングアプリの超進化版」だ。このような情報にアクセスできる環境ができれば非常に有益だろう。自分にとってやりがいの感じられる仕事がいつでも見つけられることは、精神的な安定にとっても好ましいだろう。
私のレポートは以上とする。本書は他にも多くの論点があるし、興味のある方はぜひ読んでみてほしい。
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