街、鬼、もの

例えば、人間ぽいものが人間の街にいたら、
もの珍しいものに囲まれてそれはそれは楽しいだろう。
人間ぽいものは人間として生きるために人間を学び人間になってゆく。
人間ぽいものからしたら人間は増殖する微生物や他の動植物と変わらないし、
人間の街は雨上がりにニョキニョキ生えるキノコみたいな生き物に見える。
人間ぽいものからしたら、人間の行動は謎だらけだ。
その理由を知るのは楽しいが、そこに加わり擬態せよと言われるとなかなかしんどいものがある。生きるのはどんな生物だって大変なのだ。
私は怠けたい。

今「鬼の研究」という本を読んでいる。
日本における「おに」は平安中期においては「実在するが何らかの理由により姿を現さ(せ)ないもの」であったという。だから当時、鬼と慣習により人前に出られない女性を重ねて表現することがよくあったそうだ。

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いつもこんなことを考えている。
端的に言えば私はこの人間ぽいものを自分自身だと思っている。
人間を辞めた方が生きやすい気もする。だって自分以外の何かになるのは骨が折れるし、なりたい人間像とかもない。
日本で人間でいるのは他の先進国に比べて難しいみたいな、皮肉なのか自虐なのかわからないツイートを思い出し日本脱出の4文字がよぎる。

本気で冗談だよと言い切れない自分がいる。

ここには「実在するが何らかの理由により姿を現さ(せ)ないもの」がとても多い。
そういうものを掘り出して、剥き出しにしてみたい。私自身がそうならなければいけない。

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