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はじめまして、阿部さん

最近考えていたこと


(この文章、書き出してから一回飽きて、2ヶ月後とかに書き足している。だから現在の自分とは少しずれている。もし先日の課題制作「世界を形作るもの、こと」での私の発表を見た人がいるならば、それを思い返しながら読んでほしい。)

自分の記憶や感情に基づいた作品制作や作品鑑賞は、果たして本当にクリエイションなのか?

最近、それについて考えている。
例えば独白のような作品が与える影響ってなんだろう。
というか作品を独白のように読むこと?

自分がいること、存在することの莫大なエネルギーみたいなものの衝撃を受け取りたいときに私はそのような読みをしてきた。
むしろそれしかしてこなかった。
でももっといろんな楽しみ方、紐解き方があるのではないだろうか。

風景のような、遠いもの、もしくは今見えないようなものを想像するには、石畳みたいにいくつものパーツが必要なんだと思う。

夏の話


夏に聴講した授業でzineを作った。
内容は最近気になる展示について。私は山形市中央公民館で開催された「趣味の作品展」で見た作品を引用させていただいた。

作品は、作者が戦地から帰国し、宮城県川渡国立病院に入院した際に描いた入院記念画としての病院外観、また入院中に通った旅館の外観をいずれも水彩画で描いたものに当時を振り返る文体で、それぞれに文章が添えられている。
zineはこの文章を元に、作者の足跡を辿るような内容にした。

この足跡を調べる過程が大変楽しく、夢中になってしまった。
自分じゃない人間の足跡なので、全く知らないジャンルの調べ物が発生するところが楽しい。また、ルートは決まっているためどんどん作業できるところも楽しかった。
そうして作品を通して作者の阿部さんと出会っていく感覚をタイトルに込めて、「初めまして、阿部さん」という題を付けた。

結果的にできたzineは、主語不明の、軸が見えない構成になった。
一本のルートから派生し増殖していく小枝の集合体みたいな感じ。
こんな結果になったのも、意外というか、今までなら綺麗に体裁を整えていたが、時間がなくてできなかった。
その結果、自分にとって重要なところだけが残った気がする。

何が重要か

私はこの作業を通して背景の重要性を見つけた。
なんていうか、背景があることの重要性?
冒頭で述べたように、私はずっと、個として確立していることが重要だと思ってきた。でも個体であることは同時に、背景を持つことなのかもしれない。
今までとは逆に、背景に着目した制作はできないかな?

その後

さて、これを仕上げている11月の自分は、先日の課題制作「世界を形作るもの、こと」での発表について話さなければいけない。
この課題では、絵画の背景の役割に着目した展示を行なった。
「背景」の効果を強調するために、絵画技法で言うところの「地と図」の関係を利用した。本来一体となっている「地と図」を切り離すことで、「背景」と「前景」の行き来する試みを行う。そして、その往来を更に活発にするために、三次元的なドローイングに起こし、鑑賞者及び展示空間を作品の背景として利用した。
文章にするとややこしいが、目で見れば簡単だ。
(余談だが、この課題に取り組んでいるとき、自分は目で見れば簡単なことをやりたくて、ビジュアル・アートをやっているんだな〜と実感した。)

(もう一つ余談だが、「初めまして、阿部さん」の講評で先生が、「趣味の作品展」のポスターを表紙に使ったことに注目して「これは今後、おそらく残っていかないポスターですから、ここに使われているのはいいですね」と仰っていてびっくりした。深夜、近所のセブンで表紙ないよー!!と焦ってつけたものが、こうやって残っていくかもしれないという事実(未来)に驚いちゃったのだ。
そんなこと考えたことなかったから印象に残っている。
自分と違うことを見て考えている人と話すって、すごいことだ。)

「世界を形作るもの、こと」展示風景



左から風景、地→図、図→地。手前が立体のドローイング。

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