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着物、やっと始めました。

私は2020年に亡くなった母が大量に遺した着物をとりあえず着られるようにしよう、と着付けを習い始めた。
習いながら少しずつ、母が遺した物の概要がわかってくれば良いなーと思っていた。
母はとても元気だったので、ちゃんとその着物の価値や由来について聞く前に病が見つかって、駆け足のように亡くなってしまうとは誰も思っていなかった。

病がわかって亡くなるまで2ヶ月。
もちろんその日数は、最初に告げられたより短いものだったし、でも仮にその時2ヶ月と言われていても、「ねぇあの着物はどれが良い物なの?」とか「誰にもらったの?」なんて尋ねる余裕はなくて、何か尋ねるならもっと優先的に聞くべきことがあったから後回しにされたと思われる。
実際には、もしもお葬式になったら誰を呼びたいかを聞いたような気はする。呼びたいかというか、誰に知らせるか、と言うことをね。
でもあれって、わりと元気なうちに聞いておくと思うんだけど、もしかするともっとギリギリに尋ねたら違う答えになるんじゃないかという気もする。
コロナが騒がれ始めたばかりの頃だったから、田舎から従兄が来てくれたのはギリギリセーフという感じ。
次の週だったら「東京に行ってたなんて!」と村八分にされたかもしれない。
みんな忘れてるかもしれないけど、あの頃、酷かったよね。感染者数の発表、◯◯県にはまだコロナが到達していない、みたいな情報、それによって移動したくてもできなくなる人や移動したばかりにバイキンのようにあしらわれた人々。ちょっと前のことなのにわりとみんな忘れちゃってる。
私なんかも、母の葬儀や納骨が全て終わってからは実家をほぼ放置して片付けに通うこともしなかった。
「不要不急の県境を越えての移動」に当たるから。
もちろん完全放置ではなくて、時々こっそり行ってはいたけれど電車は怖いほどガラガラで、吊り広告がなくなっていた。
見る人がいないのだから広告もつかなかったということなのかな。
何しろ人が消えた街はまるでSFでとても怖かった。

ともあれその時期が終わり、少しずつ街へ出掛けて行けるようになり、四部制になった歌舞伎座に行った帰りに、後に着付けを習うことになるお店の売店に寄ったのだ。
話が遠回りすぎて見えなくなっているけれど、着物の話を私はしたいのです。
最初は着物は不要、帯の結び方だけを、洋服のまま前結びで教えます、前で結んだ帯を後ろに回せる「帯板」があって、それを使って教えます、という初心者コースだった。
そこで何回か習ってから、徐々に着物へ移行。
着物は持って来ても良いし、お店で貸してもくれる。最初は借りていたが、やっぱりせっかく山のように着物があって、それを着たいがために始めたんだからと実家から少しずつ持ち出して教室に持って行くようになった。
と言ってもトンチンカンで大変だった(笑)。

まず、「長襦袢は持ってる?」と聞かれて「これだ」と思った長襦袢を持って行ったが、あまりに私とサイズが合わなくて先生が呆れる。
実家には何枚か長襦袢があったのだが、それのどれをとっても私が使えそうなものがなかった。つまり母に着物を着せてもらっていた頃から10kg程増量している事実を改めて突きつけられたのである。
何とか掘り返して「二部式」襦袢を発見。これは使えた。
が、とりあえず当面はそれで凌げたけれどやはりというか案の定「いずれちゃんと着物を着たいのであれば、自分のサイズに合った長襦袢を作ることをお勧めする」とお店の人に言われる。
そうだよな〜… と、さすがにそれは私も納得して、「通常ならとてもお高いんだけど今なら少し勉強しますよ」的な流れで、美しい花織りの長襦袢を仕立てることになった。

着物の方は、少しずつ母のタンスから引っ張り出して持って来ていたが、それまで言ってみれば訪問着しか着たことがない(娘の七五三や、とある知人のかなり豪華な結婚式など)私にはお稽古に使うのに適当な「正解」の着物がどれかということがそもそもわからなかった。
さすがに訪問着はお稽古に不向きだということはわかっていたのでそれ以外。

実家のタンスから色とか柄の気に入ったものを、まず引っ張り出して羽織ってみる。サイズが肝心なことは確かなので。
着物はわりとゆったり出来ていると思っていたけれど、物によっては明らかに小さくて、丈が短い、そして幅が…というものが混じっていた。
じつはこのタンス、知ってはいたけれど母の着物だけではなくて、母より10歳年上の伯母が亡くなった時に母が譲り受けた着物も大量に収められているのだ。
畳紙には伯母の住んでいた東北の地方の呉服屋さんの名前が記されている。が、しかし、必ずしも畳紙と中身がイコールではないのが玉に瑕(笑)。
(いや、この、畳紙と中身が一致しない問題と言うのは、整理が苦手な我が母特有のことかと思っていたが、この前とある作家の着物に関するエッセイを読んでいたら同じように一致しないと書いていたので着物あるあるなんだなーとわかった)
伯母はお茶の先生だったそうなので、着物がたくさん遺された。
たぶん、タンスの中の趣味的な着物のほとんどは伯母のものではないかと思っている。
薔薇の帯とか、蝶の小紋とか、可愛らしいものも多い。
ここでハッと気づいて『着物と年齢の関係について調べておくこと』と心にメモする(笑)。
私が着たら派手なのかな?という不安、ね。
着物っていくつになっても派手でオッケー、みたいなイメージがあるけれど、それって演歌のヒトとか特別な場合?
私の基準は歌舞伎かもしれないから気をつけなくては…。

最初に困ったのは、一度タンスから引っ張り出した着物をきちんと畳んでしまうのに四苦八苦することだった。
敢えていつまでもガラケーだった私だけれど、着物の畳み方を検索して小さな画面で必死に確認したりしていた(笑)。
着付けを習い始めて一年経って、それが苦にならなくなった時には我が身の成長を、噛み締めたものだ。
こんなこともあった。
初心者コースから初級になったある日、5月だったか、先生が「もう暑くなって来たし、次回からは『ひとえの着物』でお稽古しましょうね」と言ったのだ。
ひとえ?ひとえのきもの?ひとえって、何?
あまりにナチュラルに先生がおっしゃるので
「ひとえって何ですか?」とは聞かなかった私は慌てて帰りに書店により「着物のいろは」のような本を立ち読みした。
裏のない着物。
一般的に着物には裏がついていて二重になっていてそれを「あわせ」と呼ぶ。袷。
ひとえ(単衣)の着物と言うのは6月と9月に着る物であると言う。しかし昨今の温暖化の影響もあり、実際には5月から10月くらいまで着ちゃってるとかなんとか、それは先生が言っていたのかな。
とにかく家に持って来てあった着物をチェックしたらみんな「袷」だったので、実家に行って「単衣」の着物を探した。
でもこの探す過程で、可愛い柄の単の着物、しつけ糸が付いていて、着ていないのか選択した後なのか、とにかくそう言う着物も発掘できてワクワクした。
この辺りからだんだん着物が面白くなってきたんだった。
その2年後、去年、ついにタンスを全部棚卸した。
お店の人に来てもらって、まだ着られる着物、価値のある着物、シミや汚れがあって処分した方が良さそうな着物などに仕分け。
中には「着たければ着ても良いけどせっかくもっと良い着物があるんだからそれを着ればいいと思うけど」と言われた着物もあって、
もともと私の着物ではないけれど、私だって体は一つでそんなに永遠に着物を着て過ごせるわけじゃないし、「ありがとう。ごめんね。」と言ってさよならした。結構な枚数だった。

残った着物を、昨年の秋からちびちびと着始めた。
昨年はいつまでもいつまでも暑かったので、11月くらいかな。地元のお友達と隣駅の居酒屋さんでサシ飲みした時とか、軽い打ち上げとか。
年末にはやはり近所の友達との忘年会に着て行ったらみんなが「どこかの帰り?」と聞くのでおかしかった。「この会のために着て来たんだよ〜」というとみんな驚く。
着物はやっぱり特殊な衣類になってるのかな。
それでもやっとこうして母から伯母から託された(と勝手に思っている)着物を曲がりなりにも着て外に出かけられるようになって、着物も母も伯母も
喜んでいるような気がするし、処分した着物達の分まで残した着物達を大切に何度も着てあげよう、という気持ちにもなっている。
新年は、娘に着せて、自分も着た。
ただし娘は草履を履いて長くは歩けないので、初詣は普段着で行った(うちが初詣に行く神社は遠過ぎるので…)。それは来年も変わらないだろう。
来年は、娘に着物の畳み方を伝授したいと思っている。
私も昔教えてもらったんだけど、なかなか身につくもんじゃないよね。まあ、一度も習わないのと少しかじるのとはだいぶ違うから、来年こそは。

じつは今週、着物を着る予定が次々にあってドキドキしている。
一日おきに着るような感じ。
リエンの妻か(笑)。いや、彼女らは毎日か。

頑張れろう。

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