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人が夢見るメタバース、神が夢見るメタバース

先月から今月にかけて、メタバースについての解説書を2冊読みました。
バーチャル美少女ねむさんの『メタバース進化論――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』(以下「メタバース進化論」)とクラスター株式会社CEO加藤 直人氏の『メタバース さよならアトムの時代』(以下「さよならアトムの時代」)です。

この記事では、この2冊の内容を対比しながらボクにとってのメタバース観をまとめていきます。

はじめに:何故この2冊なのか?

今年に入り、様々な著者がメタバースの解説書を上梓しています。その中でボクがなぜこの2冊を選んで読んだのか、理由は大きく2つです。

第一の理由は、この2冊の著者が、それぞれ「ソーシャルVR(≒現時点でメタバースと呼んで差し支えない空間)」に深くかかわってきた人物だからです。
ねむさんは、VRChatなどのソーシャルVRで長期間活動を続けており、ソーシャルVR内からNHKの番組に出演しメタバースについての議論に参加するなど、「今ここにあるメタバース」を実体験として語れる人物です。
また、加藤氏はソーシャルVRであるclusterを立ち上げ、その開発/運営を行っているクラスター株式会社のCEO、すなわち「今ここにあるメタバース」を作り上げてきた人物です。
この両者の著書であれば、「メタバースの本質とは無関係な技術要素をあたかもメタバースの基幹技術でのように語り、特定の分野へ利益誘導を図る」ような、荒唐無稽な内容ではないと信頼できます。

第二の理由は、2人の著者の立場の違いからくるメタバース観の対比に興味があったからです。
ソーシャルVRを内側から見続けてきた「メタバースの住民」であるねむさんの「メタバース進化論」に書かれているのは、いわば「メタバースに住む人にとってのメタバース観」です。
対して加藤氏は、「メタバースの住民」でもありますが、それ以上にclusterというプラットフォームを作り上げ運営してきた「clusterというメタバースにおける神」といえる存在です。その加藤氏による「さよならアトムの時代」は、一つのメタバースを司る神が他の神が支配するメタバースも俯瞰しながら書いた「メタバースの神によるメタバース観」といえるでしょう。
「人」と「神」、この対照的な視点から書かれた2冊の本を対比するのは非常に意義深いと考えています。

1:メタバースとは何なのか?

この記事で取り上げる2冊に限らず、メタバース本を手にする人が一番知りたいのが「結局、メタバースって何なの?」ということではないでしょうか。
ボクも正直「メタバースってどういうもの?」と聞かれたら、はっきりと答えることはできません。

メタバースの定義

現在、「メタバース」という言葉は様々なプレイヤーが自分の都合の良いように使っている側面もあり、明確な定義が存在しない状態です。
このため、ねむさんも加藤氏もそれぞれの著書の第1章で、「メタバース」と呼べる空間について定義づけを行っています。

まず、ねむさんは、日本バーチャルリアリティ学会が刊行した「バーチャルリアリティ学」で定義する4要件に、多くの有識者が提唱する様々なメタバースの概念のうち、ねむさんが重要だと考える要件を追加した、以下の7要件を備えるものを「メタバース」と定義しています。

  • 空間性

  • 自己同一性

  • 大規模同時接続性

  • 創造性

  • 経済性

  • アクセス性

  • 没入性

対して加藤氏は、アメリカのベンチャー投資家マシュー・ボールが論じた7つの条件に、加藤氏が考える条件を追加した以下の9つを「メタバース」の条件としています。

  • 永続的に存在する

  • リアルタイム性

  • 同時参加人数に制限がない

  • 経済性がある

  • 体験に垣根がない

  • 相互運用性

  • 幅広い企業・個人による貢献

  • 身体性

  • 自己組織化

ここに上げたの条件の詳細はそれぞれの著書を確認していただくとして、この両氏が上げた「メタバース」の条件を比較すると、表現の差こそあれ、ほぼ同じものを指しているように思えます。
例えば「空間性」は暗黙的に「永続的に存在する」と「リアルタイム性」を内包していると考えられますし、「自己同一性」「没入性」は「身体性」を構成する重要な要素です。また「創造性」が有るからこそ「企業・個人による貢献」や「自己組織化」が生まれます。

「人」の視点で見たメタバースの条件と「神」の視点で見たメタバースの条件がこれほど似通っているのであれば、「メタバースとは何か?」と問われたときにこれらの条件を答えるのは、非常に妥当性のあることだと考えます。
ボクも今後は「メタバースってなぁに?」と尋ねられたら、ここに上げた条件をもとに答えることにしようと思っています。

ソーシャルVRはこれらの条件を満たすメタバースなのか?

これらの条件を踏まえた場合、バーチャルキャストやcluster、VRChatなどのソーシャルVRは「メタバース」と呼べる存在なのでしょうか?

ねむさんはソーシャルVRについて

「メタバースの定義」七要件を全て最小限満たす「必要最小限のメタバース(Minimum Viable Metaverse)」と呼んで差し支えないと考えています。

『メタバース進化論――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』
第2章 ソーシャルVRの世界

と述べています。対して加藤氏は

狭義の意味でのメタバース、すなわち、この空間のプラットフォームを活用し、ユーザー同士がバーチャル上でクリエイティブ活動をしたりコミュニケーションをとったりするという意味では、メタバースはすでに存在しているということだ。

『メタバース さよならアトムの時代』
第2章 メタバース市場とそのプレイヤーたち

という形で、ソーシャルVRが狭義の「メタバース」として存在していると述べています。

これらの点を踏まえると、ソーシャルVRは「メタバースに求められる全てが揃っているわけではないが、メタバースを実現するために必要な最低限の要件が実装された『メタバースと呼んで差し支えない空間』」であると、ボクは考えます。

intermission:哺乳瓶からジョッキにミルクを注ぐ(バーチャルキャストにおける自己組織化の一例)

バーチャルキャストでは、哺乳瓶からビールジョッキにミルクを注ぐことができます。
何を言っているかわからないかと思いますが、これは加藤氏が「メタバースの条件」の1つとして挙げた「自己組織化」の面白い一例です。

ジョッキにミルクを注ぐ

バーチャルキャストには、ユーザーが生成したアイテムを配布/販売する機能があります。このアイテムは「VCI」と呼ばれるバーチャルキャスト社制定の規格に基づいて実装する必要がありますが、このVCIという規格には「スクリプトを組み込んで動作を制御できる」「他のアイテムとの間で情報を受け渡すこと(相互作用)ができる」という特徴があります。

このVCIを利用して、ビール瓶などからジョッキにお酒を注げるアイテムを作成した方が、そのアイテムをもとに「飲み物VCIテンプレート」を公開しました。
この「飲み物VCIテンプレート」には、「飲み物を注ぐ側(瓶など)」と「飲み物を注がれる側(ジョッキなど)」で相互作用するためのインターフェースが定義されています。

これにより、多くのユーザーが「飲み物VCIテンプレート」を活用した飲み物アイテムを作成した結果、バーチャルキャストにて飲み物アイテムは「誰が作った飲み物か」「誰が作った器か」を問わずに注ぐことができる状態になっています。
つまり、「飲み物VCIテンプレート」という「飲み物アイテムが実装するインターフェースのデファクトスタンダード」が誕生しているのです。

飲み物VCIテンプレートによる飲み物アイテムの数々

(そして何故か、哺乳瓶も「飲み物VCIテンプレート」に従っているため、「哺乳瓶からビールジョッキにミルクを注ぐ」ことができるのです。どうして作った!?)

この事例は、非公式に作られたインターフェースがデファクトスタンダードとなる、まさにメタバースにおける自己組織化の実例ではないでしょうか。

2:メタバースにおけるアバター

ボクたちが生きているソーシャルVRが「メタバースと呼んで差し支えない空間」であることははっきりしました。次にそのメタバースでアイデンティティを担保する「アバター」について、再び2冊の著書を対比しながら考えてみます。

アバターとアイデンティティ

メタバースでは「アバター」という視覚世界のアイデンティティをデザインすることによって、「なりたい自分」の「姿」で自由に生きていくことができます。

『メタバース進化論――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』
第4章 アイデンティティのコスプレ

身体性があるがゆえに、アバターにアイデンティティが強く紐づくのだ。

『メタバース さよならアトムの時代』
第2章 メタバース市場とそのプレイヤーたち

どちらの著書でも触れられている通り、アバターはメタバースにおけるアイデンティティを構成する重要な要素であるということに異論はありません。
しかしボクが気になるのは「アバターの服を着替えるかのような気軽さで、アバターそのものを着替えるユーザーが相当な割合で存在する」という事実です。

この事実は「アバターはアイデンティティの重要な要素」であるという考えと矛盾します。この現象を説明するため、ボクは1つの仮設を考えました。

それは「アバターとアイデンティティの紐付きは物理現実にとらわれた人間の幻想にすぎない」というものです。
考えてみれば、自身の見た目や身体性がアイデンティティの重要な要素であるというのは、それらを自由に変更する事が出来ない物理現実からの類推にすぎないのかもしれません。
この場合、「アバターがアイデンティティに紐づく」というのは、単にアバターが他人に与える視覚情報やそのアバターを使うことによる身体性がアイデンティティとなるわけではなく、「そのアバター(見た目)を選んだ自分自身のセンス・美的感覚こそがアイデンティティを構成している」といえるのではないでしょうか。

この点についてはどちらの著書でも考察されていないようでしたので、是非、ねむさんによる考察をお願いしたいところです。

アバターの不可侵性

イベントでアバターを勝手に変えられて発狂するボク

「メタバース進化論」でねむさんは「なりたい自分になれる権利」という概念を語っています。メタバースの身体性や自己同一性を担保するうえでも、これは非常に重要な権利であると思います。

この権利を尊重すれば、各自のアバターは不可侵なものとなり、メタバースの運営者であってもユーザーの同意なしにアバターを変更する事は原則的には許されない行為となると考えています。

今はまだ、メタバースにおける「なりたい自分になれる権利」というものは重視されていませんが、今後、メタバースが発展するためには、全ての関係者にこの権利についての意識をもってもらいたいところです。

intermission:アバターの不可侵性にこだわるバーチャルキャスト

バーチャルキャスト社が運営するアセット共有サービス「THE SEED ONLINE」にはアバターのポリゴンリダクションという機能があります。
これは、Quest2のような比較的処理能力の低いデバイスでTHE SEED ONLINE上のアバターを使用する際、その処理能力に合わせてアバターを軽量化するというものです。バーチャルキャスト社はこの機能について、「元のアバターの見た目をできる限り損なわないこと」に非常に注力しているようです。

実際に、Quest版バーチャルキャストでボクのアバターを確認しても、細部に目を凝らさない限り軽量化の影響がわからないという、非常に高精度なものとなっていました。

Quest版バーチャルキャストでも変わらないボクの可愛さ!!

このような「処理能力に制限のあるデバイスでも可能な限りアバターの見た目を変えない」という点も「アバターの不可侵性」という観点からは重要なことだと思います。

このポイントにこだわるバーチャルキャスト社を、引き続き応援していきたいですね。

3:メタバース経済とメタバース決済

ねむさんも加藤氏もメタバースの条件の1つに「経済性」を挙げている通り、メタバースが発展するためにはメタバース内での経済活動は非常に重要なものです。

メタバース内に決済システムは必要か?

また、これはVRChatに限らないのですが、「経済性」の観点では課題がさらに山積みです。バーチャルマーケットの例を挙げたように個人間の商用利用もあるにはあるのですが、VRChat自体には実はまだ決済の仕組みが存在しません。

『メタバース進化論――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』
第2章 ソーシャルVRの世界

「メタバース進化論」でも「さよならアトムの時代」でも語られていますが、まだまだメタバースにおける経済活動は発展途上です。しかしその原因は、ねむさんがVRChatを例にしてあげているように、決済システムが存在しないからなのでしょうか?

ボクは、そうではないと考えてます。決済がメタバース内で完結するか否かは、経済活動の本質ではなく、ユーザーエクスペリエンスの範疇だと思います。
実際、VRChatを中心としたアバターの取引はBOOTHを巻き込んで1つの経済圏を作りつつあります。この経済圏が十分に大きくなった時、VRChatは、ユーザーエクスペリエンスの向上と、決済に伴う手数料収入を自分たちの物にするという目的で、メタバース内決済システムの実装に動くのではないでしょうか。

では、メタバース経済が発展途上である理由が決済システムによるものでないとしたら、何が原因なのでしょうか。これは単純に「メタバースそのものが発展途上だから」ではないかと考えます。
今後、メタバースの発展に合わせて、メタバース内でも様々な経済活動が行われるようになるでしょう。その際、メタバース内で決済ができないのであれば、物理現実側にその決済を行うための第三者が参入してくると思います。
その結果として、決済システムを持たないデメリットが、決済システムを実装するコストを上回れば、おのずとメタバース内に決済システムが組み込まれることになるはずです。

それでも必要なメタバース内決済

先に述べた通り、メタバース内での決済はメタバース経済の本質でないというのがボクの考えです。しかし、メタバース経済がある程度まで発展したら、メタバース内での決済は必須になるという考えも持っています。
そして、ここで必要になる決済は、BOOTHで行われているような「デジタルデータの利用権を得る為に対価を支払う」タイプの決済ではありません。

「さよならアトムの時代」で加藤氏はアバターなどのデジタルデータの販売をメタバースにおける「第一次産業」と表現しました。第一次産業が消費者に提供するのはデジタルデータ(の利用権)であるため、物理現実側で取引を行い購入したデジタルデータをメタバースに持ち込む、という流れであっても不自然なところは無く、トラブルも起こりづらいでしょう。

しかし、加藤氏が「第二次産業」「第三次産業」と定義づける活動は、消費者に対する役務の提供が主です。特に第三次産業での役務の提供は間違いなくメタバース内で行われることになるでしょう。この時、役務の提供が行われるプラットフォームと決済手続きが行われるプラットフォームが異なるというのは、非常に不自然なものを感じますし、トラブルの原因にもなりそうです。

つまり、メタバース内決済として必要なのは「役務の提供に対する対価」を支払うための、個人間の決済システムです。ですが、個人間決済は、技術的問題よりも法的、社会的問題への対応が困難と思われます。
一例としては、「メタバース進化論」で触れられている、NeosVRにおける仮想通貨での個人間決済が、Steamの規約により無効化されたという問題があります。
個人間決済(個人間送金)は賭博や資金洗浄の問題と絡みやすいのは事実です。しかし、メタバース業界は規制側と議論を重ね、健全な決済システムの枠組みを作ってほしいところです。

intermission:えぬえふてぃー?

最近何かと話題のNFT。なぜかメタバースとペアで語られることの多いこの技術ですが、「メタバース進化論」や「さよならアトムの時代」ではどのように取り上げられているのでしょうか?

メタバースがこれとセットで語られることも多いですが、現時点ではメタバースはNFTと直接関係はありません。メタバースとされるサービスの中にはNFTが使われているものもありますが、別にNFTやブロックチェーンを使わなくてもメタバースは構築可能です。

『メタバース進化論――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』
第1章 メタバースとは何か

生活の場として使われる主要な空間プラットフォームと、投機の対象としてのNFTファーストな空間プラットフォーム。
メタバースの実現をめざしてこれから発展していくため将来的にどうなるかはわからないが、これらを一緒くたにして「同じようなもの」として認識してしまうと、実態と大きくかけ離れた理解になってしまうので気をつけたい。

『メタバース さよならアトムの時代』
第2章 メタバース市場とそのプレイヤーたち

はい、バッサリいってますねー。
それでも「さよならアトムの時代」の方は、NFTによるクリエイターの復権という内容で、それなりのページを割いてNFTの活用方法を語っていたり、Play-to-Earnなどにも触れています。とは言っても、どちらもメタバースとは直接関係はないが、今後ビジネス的に押さえておきたい分野、といった扱いですね。

対して「メタバース進化論」はほんとにバッサリです。NFTがメタバースとペアで語られることが多いから仕方なく取り上げた感がひしひしと漂ってきます。
「メタバースはNFT・ブロックチェーンのことではない」という節でばっさり切り捨てた後はSteamでNFTの取引が禁止されたという話が2回出てくる以外は全く言及されていません。

どちらの著書もNFTとメタバースを無理に結びつけていないという点で、とても誠実な内容だと思います。

おわりに:ボクが夢見るメタバース

ここまでに取り上げたテーマ以外にも、「メタバース進化論」でも「さよならアトムの時代」でもそれぞれ興味深い話題が語られています。
しかし、それらのテーマすべてについて触れようとすると、noteの記事としてはあり得ない分量になってしまいますし、ボクもそろそろ疲れてきました。

ということで、最後に、「メタバース進化論」で語られているメタバースの将来、「さよならアトムの時代」で語られているメタバースの将来、そしてボクが考えるメタバースの将来をまとめて、この記事を終わろうかと思います。

人が夢見るメタバース

ねむさんはメタバースが広まるために必要なものを「メタバースで生きていく覚悟」だと述べています。
覚悟を持って社会の価値観をアップデートすることで、「ホモ・サピエンス」が物理現実という軛から解放され、アイデンティティの自由を得て、新しい文化・経済を作り、やがては自分自身の肉体からも解放され「ホモ・メタバース」に進化する。「メタバース進化論」から読み取れる「メタバースの住民が夢見ているメタバース」はそんな未来であると感じます。

神が夢見るメタバース

加藤氏は主に経済的な観点で、物理現実とデジタル(メタバース)の主従関係が逆転し、物理現実がメタバースのために存在するような未来を考えているようです。
流石に経営者視点だけあって、ねむさんほどドラスティックな変革を考えているわけではないようですね…と思っていたら

肉体から解放され、物質と決別することができたとき、人類は初めて無限の可能性を手にするはずだ。

『メタバース さよならアトムの時代』
おわりに

神よ!! 貴方もか!!!

やはり、メタバースに魅せられると、最終的には物理現実からの脱却を夢見ることになるようです。まあ、この方、「はじめに」で「自分の身体が邪魔だったのだ。」とか言ってるくらいですから、こうなりますよね…

それでも、メタバースによってこの不自由な物理現実からかなりの部分で脱却できる、「さよならアトムの時代」で語られている「メタバースの神が夢見るメタバース」はそんな未来のようです。

ボクが夢見るメタバース

さて、この2冊を読み終えた今、ボクがどんなメタバースの将来を予想しているかというと、実は少々悲観的です。

経済性という観点で言えば、加藤氏のようなメタバース運営者がビジネスを推し進め、ねむさんやボクたちといったメタバースの住民がそれを後押ししていくということで、それほど不安はありません。

倫理や法律といった面での物理現実との衝突は、議論に時間はかかるでしょうが、いずれ解決されるでしょう。

ではボクが何を心配しているのか。
それは、メタバースの根幹をなす計算リソースです。

快適なメタバースを実現するには、非常に多くの計算リソースが要求されます。今でさえ、サーバー、クライアントともにかなりの計算リソースを消費していますが、メタバースでの体験は完璧には程遠い状態です。
今後、メタバース体験のさらなる向上を図るためにより多くの計算リソースが必要になるだけでなく、メタバースが一般化しメタバース人口が増えれば、人口増に応じた計算リソースの追加が必要となります。
さらに、世の中を見渡せば、AI、ブロックチェーンなどメタバース以外の技術も多くの計算リソースを必要としており、いまや必要とされる計算リソースの総量はうなぎ登りです。

それに対して、計算リソースの根幹を支える半導体技術はどうでしょうか?
これまで半導体の進歩を支えてきたムーアの法則はすでに虫の息です。プロセスの微細化が進んでもワットパフォーマンスは向上せず、最新のハイエンドGPUは600Wの電力を要求する暖房器具と化しています。
いずれデータセンターは地域の暖房センターを兼任し、家庭用のPCは部屋の暖房器具を兼任するという時代になるかもしれません。冬は良いですが、夏は地獄ですね…

果たしてこの状況で、数千万人、あるいは数億人に快適なメタバースを提供するだけの計算リソースが確保できるものでしょうか? ボクがメタバースについて一番心配しているのがこの点です。

とはいえ、これまでも技術的な困難を乗り越えて新しいフロンティアを切り開いてきたのが人類の歴史です。
メタバースという次のフロンティアのために、このような技術的困難を乗り越えることはきっとできると信じています。

そして新しいフロンティアで、人類は物理現実から解放され、純粋な知性体としての活動に専念できることになるでしょう。

メタバースで生きよう!!

addendum:まだまだ語り足りないけど…

この記事で取り上げなかったけれど、それぞれの著書で興味深いと思うテーマをメモとして残しておきます。

「メタバース進化論」
ソーシャルVR国勢調査の結果をもとに、メタバースの住民の実態が考察されています。
その中で、お砂糖、バーチャルセックス、ファントムセンスといった、今までメタバースの住民しか知り得なかった秘密の花園の実態を垣間見ることができます。

「さよならアトムの時代」
突然マニアックに語られる「計算の歴史」。コンピュータは人類を計算から解放したのではなく、「計算を人類から解放した」という見方がとても素敵です。

2冊ともメタバースを語るうえで欠かせない名著です。未読の方は、是非ご一読を!!


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