オタクが「さようなら」について1日中考えていた話。

母と朝のTV番組『はやあさ』を見たのが事の発端だった。
「日本語の『さようなら』って、ほぼ使わんよね?」
別れの挨拶としては英語なら "See you"、中国語なら "再見" あたりが一般的なんじゃないかと思うのだが。これを日本語に直訳するなら「また会おうね」となる。「またね」なら日常的に使う言葉だが、「さようなら」で別れる場面なんて私はほぼ見たことがない。じゃあ「さようなら」って何ぞや??? ってのが私の疑問の始まりだった。

Twitterのフォロワーさんにも協力していただいてアンケート取ってみたら(90名以上が回答くださった。ありがたや)友人知人と別れる時に「さようなら」を使う人は0%だった。ゼロパーセント!? ってことはやはり、さようならって死語なのか!?

そう思った私は、これを早速【Hello Talk】の投稿ネタにしてみた。Hello Talkってのは平たく言ってしまえば言語交換用アプリなので、私は平易な英語と日本語で、おおよそこんな感じのことを書いた↓

「英語の "Bye-bye" は日本語だと『さようなら』と訳せると思うが、ほとんどの日本人は日常的に『さようなら』という言葉は使わない。別れ際には英語の "See you" に当たるだろう『またね』を使う方が多い。ただ、幼稚園の子ども達は、先生に『さようなら』という言葉を使う。」

そしたら英語圏の方からツッコミが入った。

「日本語の『さようなら』は英語だと "Bye-bye" より "Farewell" に近いと思う」

ここで私の頭に疑問符が飛んだ。Farewell!? それって、Farewell song(By.逆巻シュウ)の!?
その言葉の意味は知ってたけども、てっきり形容詞だと思って覚えていたよ。逆巻シュウのせいで(※彼は悪くない)

そこで私はそのツッコミを入れてくれた英語圏のユーザーに聞いてみた。その言葉、実際に使うことはある?と。
そしたら彼は教えてくれた。「その相手と恐らく二度と会わないと解ってる状況だったら使うかも」と。

もし、目の前にいる相手と、これが今生の別れになるだろうとうっすら解っていたら。
今の日本でも「さようなら」と言うだろうか? 個人的には、言わないと思う。
もう会えないだろうと解っていても「またね」とか、あと「体に気をつけてね」とか、そんな感じになるんじゃないかという気がする。

ドラマにしても違和感あると思う。例えば時代は太平洋戦争真っ只中、出征してゆく幼馴染みに向かって…とかならば話は別だけど。それでもよっぽど大時代物っぽい演出しないと、やっぱり変な感じがすると思う。
小説なら文体によっては、ギリ許される感じ? 例えば「浪々と続く雪の中、汽車はあまりにも緩慢に始動す。花子は冷えた窓枠に己がぬかを押し当てて零した。『……さようなら。』」とか、そんな感じだったら違和感ない(個人的には)が、現代的でカジュアルな文体の中で登場人物が「じゃあ、さようなら」とか言い出したら何かと思う気がする。

そんな「さようなら」だが、我ら現代人が日常的に使う場面もある。そう、上にも一度書いたとおり、幼稚園では園児達は高確率で先生に「さようならー!」と言って下校するだろう。当たり前だが先生とは明日以降も会う。そこに、もう二度と会わぬ、という予感めいた意思は含まれない。

結論:日本語の「さようなら」は英語の "Farewell" ともちがう。

じゃあ「さようなら」って何だよ!! というのを考えるのに、私はこの日ほぼ丸1日使ったと思う。幼稚園児は日常的に使う、小学生も恐らく使う、そして大人になるにつれ徐々に使わなくなってゆくのだが、それは「さようならって子どもの使う言葉だよね」という理由では、決してないのだ。「ぶーぶー」が「車」になり、「まんま」が「ご飯」になるのとは全く違う理由でもって「さようなら」は使われなくなってゆく。

とはいえ、「さようなら」が自然に使われる場面もある。例えば創作物のタイトル。さようならの向こうに、とか、さようならの代わりに、とか、そういうタイトルの歌や映画なんかは探せばゴロゴロ出てくるんじゃなかろうか(これらは今書きながら私が考えたやつだが既に世に出てる作品名と被ってる気がしてならない)
あとは例えば極々真面目な放送局の極々真面目な特番なんかのシメで、司会者が「それでは今日の特集はこれにて。皆様さようなら」なんて言うこともあるかもしれない。これなら違和感ない(と思う)

でも日常的口語では、やっぱり、ほとんど使われないと思う。
ゆえに私はこれを単純な死語ではなく、文学的な表現なんだな、と捉えることで落ち着いた。

日常的に口語で使おうとするにはフォーマルすぎる、教科書的で文学的な表現。
だから幼少期は「フォーマルな挨拶」のひとつとして「さようなら」と言うように教わるし、だけど決してカジュアルな言葉ではないから、日本語が話せるようになるほどに使わなくなっていく。けれど死語ではないし、文学的で文語的というだけだから、主に芸術系やエンターテイメント系の作品内でテキストとして用いられることは多々ある。

上記の結論を母親へと報告しながら、ついでに最近(英語学習用に)聞いているPod castの話をした。日英バイリンガルの方が発信してくださっている番組なのだが、それのかなり初回に近い回で、彼がこんなことを言っていたのだ。
「日本語を少しずつ覚えていた頃(※彼はアメリカ生まれである)『尋常でない』という言葉を覚えた。これは『とても普通じゃない』という意味だったので、私は『尋常』=『普通』として使えると思ってしまった。そして会社の同僚に今日の予定を聞かれ、満を辞して答えた。尋常です!と。普通です、の意味で言ったつもりが通じなかった。大きなミスをしたけれど、『尋常でない』と言う言葉は一生忘れないと思う(※以上は私の意訳です)」

要は「言語を学ぶ上で、ミスは恐れるな! ひいては一生モノの記憶になる!」ということだったのだが、この「尋常」という言葉でもって私と母はひとしきり盛り上がった。

私「イヤしかし『尋常』って言葉も厄介だよね。日本語ネイティブならともかくさあ…これ『尋常』=『通常/普通』という意味があるというのを知ってる上で『尋常でない』っていう否定形でしか使わないわけじゃん?」

母「でも口語でも『尋常でない』はあまり使わないよ。普通に話してて『ねえねえ、今日ちょっと尋常でないことが有ってさあ』って言う?」

私「……言わんね。小説ならおかしくないけど。『教室に飛び込んできたタケシくんは、尋常でない様子だった』とか、べつに現代日本が舞台でもおかしくはないよ」

母「あ。そういえばお祖父ちゃんの時代には小学校のこと『尋常小学校』って言ってたよ」

私「!!???」


TO BE CONTINUED.....

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