完璧すぎる自分が怖い宇宙人の話(運命が一つ違えば人間になれたかも)
頭の中がとっちらかっているので、整理したくnoteを書きます。
これまでの経験からすると、昨日が満月だったからかホルモンバランスか気象病か・・・一気に書き上げているので(とにかくアドレナリンに左右されている気配があるので)支離滅裂であることは承知です。
「完璧すぎる自分」とタイトル付けしましたが、決して、「私は完璧な人間」ではありません。「完璧な人間」になりたいとすら思っていません。決して。もしいつか「自分は完璧だ!」と思うことがあれば、それは私が死ぬときです。このことに関し、私は一切ネガティブな気持ちはありません。完璧になってしまったら、それは私の死を意味します。人生の最終地点。ということです。
その辺りの感覚が、自分は宇宙人だと思っているところに繋がります。青い血が流れていると思っています。出生の背景にもよるのですが、一人っ子のB型だからとコミカルに捉えることもできます(あくまで話の種。まぁ、そういうこともあるかもしれません)。
いいのです。
宇宙人だっていいのです。ただ先ほど、自分以外の宇宙人に出会い、救われました。もともと自己肯定感が高く自尊心も持っているガチポジ人間(宇宙人?)の私ですが、どこか孤独を感じていました。それが日常で普通で、これまでもずっとそうでしたし、そういうものだと思っていました。人と違う自分を誇らしくもありました。誇らしく思わないと「ヤッテランネー」という部分もあったかもしれません。
学生の頃、旧友に「社会適応能力がうまれた」というようなことを言われました。宇宙人として生きてきた私が、「社会」というものになじむ術を身に着けたということです。あなたの目から見て、私は不適合だったんかい。
完璧であることは危険です。私にとって、恐怖です。
もし完璧な私を誰かが否定してきたら。
打ち砕かれ生きていくことは不可能でしょう(ここはネガティブ)。だからこそ、自分に満足せず常に伸びしろを残し、生きる理由を作り出しているのです。完璧になれないことは私が生きる意味でもあるのです。
これを人に話すと「完璧主義だね〜〜」と言われることがありますが、そうではありません。ただ、人が心に思うことは止められませんからそのように評価・判断されても仕方ないですね。宇宙人としての適応能力、処世術です。
調べ物をしていたときに
「運命が一つ違えば」
というワードがでてきました。いい。いいね。
運命でも偶然でも必然でもいいのですが、人生の交差点に立ったとき、そこには何が見えるのでしょうね。誰がいるのでしょうね。ただすれ違ったり視線を合わせたり、肩をぶつけたり。声を掛け合うかもしれません。ちなみに今日、私は宇宙人と出会いました。交信しました。
彼女も「私は完璧」と思ったり自分に満足度100%を出すことはなかったそうです。その彼女が、なぜ、100%を出すことができたのか。
私は完璧さや100%の満足度を出せない理由はわかっていますが、もし出すことができた時の状況や気持ちをまだまだ想像しきれていません。恥ずかしいかもしれない。謙虚さが足りないと思うかもしれない。自分に甘くそんな私はむしろダメだと思うかもしれない。
これからしばらく、「運命が一つ違えば人間になれたかもしれない」そんな私に向き合おうと思います。もし人間だったとしたら完璧を許せるのか。100%を出せるのか。出したその先にはどんな世界が広がっているのか。その交差点からは何が見えるのか、誰がいるのか。
交差点を渡る、眺める、引き返す。それも私次第。
はぁ、スッキリ。書きたいことをかけました。
さ。偏頭痛にやられながら本日も生き延びます。ロキソニンなんて効かない。
大好きだよ、愛してるよ。ごきげんよう。
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