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ルックバック

各方面から賛辞止まない藤本タツキの話題作、「ルックバック」をようやく見た。Twitterやインスタに上げるには臭すぎて、noteにしては軽薄な感想をつらつら書きます。ネタバレなし!

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結論、評判違わぬ面白いマンガだった。同時に、この作者が藤本タツキ?と意外でもあった。

良かったとこを文字にすると野暮ったくなるので諦めます。でもね、名作や過去のいたたましい事件へのオマージュもある中で、個人的には“藤本タツキ”(という異才)が、このようなある種普遍的な切り口の作品を描いたのがグッときた。それは確か。ファイアパンチと同じ作者とは思えない。

ただ、これが世間から大絶賛されてる、というのは少し違和感。作品ではなく世間の反応に対して。個人的にはストライクだし、先述の通りどこか普遍的なものを感じるけど、本当にみんな心から良いと思ってる?って疑ってしまう。「この作品を多くの人に分かられてたまるか!」的な拗らせ思考のせいでしょうかね。鬼退治大ヒットの違和感とはまた違った違和感を感じます。「違」が多いね。

ルックバックに興味を持ったのは、音楽に携わる方々からの好反応がきっかけ。
私が敬愛する高橋國光(österreich,元the cabs )は、この作品を読んでる時スマパン(=the smashing pumpkins)を想起したみたいだけど、ミーハーな私も、特に下記シーン辺りでava adoreを思い出した。

悩めるスマパンの名曲。エモすぎる。上記シーンで2:26辺りを思い出す。ヴォルデモートじゃないよ

これまたミーハー的感性だが、上記シーンでは、ラ・ラ・ランドの最後の30分も思い出した。この手の表現は珍しいものではないし、そもそも少し似てるだけで同じような表現ではないが、なぜかミアがセブズに偶然入ったあのシーンを思い出してしまった。

この作品が有する要素の一つに、「次第に失われていくピュアな熱意」ってのがあると感じた。時には情熱、夢、理想、と呼ばれる類のアレだ。
自分の存在意義≒アイデンティティの確立を試みる少年少女にとって、自己や他者からの承認というのはとても重要な行為だ。それの積み重ねによって、自らの形を手触りで確かめていく。

なーんて、現代文の評論っぽくなってしまったが、簡単に言うと、社会性を身につけると徐々に失ってくピュアな気持ち、あるよね?ってことです。もっと雑に言うと、社会(≒クラス?職場?家庭?)に馴染むために、時には自分を押し殺して、適応することもあるよね、ってこと。この作品でもそんな描写が見受けられる。 

多かれ少なかれ、そして大小はあれど、こんな経験を幾つも味わって、社会に馴染む力とかを身につけていくんじゃないでしょうか。それの代償として、子供の頃あったピュアな気持ちを次第に忘れていくんじゃないでしょうかね。少なくとも自分はそうでした。でも結局、主人公の藤野はそんな私とは違う!ってのがミソ。私がこの作品を好きなのはそんなところだ。

ピュアってなんなんですかね。一途ってなんなんすかね。人の気持ちも自分を取り巻く環境も、悲しい哉、移ろいゆくもんです。でもそれが当たり前な世界の中でも、ほんの一部変わらんものもあるのも真実やと思います。その変わらん部分が、京本にとってはマンガへの愛やったり、藤野への憧れやったりするわけです。藤野にとって、自分を突き動かす、そーゆー変わらん部分ってのは何だったんでしょうね。
(私は京本へのコンプレックスだったんやないかと思ってます。)


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彼の代表作となったチェンソーマンがアニメ化しますが、音楽は牛尾憲輔です。過去の記事でも推してます、あのカッコいい音楽の人です。意訳するとBGMめちゃくちゃカッコいいってことです。オッドタクシーのような隠し玉的ポジションにはならなそうですが、世間の高い期待値以上の作品になるんじゃないでしょうか。勝手に上方修正して心待ちにしてます。

あとどっかで「ルックバック」というのはoasisのDon't Look Back  In Angerともかかっている、なんてのを目にしました。多分違うとは思うけど、もしそうなら良いな〜、なんて妄想をしながら各所の感想を見てました。

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