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納得がいかない犬

納得がいかない。
耳の根元を飼い主に嬉しそうに撫でられながら、ポチは心の中でつぶやいた。いや、本来心の中でつぶやく必要はないのだ。何しろ人間には自分の言葉は理解できないのだから。それでも心の中でしかつぶやかないのはエネルギー節約といったところ。犬の運動量をなめてもらっては困る。

話が逸れてしまった。今大事なのは自分が納得がいっていないということだ。なぜこの飼い主は甘ったるい言葉で自分に語りかけてくるのか。別の人間が赤ちゃんに同じ調子で語りかけているのを何度か見たことがある。つまり自分は赤ちゃんと同じということか?いーや、そんなはずはない。自分の知能や賢明さは到底赤ちゃんと比べられる代物ではないはずだ。それなのに赤ちゃんと一緒にされるのは他でもない、人間が自分たち犬の知能を理解できないからだ。

犬だけではない。どうも人間は自分たち以外の動物には知能がないと思い込んでいるらしい。そんな思い込みは笑止千万だ。そもそも人間の言葉を使わないからといって、自分たちがコミュニケーションをとっていないとみなされているのも、完全に人間さまの視野の狭さの問題だろう。自分たちはちゃんとコミュニケーションをとっている。犬は犬のコミュニケーションをとるし、猫には猫のコミュニケーションがある。意思がないように見える植物でさえも、彼らなりのコミュニケーションをしていると感じることがある。まぁきっと人間には理解できないだろうが。人間は犬の言葉を理解できないが犬は人間の言葉を理解している時点で、どちらがより賢いかは明白というものではないか。

「ポチ、どうした?お腹が空いてるのか?」
…前言撤回。人間には犬の言葉が理解できないが、どうやら”察する”という特殊能力を発揮することができるらしい。まぁそれでも不機嫌の原因についてはちゃんちゃら的外れではあるが。そもそもこのポチという名前も納得がいかない。他のシベリアンハスキーはもう少し格好いい名前をつけてもらっているというのに。さらに犬といえばポチだよねと言わんばかりのこの単純な名前。人間でいうところの山田太郎といったところ。いや、山田さんの名前が太郎なのはむしろ珍しいか。親が普通の感覚の持ち主なら避けるはずだから。でもポチは違う。山田太郎ほどには振り切れていない。そもそも苗字がないから振り切りようがない。

いや待てよ、犬に苗字はつけられないという決まりはあるのか?ないのであれば苗字を得ることでこの残念な状況から脱却できるのではないか?飼い主の苗字は野田。野田ポチ…ダメだ、全然振り切れなかった。ありふれてもいなければ珍しい名前でもない。

「ポチ、どうした。そんな諦めたような顔をして。」
相変わらず察する能力だけは発揮してくる飼い主を一瞥し、ポチはこの人が山田さんという人と結婚して苗字を変えてくれますようにと願った。




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