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隣に座ってもらえない女

「人が乗り込んできた…」
スマホを見ているフリをしながら、夕実は神経を尖らせていた。乗っている電車が駅に着き、人が入ってきたのだ。さて、新しく乗り込んできた人たちはどの席に座るのか…。

みるみるうちに席が埋まっていく。ところが自分の隣だけは、ぽっかり不自然に席が空いていた。最後の一席に座ろうと男性がこちらに来たが、一瞬座るそびりを見せたところで思い直したかのようにどこかへ移動してしまった。

まただめだった…。夕実は心の中で落胆した。また誰も隣の席に座ってくれなかった。いや、でも次の駅こそは…。
東京は駅の数が多い。前の駅を出発したと思ったらすぐ次の駅に到着する。次の駅こそは、きっと…。

わっと乗り込んできた人たちが、皆揃ってちらりとこちらを見てから何処かへ散っていった。おかしい。なぜいつも私の隣の席には誰も座ってくれないのだろう…。

敗北感を抱えながらKindleの読書を再開した夕実は、文字を目で追いながら頭では過去の体験を振り返っていた。だいたい自分が席に座った時、自分の隣に誰かが座ってくれることは稀だ。混んでるときもそう。あまりに座ってくれないものだから、たまに隣に座ってくれる神様が現れると心の中で感謝の言葉を浴びせてしまう。それはそれでバレたら気持ち悪がられそうだけども。

よく、外国の人が電車の席に座ると周りが空席になると聞くことがある。日本は正直日本人だらけなので(イギリス留学から帰国した時は見渡す限り日本人しかいなくて驚いた)、外国人というだけで珍しさから警戒されてしまうのだろう。そんな差別のような現状は変えなければいけないと思う。

しかし今はそんな悠長なことを言っている場合ではない。何しろなぜか私もその警戒される側に立たされているからだ。なぜこんなことに。私はただの小柄で無力な日本人女性ですよ。

おそらく、おそらくだが、自分からはいわゆる「近づくな」オーラが出ているのだと思う。人見知りと人間不信が祟るとこんなことになるらしい。目に見えるものしか信じないと言い張る頑固な人がいるが、実際のところこの世は目に見えないものだらけだと思う。Wi-Fiだって目に見えないものをガンガン使ってるわけだし、毎年初詣に行く人はその行為をどう説明するのか。所詮人間の目に見えるものは限られているわけだが、自分の近づくなオーラは”目に見えないが確実に存在する”類のものになってしまっていると言わざるを得ない。

ここまで考えて夕実は、「諦め」という2文字と向き合うことになった。もうこれ以上の抵抗は無駄だ。よく考えると隣に座ってもらえなくて自分が困ることは何もない。むしろ窮屈な思いをしなくて済んでラッキーといったところだ。なんだ、自分のオーラ便利じゃん!

1年後。最近は2席空けられることが増えてきた。この調子でいけば、ゆくゆくは1両丸ごと貸切にできるかもしれない。期待に胸を高鳴らせながら、夕実は自分の能力に感謝の言葉を浴びせた。

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