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地方でフリーランスのWebディレクターをやる理由(2)

「都会だから中途半端な能力の自分でもWebディレクターの仕事にありつける」という考えは今現在でも基本的変わらない。

僕が地方に行こうというか地元に戻りたいと思った理由はシンプルで「お金」だ。

2020年代に40代を迎えていて20代から業界に足を踏み入れた。この類の人種は基本的に「将来設計は全然考えていなかった人」が多いと思う。2000年当時に「カッティングエッヂ」なカルチャーとしての側面も持っていたWebに対して「未来キター」的な軽いノリというか「面白さ」や「ワクワク」への欲求を優先しちゃう性格でなければ、これからどうなるかわからない業界でやっていこうとは思わないだろう。2000年くらいってヤフーやlivedoorはあったけど、未経験で採用されるのは中々難しかった。

(それを凌駕するくらいWebは面白かったし、新しいカルチャーがドンドン生まれてすごく楽しい時代だったけど)

しょっぱい話になってしまって切ないのだが「日々増える飲酒量」「自分よりもさらにお金を稼ぐことが苦手な妻」「二児の父親としての重圧」といった要因だけでなく、ただ生きてるだけでよくわからないけど冷凍都市東京は生活コストは少なくない。「同情するなら金をくれ!」と家なき子がリアルタイムでやってたティーンズの頃にはわからなかったYO!誰か助けて〜

さらに僕自身の給与も比較的悪くなかったのもまたタチが悪い。(業界誌「WEBデザイニング」の年一特集であるWeb業界のリアル的なやつの年収情報だと、一般的な役職無しのディレクターの平均額より全然マシだったので)

転職はしたけど増えない稼ぎ。

東京って世帯年収いくらあれば子供を余裕もって育てられる?2000万くらい?と全然現実的じゃないことを考えて思考停止する日々。

結果、結婚後は「お金」のことを常うっすら考え続けていた。

サウナブームを牽引した「サ道」ってドラマで荒川良々が、仕事全然うまくいかなくて後輩にもバカにされながら通勤片道2時間半かけながら「でも俺は家族のために頑張ってるからこれで良いんだ」みたいな悟りの境地に達したサラリーマンを演じていたけど、僕みたいなワガママな人間がそれやったら本当に頭狂いそうな気がする。

ある日、お義母さんが病に倒れた。妻は東京出身で両親もそんなに遠くない距離に住んでいたのでお義母さんは子供たちを見に良く来てくれていた。近くで助けてくれる親戚最高!感謝!でもいわゆる不治の病で医者曰く「もう長くない」とのこと。

都会でのコストがかかる生活からいつ降りるか。ベストのタイミングは?大学浪人時代に毎週授業に出席させてもらっていた林修先生言うところの「今」ってやつだなぁと思った。

妻に伝えたところ、助かることに二つ返事で了承を得ることができた。

数ヶ月後の正月にお互いの家の両親に東京から離れることを伝えた。
正月を少し超えた頃に新型コロナが地球上に発生していた。

コロナがどうなるかは誰もわからない未曾有の状況ではあったが、予定は崩さず移動する時期を約1年後に設定した生活が始まった。この1年間の会社員生活はある意味辛かった。

辞めることを決めているのだがすぐには辞めるわけではない。仕事に関してはもちろん責任持って対応したい。どんなに頑張っても「でも僕は辞めるんだよなぁ」という気持ちは拭い切ることが出来ないやり切れない日々。しかるべきタイミングが来るまでは会社の誰にも言うことが出来ない。

逆に1年という期間があり、リモートワークも始まっていたので地元の仕事がないか可能な限り動いてみた。

最初に縁故を使ってWebとは全く関係ない運輸業の小さな会社を訪問して受けた。もうWebとかITの仕事はどうでもいいかなと思っていた。縁故だけあって受け入れてもらるようだったのだがピンとこなかったため謝ってここは辞めた。

次に親友が地元で力を持っている広告代理店にいたので空きがないかzoomで聞いてみた。つい最近Webディレクターの採用が決まってしまったタイミングと伝えられた。そして僕のその時点の年収はその会社では役員クラスになってしまうとも伝えられた。

それから父から「知人の会社でパソコンに強い人材を求めている」という雑というか何を求めてるかイマイチわからない連絡をもらいよくわからないがオンライン面談を受けた。求めているのは社内SEだったので縁故だったけど落ちた。ミスマッチなので致し方ない。

以上が僕の2020年の地元での仕事探しだ。当時は今と比べると日本中がコロナでナーバスな状況だったので「県を跨いだ移動」は抗原検査などが必須のような状況で頻繁に移動は憚られる世相で地元へ移動出来たのは最初の一度だけだった。

地元に帰るタイミングが3ヶ月後に近づいていた。

帰る前に地元での就職を決めるのは無理だと思った。

「副業が出来たらいいなぁ」と以前に刷った名刺のデータの住所を修正して再発注した。

フリーのディレクターを試しにやってみるしかないなと思った。

全然前向きじゃない気持ちで僕はフリーランスのディレクターになることを決めた。

「のび太が就職出来なかったから起業した」って話みたいだなと思った。

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