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涙を流す場所に、本当の自分がいる

世の中には「HSS型HSP」という謎めいた言葉がある。

その言葉をはじめて知ったのは今年の2月。
ある知人のVoicyチャンネルだった。

ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんがゲストで登場しており、彼が専門家から「HSS型HSPの可能性が高い」と言われたという内容だった。「自分が何者かということがわかって、この6文字の英語にめちゃめちゃ救われた」と話していた。

そもそもHSPとは「Highly Sensitive Person」の略で、「非常に敏感な人」のことを指すらしい。

視覚や聴覚に対する感覚が敏感で、刺激を受けやすいという特性を生まれつき持っている人。相手の気持ちを察知して行動したり、物事を深く探究できる半面、ささいなことで動揺したり、ストレスをためてしまう。病気や障がいというよりは脳の特性のようなものらしい。

HSPは「繊細さん」とも言われ、本がベストセラーになったのを思い出した。でも僕はそのタイトルにまったく興味が持てなかった。自分のことではないと思ったからだ。「繊細さん」は、繊細ゆえに奥手のイメージがある。しかし僕は敏感ではあるが行動はアグレッシブだ。

「HSP」にもいくつか種類があるらしく「HSS型HSP」というのは、かなりのレアケースで「刺激追求型HSP」とも言われている。つまり「外部からの刺激に対して非常に敏感だけど、刺激を求めずにはいられない」といった矛盾を抱えた存在だという。

Voicyで初めてこれを知った時、脳内に閃光が走った。
あ、これだ、まさに、自分はこれだ!

ずっと自分のなかで「得体の知れない何か」だと思い込み、苦しんできた性分にちゃんと名前があったこと、そして、それを同じように苦しんできた人がいるという事実に、僕はものすごく心が救われたような気がした。

なーんだ、君はそういうことだったんだ。

Voicyを聴きながら、何度も心のなかでうなずき、気づけば心の奥のほうから、じんわりと涙が込み上げてくる。この時、大阪にいたので、大阪の街を歩きながら涙を堪えて歩いた。はたから見たら相当やばい人だったと思う。

僕の好きな本にこんな言葉があったのを思い出した。

あなたが涙を流す場所に気をつけなさい、そこに私がいます。そして、そこにあなたの宝物があります。

パウロ・コエーリョ著『アルケミスト』(角川文庫)

魔王を倒しにいく勇者の募集に対して、一番ビビってる村人Aが、真っ先に手を挙げて冒険を始めてしまうようなものだ。

危なっかしい。周りの人によく心配されるし、よく助けてもらう。みんな、いつも、本当にありがとう。

つねに刺激を求めて行動し続けるから、周りからはアクティブな人だと思われやすい。しかし、気を遣いすぎて消耗もしやすい。先日、僕と同じように「HSS型HSP」を自覚している人と偶然話す機会があって共感の嵐だった。その人から聞いた話だが、メンタリストのDaiGoさんは「HSP」に対してこう表現したらしい。

「HSPはRPGの中では、ものすごくMPを消費する、強力な魔法だけ使えるキャラクター」

https://youtu.be/QQzKHP66Q64

思わず大きく頷いた。

なるほど、自分は勇者でも村人Aでもなくて、ただの変わった魔法使いだ。

MPをあまり消費しない「メラ」をコンスタントに放てばいいのに、いきなり「ギガデイン」を放って、自分も倒れこんでしまうタイプである。

周りからはその空っぽ状態が気づかれにくくて「ギガデイン」が生み出した仕事の成果だけが印象に残るから、すぐにまた次を期待されやすい。そこで無理して期待に応えようと頑張って、また疲れてしまう。

一番気をつけなきゃいけないのは、MP(精神力)が0でHP(体力)も0の時のコミュニケーションだ。その時に、人からいろいろ強い口調で言われたり、何かを求められたりすると、すべてが責められているように感じてしまい、敵味方関係なく「ミナデイン」を放ってしまう。(具体的には心ない言葉を雷おやじみたいな口調で言ってしまう)相手が嫌いなわけでも憎いわけでもないのに、自己防衛本能で言ってしまう。

ミナデインで自分も相手の心も焼け野原状態になる。圧倒的な後悔の念におそわれる。どれだけ大切な人たちを傷つけてしまったか。本当にごめんなさい。そして許してくれた人たち、本当にありがとう。

MPもHPも0の時は、ただただ時が経って回復するのを待つしかない。そういう時は何も考えちゃいけないし、何も判断しちゃいけない。美味しいものを食べて、自然のなかでのんびり過ごして、温泉入って寝るのが一番いい。別府温泉ありがとう。

もちろん若い頃に比べればその頻度はかなり減った。だが、そのたびに自分の人間性をひどく責め続けてきた。何もやる資格がないと落ち込んできた。誰も知らない国で、フルーツポンチを食べながら本だけ読んで隠遁生活したい願望に襲われる。

でも、刺激を求めずにはいられないから、山小屋でのんびり暮らす代わりに、赤坂のマンションに住んでしまう。まさにそれこそがHSS型HSPの特性だと知り、謎が謎ではないのだと悟った。

なーんだ、もっと早く君のことを知っておきたかったよ。

正直、学校で習う化学記号や五段活用なんかよりもっと早く「HSP」を習いたかったし、「保健だより」のプリントを配る前に「HSPの人とどう付き合えばいいか」のトリセツをみんなに配って欲しかった。でも過去を悔やんでも未来は変わらない。人生は前向きにいかなくちゃ。

もちろん、この特性のおかげで、恵まれたものもたくさんある。映像をつくることも、新しいサービスを生み出すことも、この性分があってこそ生み出せている部分もあると思う。良いところも悪いところも全部を受け入れて、あるがままの自分を肯定できるとき、それはきっと「宝物」になるような気がした。

話は変わり、先週末、3年ぶりに自分が経営する会社のパーティが開催された。スタッフたちが企画してくれた。

久々にみんなに会えて嬉しい反面、つまらなそうにしている人がいないかずっと気を遣ってしまう自分がいた。

無事にみんなが楽しんで帰ったのをみてホッとし、駅に向かう時、映画カメラマンの各務(かくむ)くんが、僕と友人のチャーリー・ホッパー君が歩いているところをiPhoneで撮ってくれていた。

左が僕、右がチャーリー・ホッパーくん

自分で言うのもなんだが、とてもいい写真だと思った。これが僕の本当の素顔だ。自分の映画があるとしたら、これを映画のジャケットに使いたいくらいだ。

もちろん、パーティで久々に仲間たちに会えて嬉しかった。

ここに参加していない人もたくさんいるけど、彼らも含めて、いい仲間、いい友達、家族に恵まれているからこそ、僕は生きていけるのだなと改めて思った。

みんなへの感謝の気持ちが込み上げる。noteを読んでくれる皆さんも、いつも、本当にありがとう。

そして今回のnoteの投稿が、HSPに限らず何らか生きづらさを感じて苦しんでいる人のお役に立てたら嬉しいです。

(注:ちなみに僕自身、専門家に診てもらったわけではないので必ずしもHSS型HSPかは分かりません。あくまで僕がVoicyを聴いて勝手に共感し、勝手にそうだと思い込んで書いただけの内容であることをご了承ください)

追伸
僕にとっての福音だったVoicyはこちらから聴けます。


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