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抜けない脚

ナチュパラの事務所には1つの大きなテーブルがある。

円であることにこだわって創業初期に買った。
上座も下座もない、上下関係のないものづくりを意識したものだ。

だが、お正月に思い描いた壮大なビジョンは
大抵2週間後には思い出せないのと同じように、
購入動機の哲学は誰にも浸透することなく、
何なら購入者さえその思いを早々に忘れ、
単に「丸いテーブル」という機能だけが残り、
みんなの仕事場として、打ち合わせの場所として、
ナチュパラの事業を支えてきてくれた。

来月に事務所を移転することが決まり、
テーブルをいざ運搬しやすいように脚を外そうとしてみた。

木のねじ穴に木のねじをはめ込むようなタイプの宮大工的仕事のおかげか、
2本だけどうしても脚が抜けない。

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僕や他のスタッフが「力くらべ」と言わんばかりに挑むが、
しばらく無言での対峙が続き、その後、決まって、
「あああぁぁぁ」という情けないため息とともに地べたにへたり込む。

表面では「ものづくりの前に人はみな平等である」ことを
優しい肌触りとともに教えてくれた道徳の先生的テーブルが、
裏面では「脚外しの前に男としての強さがあるか否か」を
容赦なく試してくる熱血体育教師的テーブルだった。

僕ら文化系男たちは容易に諦めた。
こんなに諦めが早くていいのかというくらい早々に諦めた。
ラグビー部出身のスタッフも抜けないところを見て、
「だよね」と少し安心する自分もいた。本末転倒である。
抜けない姿を見たいのではない。
脚をくるくると回して外したいのだ。

でも8年ほど使ってきて、ここまで脚に目を向けることもなかった。
これほどの強烈なめり込みが、脚と天板の一体化が、
ナチュパラ8年の歴史の重みを感じさせた。

「俺はまだ現役だぞ」「役目は終わってないぞ」と
主張さえしているようである。

大丈夫、君は、また新しい場所でもきっと活躍してくれる。
外したくないなら外さなくていい。
君は君のままでいい。
君がありのままの姿で運ばれるのを見て、
誰かはクスクスと笑うかもしれない。
いいじゃないか。
笑いたい奴には、笑わせておけば。
そいつはナチュパラを支えた8年の歴史を知らない。
知らせる必要もない。
むしろ脚が2つついてるほうが、運びやすいじゃないか。
天板だけ運ぶんじゃ危ないよな。
そこまで君は僕らのことを考えてくれてるんだね。
ありがとう。
行こう、どこまでも行こう。
2本の足をひっ提げて。

・・・と、ポエムな世界に逃げてみる。
現実の問題は解決されない。

ポエムは心を柔らかくはしてくれるが、
ねじ穴までは柔らかくしてくれないようだ。

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