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「囀る鳥は羽ばたかない」 第46話を読んだ今、矢代と百目鬼の関係を再考する

 第46話で矢代と百目鬼の関係は大きく転換した。
 私は今の矢代の苦しみを、この先矢代が救われ、幸せになるために必要な過程だと考えている。(第46話感想 その2 参照)
 7巻以降、なぜ二人の立場と関係性が変わる必要があったのか、1巻から読み直し考えた。

 第45話の終わりで、井波と遊ぼうとする矢代を百目鬼が強引に引き留める。(矢代と井波が7巻以降もセックスしているのかどうかは、はっきり描かれていないのでまだわからない)

百目鬼「そんなに男が欲しいんですか?」
矢代「ああそうだ。悪いか」
百目鬼が矢代の体を左腕で抱きかかえる。
矢代「放せよ。この…」
百目鬼「じゃあ 構わないですよね。あいつじゃなくても」

 この場面を読んだ時、私は百目鬼の変貌ぶりに驚くとともに、3巻第15話を思い出した。

 刑事に呼び出された矢代がホテルの部屋に入る前、百目鬼に

矢代「セックスしに来ただけだ。邪魔だから待ってろ」
  「見たいなら見ててもいいけど、前みたいに止めたりすんじゃねーぞ」

 と言う。百目鬼は、矢代が心配でも止めることができなくて、困ったように俯いていた。

百目鬼「……じゃあ、部屋の外で待ちます。何かあったらすぐ入れるよう鍵を開けておいて下さい」
矢代「ふぅん、見ねぇの? 前は平気だったよな? 心配なら中で待ってりゃ済む話だろ?」

 この後、矢代は百目鬼に対する複雑な感情を持て余して、自虐的に百目鬼を茶化しながら煽るのだけど、百目鬼は

「見たくありません。でも、やめて欲しいとは言えません。それがあなたのしたいことなら、仕方ありません」

 と答える。矢代と井波がセックスしている部屋のドアの前で、悔しそうにこぶしを握り締めて立っている百目鬼が、可愛そうでたまらなかった。

 45話を読んだ直後、私は力尽くで矢代を止めることができる百目鬼よりも、矢代を止めたくても止められなかった3巻の百目鬼の方がよかったなと感じていた。

 しかし、46話を読んだ後、もう一度3巻第15話のこの場面を読んで、百目鬼に「見たくありません。でも、やめて欲しいとは言えません。それがあなたのしたいことなら、仕方ありません」と言われた時、矢代は寂しそうな、残念そうな顔をしていることに気づいた。

 矢代は、この時こそ百目鬼に止めて欲しかったのではないだろうか。45話、46話のように。

 なぜなら矢代は、本当は男とセックスなんてしたくないのに、それを自分では止められないでいるのだから。
 決して≪それがあなたのしたいこと≫なんかではないのだ。

 矢代は、「百目鬼、お前は俺を止めないんだな」とがっかりしているように見えた(矢代はそんな自覚はないのだろうけど)。


 私は、6巻までの、互いに惹かれ合う気持ちを上下関係の制約と矢代の性格のために、何とか抑えている二人にときめいていた。
 百目鬼が部下という立場から、矢代に言いたいことを言えないところや、盲目的に矢代に従うところにキュンとしていた。

 男同士の間に「愛なのか情なのか」わからなくなるほどの強い絆があるヤクザ社会という設定の中で(三角、黒羽根、平田の関係も随分濃厚だ)、百目鬼が矢代を慕うすべてのシーンに私は感動していた。

「俺を側において下さい。何でもします。あなたの側にいられるなら。こんなに誰かに惹かれたことはありません」(1巻第3話)
 側にいたい なんでもする 否定もしない
 だからずっと近くに置いて欲しい 
(2巻第6話)
「自分はそういう立場にありません。頭の手足になり、頭の望むことをするだけです」(3巻第12話)
「頭がやれと言うのならやります。なんでもやります」(4巻遠火)
 (百目鬼にこう言われた時、矢代は微妙な顔をしている。「それほどまでに想われて嬉しい」とは明らかに違う。真っ直ぐに自分を慕う百目鬼を哀れに思っているような、どこか寂し気な表情…。)


 これらすべてのシーンでときめいた。矢代に心酔し、どこまでもついていこうとする百目鬼。ヤクザの世界ならではの、忠誠なのか愛なのか判別のつかない執着。
 これが「囀る」という物語の魅力の一つだと思っていた。


 でも、矢代の立場に立って考えると、「盲目的に矢代に付き従う百目鬼」では、ダメなのかもしれないと気づいた。

「側にいたい なんでもする 否定もしない だからずっと近くに置いて欲しい」、そんなワンコ百目鬼を可愛いと思っていたけれど、これは、百目鬼が矢代の側にいたいという自分の気持ちを優先して、矢代の言うことやすることがたとえ間違っていたとしてもすべて黙認して否定しない、という自分勝手な感情のように思えてきた。

 真に矢代のことを想うなら、矢代が自分を傷つけるような言動をした時に、矢代に嫌われることになっても矢代にぶつかって、止めなければならないのではないだろうか。
 部下である百目鬼がそんなことをしたら、矢代は怒って容赦なく首にしたのかもしれないが、矢代の心にはそっちの方が響いたのではないだろうか。

 今まで唯一、矢代のためを思って意見を言えたのは影山だと思うが、矢代は影山と一定の距離を置くことで関係性を保っているので、結局影山の言うことを聞かない。

「頭の手足となり、頭の望むことをするだけです」

 このセリフも、私は「それほど矢代が好きなのか」とキュンキュンしながら読んでいたけれど、矢代はそんなの嫌なのかもしれない。百目鬼に手足になんてなって欲しくないだろう、たぶん。
 
 矢代は自分の自虐的な行動を、否定したり、止めたりしてくれる人を必要としている。
 そういう視点で考えると、今までの百目鬼は「矢代の側にいたい」という気持ちを優先したために、矢代を救えなかったように思う。


 もしも、竜崎が矢代の相手役だったら、と考えてみる。
 竜崎は矢代より2歳上で年も近いし、松原組の組長だから真誠会若頭の矢代とは兄弟分で、ほぼ対等な立場にある。
 竜崎なら、矢代が井波や他の男と寝ることを止めるだろうと思う。もともと矢代に意見を言いやすい立ち位置にいる。矢代が竜崎の言うことを聞くかどうかは別として。

 一方で百目鬼は、矢代の部下で11歳も年下だ。普通に考えて、矢代を諭したり、他の男と寝るのをやめてくれと言ったりできないだろうなと思う。
 百目鬼は矢代の行動を否定したり、止める立場にはない。そんなことをしたら、矢代は自分を拒絶し、遠ざけるだろうから、矢代の側にはいられなくなる。 
 そういう立場の差、ヤクザ社会での上下関係と言うのが、矢代と百目鬼の間の大きな制約であり、魅力でもあった。

 百目鬼が矢代のすることを否定しても、矢代に捨てられない立場にならなければ、矢代の側にはいられない。ワンコ百目鬼は可愛いくて大好きだったけど、あのままでは矢代を変えて救うことができないから、7巻以降の百目鬼になったような気がする。


七原「もしさ…もしガキが望まねえ形でんなことしてたんなら、そうじゃねえもんもねじ曲げられてそうなるかもしんねえよな」(以下の引用は6巻 飛ぶ鳥は言葉を持たない)

 七原のこの言葉を聞いた百目鬼は、自分とした後に矢代が涙を流したことを思い出す。
 この時、百目鬼は、矢代が男とセックスしたくてしているのではないことに気づいたのではないだろうか。

七原「あの人にとって男とヤんのは タバコみてえなもんなのかもな。やめたくてもやめらんねぇ」

 矢代にとってセックスが自傷行為なのだとしたら、不特定多数の男と愛のない痛いセックスを繰り返すことで安心感を得ているのならば、矢代はもう自分で自分を止めることはできないだろう。

 アルコールや煙草や麻薬などを自分の体が壊れることがわかっていながらも過量に摂取して依存するようになると、自分一人の力でそこから抜け出すことは極めて難しい。
 矢代の場合はアルコールや薬物の依存症よりは、リストカットなどの自傷行為の方が近いのかもしれないが、いずれにしても、通常であれば精神科医やカウンセラーなどの力を借りた治療が必要になってくる。
 矢代に病識がない以上、自分から治療しようなどとは思わないだろうから、医療ではなく誰かの助けが必要になる。

 矢代を助けられるのは、百目鬼しかいない。

 三角は矢代を可愛がっていて、竜崎は矢代に惚れていて、影山は高校時代からずっと矢代を気にかけ心配していて、七原や杉本は矢代を慕っている。
 でも、今まで一体誰が、本当に矢代のことを考えて、矢代が自分を守るために着けている鎧を剥ぎ取って、矢代を傷つけてでも助けたいと思うほど矢代を愛してくれただろうか。
 義父から性的虐待を受け、母からはネグレクトされ、家族から愛情を受けられずに育った矢代。
 こんなに綺麗で色気があって、矢代に惹かれる人はいっぱいいると思うのに、まともな恋愛はもちろんデートすら一度もしたことがない。
 唯一惚れた影山には、拒絶されて傷つくのが怖くて(自分が男だから絶対に受け入れてもらえないと思っていたのもあるだろうが)、好きだと伝えることもできなかった。

 矢代は、百目鬼が自分を好きなことをちゃんとわかっていただろうし、自分が百目鬼に惹かれていることも自覚していたと思うけれど、百目鬼を受け入れて自分が変わってしまうこと、百目鬼を失えなくなることが怖くて、結局拒絶してしまう。
 矢代はまだ、損得抜きで自分を大切にしてくれて、心から愛してくれる人と、本当の意味で関わり合ったことがない。
 傷つくのを恐れて、人を愛することを諦めてしまっている。

 矢代に全力でぶつかって、矢代を理解し、愛し、過去の痛みと苦しみから救い出せるのは百目鬼だけなのだ。

 百目鬼が矢代の部下だった頃は、矢代を変えて自傷行為を止めさせることができなかった。
 7巻以降で百目鬼が矢代の部下でなくなったのは、矢代と新たな関係を築き、矢代の自虐をやめさせて、矢代を救うためなのだろう。
 矢代はそういう百目鬼を待っているように思う。

 ただ、そこまで考えても、やっぱりまだ、私は7巻以降の百目鬼の態度を理解することができずにいる。

  今後百目鬼とセフレ関係になることによって、矢代は百目鬼を愛している自分に気づき、百目鬼の愛を求める自分を受け入れざるをえなくなると私は予想している。
 だが、そうなるようにわざと百目鬼が仕向けている、演技をしているとは考えていなくて、百目鬼の意図は別のところにあるけれど、結果的にそうなってしまうのではないかと思っている。
 ただ、まだ百目鬼の意図はよくわからない。

 百目鬼は矢代と体だけの関係になることで、「本当は男とするのが嫌なんじゃないですか?」と矢代を追い込むつもりなのだろうか。
 矢代に目を覚まさせて、心の傷と向き合わせるために、「誰でもいいのかと思ってました」なんてひどいことを言うのだろうか。
 逆に矢代が百目鬼にひどいことを言う場合には、その気持ちがよくわかったのだけど。

 百目鬼はもっと素直な性格だと思っていた。(今は仮面をかぶっているのだろうが)

 百目鬼はもう矢代の部下じゃないんだから、一人の男として「愛しています。他の男としないでください」ではダメなのだろうか。
 今の矢代なら、なびいてくれそうだけど。 
 まあ、そう簡単にはいかないところが、「囀る」最大の魅力でもあるのはわかっている。

 今の百目鬼は本音を隠していて、私が納得できない言動も最終的には矢代を救うことに繋がるはずと信じていても、私は7巻以降の百目鬼をまだかっこいいとは思えなくて、6巻までの可愛い百目鬼の方が好きだ。

 でも、矢代は再会して変わった(ように見える)クールな百目鬼を、すっかり好きになっているようだ。(矢代がいいなら、それでいい)

 やっぱり人って、思い通りにならない相手の方が気になるじゃないですか。「何だよコイツ」っていう取っ掛かりがあって初めて、相手のことが気になっていく。(ライブドアニュース インタビュー 2020.3.6)

 というヨネダ先生のお考えが表れているのだろう。


 矢代の部下である百目鬼が可愛かったし、上下関係のしがらみの中で、もがきながら惹かれ合う二人が好きだった。
 だからこそ、百目鬼が矢代の部下でなくなってしまったことを残念に思っていたけれど、矢代が変わるためには、二人の関係が変化するしかない。

 7巻第42話で

綱川「人は‟変わるもの” ‟変われるもの”どっちだと思う?」
矢代「どっちしかないなら‟変わるもの”…ですかね」
綱川「俺は‟人はどうせ変わらない”派だ。てっきりアンタもそうだと思った」

という禅問答のようなやり取りがある。

 初めはこの会話の必然性がよくわからなかったのだけれど、46話を読んだ今は、≪矢代はこれから変わるし、変わることができる≫ということの布石だったのではないかと考えている。

 ワンコ百目鬼を懐かしく思う気持ちは消えないけれど、矢代と百目鬼の新しい関係が楽しみになってきた。

 すべてが、矢代と百目鬼の幸せな未来に繋がっていると信じている。

 




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