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腐女子が読む呪術廻戦 本誌236話 感想その2・考察編

注:ネタバレを含みます。 感想その1はこちら


五条悟の死


 寝ても覚めても、五条先生の最期の姿が頭から離れない。

 高専時代に戻った悟の幸せそうな笑顔と、虚ろな瞳を見開き、口から夥しい血が溢れてもなお美しい死に顔が、代わる代わる瞼の裏に現れて私を混乱させる。

 236話読了直後は五条先生の死が受け入れられなくて、作者芥見先生に対して批判的な意見も書いた。

 でも、私がこれほどの喪失感に苦しむのは五条先生を愛しているからであって、こんなにも好きになれる作品とキャラクターを生み出してくれた芥見先生にはやはり感謝している。

 先生がいなければ、私は「呪術廻戦」にも五条先生にも出会うことができなかったのだから。

 時間が経って少し気持ちが落ち着いたので、五条先生が復活した221話からジャンプ本誌を読み直し、改めて236話について考えた。

五条先生はきっと戻ってくる

なぜ空港なのか


 236話は高専時代の姿に戻った悟が、空港の出発ロビーで夏油傑と話す場面から始まる。
 察しのいい方なら、1ページ目で五条悟が死んだことを理解したはずだ。

 空港に登場する夏油、七海、灰原、夜蛾、天内、黒井、禪院甚爾は、すべて作中ですでに亡くなり、かつ悟が高専時代に出会った人々だ。
 同じく死亡したと考えられている釘崎、九十九たちはいない。

 この時点で、ここがただの死後の世界ではないと感じた。
 悟にとってこの空港は、戻れない青い春=過去に由来する場所なのだ。

 七海がかつて冥々から受けたアドバイスを口にする。

新しい自分になりたいなら北へ、昔の自分に戻りたいなら南へ行きなさい」

 そして、七海は移住先として「迷わず南国(マレーシア)」を選んだ。
 だが、ここはまだ南国ではないし、高専時代に悟たちが旅した思い出の沖縄でもない。
 各所に旅立つ人々が飛行機を待つ、空港の出発ロビーだ。

 悟たちはこれからどこかに行こうとしている

一人称の変化


 2ページ目で悟は「頼むから俺の妄想であってくれよ」と、高専時代のように自分のことを俺と呼ぶ。
 しかし、4ページ目以降は「僕」に戻り、最後は「これが僕の妄想じゃないことを祈るよ」と言う。

 この一人称の変化は何を意味しているのだろうか。
 夏油との会話中に変化しているから、傑に対してだけ「俺」と言っているわけでもない。

 俺(悟)はこれが妄想でないことを願い、僕(五条先生)はこれが妄想であることを望むということだろうか。
 2回も「妄想」と言ったこともひっかかる。

 私は、この空港は悟にとって完全な死後の世界ではなくて、まだこの世に戻って来られる可能性を残した場所だと考えている。

 悟は皆と同じ飛行機には乗らず、一人「北」に向かい復活するのではないだろうか。
 だって、悟にはまだ羂索から夏油の肉体を取り戻すという大仕事が残っている。

「背中を叩いた中に、お前がいたら満足だったかもな」という言葉を受けて、今度は夏油が五条の背中を押して、「私の体を取り戻してきてよ」と励ましてくれることを私は期待している。
 きっと、傑は悟が戻ってくるのをいつまででも待ってくれるから。
 
 一方で、満身創痍で孤軍奮闘、宿儺に全てをぶつけて敗れ、ようやくたった一人の親友に再会できて幸せそうにしている悟をまた傑から引き離して戦地に赴かせるのはつらい。

 悟の笑顔と傑の眦に浮かんだ一粒の涙を見ていると、もう二人を引き離すことなんてできない、このまま永遠に一緒にいてほしいとも思うのだ。

宿儺に対する発言の謎

「あっちに恵の十種がなくても勝てたか怪しい」
「宿儺は僕に全てをぶつけることができなかった。そこを申し訳なく思うよ」

 五条先生の突然の死と同等かそれ以上に納得できなかったのがこの発言だ。

 五条VS宿儺の新宿決戦を一から読み直してみたが、宿儺が魔虚羅なしで五条の無下限を突破できたとは到底思えない。

 宿儺は、鵺と渾を合体させて顎吐などという強くも可愛くもない式神を作り出して魔虚羅とともに3体1で五条と戦っていたし、「穿血」は他の術師も使えるし、目くらましに消火器を投げたのは死ぬほどダサかったし、たとえ奥の手や万の形見を残していたとしても、結構必死で戦っていたように見えた。
 少なくとも、宿儺に対して「圧倒的に強い、かっこいい」とは思えなかった。
 
 「十種影法術がなくても宿儺が余力を残して勝った」と悟に言わせるくらいなら、作品中で読者にわかるように描写してほしかった。

 それに、もともと気が強くて負けず嫌いな悟が、こんなにあっさり負けを認めたことにも違和感がある。
 宿儺に全力を出させてあげられなくて「申し訳ない」なんて。
 なぜ悟が宿儺を気遣う必要があるのか、さっぱりわからなかった。

 さらに不思議なのは、悟の妄想(?)の中に「絶対的な強者、それゆえの孤独、あなたに愛を教えるのは」という万のセリフが出てくることだ。
 これは宿儺と万しか知らないことではないのか。
 なぜ悟が宿儺の「孤高の侘しさ」に共感するのだろうか。
 そもそも宿儺は「一人で寂しい」なんて思っているのか。
 
 確かに悟は自己中心的で、呪術を自分を満足させるために使う面があるかもしれないけれど、天内理子や伏黒恵の気持ちを察する洞察力と相手のために自分のできる範囲のことをしてあげる優しさも持ち合わせている。

 傑を失って自分だけ強くても駄目だとわかったから、呪術界を変えるために「強く聡い仲間」を育てようと考えて教師になったのに、残していく仲間たちのことを一切心配せず、宿儺のことを考えるだろうか。

 悟の心理描写に一貫性がないから、読者は混乱してしまう。

最強の存在理由レゾン・デートル
 

 誰もが認める五条先生のいい所は「強い」ことで、自由奔放で傍若無人、横柄な態度も人を見下すような発言も「最強」だから許されていた。

 今まで散々、自信満々に「勝つさ」と宣言していた宿儺相手に、こんなにあっけなく倒されてしまったら、五条先生の価値が暴落してしまう。

 やっぱり、五条先生には最後まで「最強」でいてほしい
 なんとか復活して、唯一無二の強さを証明してほしいのだ。

「最強」の生き様が見たい


 かつて芥見先生が「呪術廻戦」の結末について示唆したように、主要人物のうち「1人死んで3人生き残る」のか「3人死んで1人生き残る」のか、あるいはそのどちらでもなくなってしまうのか、まだわからない。
 
 釘崎の死亡が確定しているのなら、「3人死んで1人(虎杖?)生き残る」が濃厚かな、と思っている。
 
 バトル漫画における最強キャラの宿命として、五条先生の死は避けられないものかもしれないが、どうか「最強」にふさわしい生き様を見せてくれることを願うばかりだ。


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