学校警備員をしていた頃 その34

 以前、学校警備の仕事をしてた頃のことについて振り返って思い出せることを書いています。
※ 最初から読みたい方は、学校警備員をしていた頃から読むことをおすすめします。
※ ひとつ前の話→学校警備員をしていた頃 その33

 「うちの学校の親たちはそういう親たちなんだ」
 私が行っていたO小学校O中学校とT小学校の一帯は、私立小学校進学率50%くらいのセレブ地域だった。が、そういう地域ではあっても、私立には行かなかった(行けなかった)子どもたちが通っている公立小学校なので、マスコミで報道されるような、子どもを有名私立幼稚園や私立小学校に通わせているお母さんたちほど、大変な人間関係があるわけでもなさそうだった。
 ほとんど見た目だけの感想なのだけど、親同士のいじめをしそうな人、いじめられそうな感じの人もほとんどいないし、なかなかきさくで、人間関係の距離感がよさそうな人が多かった。と思う。服装も、驚くほど高そうなものを着ている人はほとんどいなくて、みんなほどほどにおしゃれだった。ほどほどにするためにそれなりに気をつかっているのか、それとも自然にできていることなのか。そこはよくわからなかったが、なぜか、みんな同じくらいのレベルの恰好をしていた。
 週刊誌に、いつもはブランドもののかっこいい服を着ているが、学校に行くときだけデパートで買った少しダサめのものを着ていくお母さんのことが出ていたが、そういった気づかいをしている人も中にはいたのかも知れない。もちろん、そんなことは、たまたま目撃された場合を除けば、本人及び家族かよほど親しい人でなければわからないだろう。

 お母さんたちが話しながら出入りする校門のところに毎日立っているので、お母さんたちが話している内容は、聞かない方がいいのだけれど、ある程度は聞いてしまう。もちろん、断片的にしか聞いていないので、そんなに全体像がちゃんとわかっているわけでもないが、どんなことをどんなふうに話題にしているのか、なんとなくだいたいのことは聞こえてくる。
「○○さんたちがいるうちは、私達はあまり表に出ないで仕事のやり方だけはよく見て覚えておいて、来年○○さんたちがいなくなったら、今度は私たちが中心になってやらないといけない」
 といった、うまいこと人間関係に気を使ってPTAの運営などをやっていこう。という感じのことを話している人が多かったと思う。
 それと、子どもたちの様子を見て率直な感想を言っているのを聞くことも多かった。
「あのくらいの年齢の子どもたちって面白いね」
「なんか、面白い楽器をもっていたね」
 これは、音楽発表会があった日のお母さんたちの会話。
 率直に楽しんでいる雰囲気だった。
 この会話からわかることは、教員はただ単にいい教育をするだけでなく、「保護者に見せる」ということにも気を使わないといけない、ということである。こういった部分は、教員や管理職の参考になる可能性がなきにしもあらず、なのではないか。学校警備員という立場は、学校を多面的・立体的に理解するために役に立つところもありそうだが、別に授業をしたり保護者会に出席したりするわけではないので、結構変な角度からだけ見ている可能性もある。

 学年末にいつものように校門の前で立哨していたら、PTAの役員らしきお母さんが、「いつもご苦労様」ということを言いながら、おせんべいを何枚かわたしてくれた。
 道具小屋で校長先生がいた時、このことを話したら「よかったじゃないか」と喜んでくれた。
 「私が逆の立場だったら門の前に立っている警備員さんに何かあげようなんていう発想は出てきませんね。本当によく気がつくいい親たちですね」と言うと、河村校長先生は、「ホッホッホ」という感じのいつもの笑い声を発してから、「そうなんだよ。うちの学校の親はそういう親たちなんだ」と愉快そうに話していた。

※ 次の話→学校警備員をしていた頃 その35

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