もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第7話 人生をマネジメントする

 10年くらい前に流行った『もしドラ』を意識して書いた小説です。
 自分がよく行くスナックで行われていることを脚色して書きました。
 『もしドラ』と違って、テーマごとに違う話が展開する短編連作です。

※ 第1話から読みたい方は、もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第1話 仕事の仕方と学び方から読むことをおすすめします。

 第7話 人生をマネジメントする
 マスターは、いつものように、赤いナップサックを背負い商店街を歩いていた。スポーツクラブに行ったらかなり混んでいたので、サウナに入るだけにして出て来た。
 街のところどころ、鯉のぼりの飾りつけがしてある。
 その日は大型連休の前の4月27日。天気がよく、少し暑いかもしれないが快適な気候だ。例年、連休中は最終日以外は店は開けるので、今年もその予定である。今年の連休中や連休前、お客さんはどのくらい来るだろうか。去年はけっこう来ていたような気がするのだが。
 商店街のところどころにあるスピーカーから流れてくる音楽は、よく知らないテンポのいいポップス系の歌謡曲みたいな曲。
 調子のいい曲なので、それに合わせて鼻歌を歌いながら喫茶店に入り席に座った。
 アメリカンコーヒーを注文してふと横を見ると、近くに、若い男性が何かの勉強をするための問題集を机の上に出したまま、眠っているのに気がついた。
 ちょうどその時、店長らしき初老の男性(以下、初老の店長と記す)が、若い男に近づいて行った。初老の店長は、ふだんはまったく笑顔を見せないで淡々と注文をとり、飲み物等を運ぶ影の薄い人なのだが、その時だけは不思議な存在感があった。
 その若者の肩をつっついて、「寝ていられると困っちゃう」と不機嫌そうだがあまり抑揚のない声で言った。
 若者は、起きると初老の店長の方を見て不愉快そうな顔をしたが、何も言わずに勉強を再開し、初老の店長は何も言わずに去っていった。
 マスターは、この若者をここでよく見る。
 この喫茶店は、本や新聞を読んでいる人はたくさんいるが、問題集を解くような受験勉強的な勉強をしている人が珍しいので、印象に残っている。わりあい前からある喫茶店で、他の方針が違う喫茶店とかファミリーレストランでは、高校生とか大学生以上の勉強している人をよく見るが、ここでは彼以外ほとんど見たことがない。値段がよそより高いとか、店の人に注意されるといった理由が考えられるが、とにかくなんとなく勉強しにくい雰囲気なのである。それは、初老の店長の感性とか考え方が反映されているのかもしれない。
 そうするとその若者は空気が読めない少し鈍い男なのだろうか?それとも、この喫茶店が気に入っていて、よそには行きたくないのだろうか。まあ、両方なのかもしれない。
 そんなことを思いつつ、マスターは、例によって『プロフェッショナルの条件』を取り出した。
(この半年くらいで、だいぶ読み直したなあ。結構ためになることも出ていた)
 そう思いながら、ページをめくってみると、まだあんまりキチンと読んでいないページもまだまだかなりあることに気がついた。
 特に「Part5 自己実現への挑戦」というパートはあまり読んでいない。ここを読んでみようと思い、このパートの「1章 人生をマネジメントする」という章を読み始めた。
 最初の項目は「第二の人生をどうするか」という題になっていて、この項目の結論はこういうものだった。

 …30のときに心躍った仕事も、50ともなれば退屈する。したがって、第二の人生を設計することが必要になる。
 
 マスターは現在、スナックを始めて10年くらいで、ちょうど50歳。その間、他の仕事はほとんどしていない。半年くらい焼き鳥屋をやりかけたことがあったが、なかなか難しいので撤退した。
 もともとは、キャバクラ2軒とウェブ制作会社をやっていたので、その頃に比べるとかなり暇で、隠居仕事にやや近い感じもする。実質的に働いているのは、7時頃から11時頃までと、閉店前後の1~2時間くらい。
 現在が第2の人生だとすれば、これからまた新しいことを始めたら、それを第3の人生と呼ぶのだろうか。
 現在、確かに生活にゆとりはあるが、「このままでいいのかな」とも思う。のだけれど、今すぐに「これをやりたい」ということがあるわけでもない。
 それと、スナックに関しても今の経営状態が続くかどうかわからない。1人で来る男性の常連客は、相変わらずそれなりに来ているが、団体客が減ってきている。日本の会社が職場の仲間とあまり酒を飲まなくなってきていることと関係がありそうなのだが、もちろん客観的に原因を解明することは難しい。
 このまま、団体客がさらに減っていくようだと、少し商売のやり方を考えるなり、商売を変えるなりした方がいいかもしれない。
 次の項目は「第二の人生を設計する方法」という題になっていて、三つの方法が書いてある。

 第一の方法は、マックス・ブランクのように、文字どおり第二の人生をもつことである。単に組織を変わることであってもよい。

 マックス・ブランクは、40代に業績を挙げた物理学者で、60歳で第一次大戦後のドイツ科学界を再建し、90近くなって第二次大戦後のドイツ科学界の再建に取り組んだ人物として紹介されている。
 マスターの場合は物理的に店を構えている自営業なのでまた、学者さんとは様子が違うかもしれない。商売を変えたり、商売の場所を変えたりするのは、かなりの手間やお金がかかるので、少なくとも当面これはないだろう。とマスターは考えた。

 第二の方法は、パラレル・キャリア(第二の仕事)、すなわち、本業にありながらもう一つ別の世界を持つことである。

(これは、自分に合うかもしれない)
 とマスターは思った。
 一応、ある程度時間に余裕のある本業があるのだから、もう一つなにかをする。それは、できそうだし、やった方が世界が広がっていいかもしれない。
 例として挙がっているのは、ボランティアとして非営利企業で働くことなどだった。

 第三の方法は、ソーシャル・アントプレナー(篤志家)になることである。

 これも、そんな大々的なものでなくて、店の女の子を使ってできるようなことならやれるかもしれない。
 まずは、第二の方法について考えてみよう。と思い、マスターはiPhoneを取り出して、「○○区 ボランティア」で検索してみた。○○区は、店とマスターの自宅のある自治体である。
 すると一番上に「○○ボランティア・区民活動センター」が表示され、ボランティア・区民活動をしたい人の登録を行っていることがわかった。
 時計を見るとまだ4時だ。
(善は急げだ。行ってみるか)
 マスターは、勘定を払い店を出た。

※ 次の話→もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第7話 人生をマネジメントする(その2)

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