もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第7話 人生をマネジメントする(その2)

 10年くらい前に流行った『もしドラ』を意識して書いた小説です。
 自分がよく行くスナックで行われていることを脚色して書きました。
 『もしドラ』と違って、テーマごとに違う話が展開する短編連作です。

※ 第1話から読みたい方は、もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第1話 仕事の仕方と学び方から読むことをおすすめします。
※ ひとつ前の話→もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第7話 人生をマネジメントする

 第7話 人生をマネジメントする(その2)
 ボランティアセンターの場所は、iPhoneに出ている地図を見ながら行ったらすぐにわかった。その喫茶店のある駅の隣駅に近く、大通りに面したきれいな9階建ての建物の1階だった。
 正面がガラス張りの天井が高い明るい内装で、受付の前には、各種のイベントなどのパンフレットが20種類くらい置いてある。
 ボランティアの登録をしたことを告げると、髪の毛を7・3に分けた若い真面目そうな男性の係員から用紙を渡され、それに住所・名前等の必要事項を記入するように言われた。
 その係員は伊集院さんという名前だった。記入した紙を提出すると、伊集院さんは、それを見て記入漏れがないか点検し、大丈夫なのを確認すると、パンフレットを一部渡され、1ページ目を開けるように言われた。
 そして、ボランティアの起源とは?等々の説明が始まった。マスターは、係員の説明がパンフレットをただ単に読んでいるだけで退屈なので質問した。
「この説明はどのくらいで終わりますか?」
「すぐに終わります」
「何分くらいで終わりますか?」
「お急ぎですか?」
「何分くらいで終わるんですか?」
「お急ぎでしょうか?」
「どのくらいの時間で終わるのかは、完全には把握していないんですか?」
「急いでいるんですか?」
「急いでいるかという質問に答えてもいいんですが、その前にこちらの質問に答えてください。『どのくらい時間がかかるのかは、正確にはわからない』という答えでもいいですよ」
「急いでおられるんなら、打ち切りましょうか?」
「どのくらい時間がかかるのかはっきりとはわからない、とかそういう答えさえも、どうしても言いたくないのであれば、それでもいいです。まだ時間があるので続けてください」
「よろしくお願いします。最近、ボランティアの受け入れ先から苦情が来ていることがあります。資格を取るためにボランティア経験が必要な人が、必要な時間数を消化したとたんに辞めてしまう。という問題です。あなたは、資格を取るためにボランティアをするわけじゃないでしょうね」
 どうも詰問しているような口調で嫌だなあ。とマスターは思った。
「違います」
「わかりました。当センターでは、資格を取るためのボランティアはお断りしております」
「でも、資格を取るためだって、1度ボランティアをしてみることで、ボランティアがどういうものかわかり、その時は必要な時間をこなしてそこは辞めたとしても、その後、またどこかでボランティア活動に参加する可能性もあるんじゃないですか?その経験は、無駄にならない場合も結構ありそうだし、そういう人を受け入れていくことでボランティアをする人のすそ野が広がるのではないでしょうか?そういうことは受け入れ団体の人に話したことはありますか?」
「そんなことは特に言いません。受け入れ団体の意向は伝えておくべきだと思い、今お話ししています」
「『そんなことは』なんていう言葉遣いは感心できない。これは、でも伊集院さんに言っても仕方のないことかもしれませんね。私のような考え方も上の人に伝えてみてもらえませんか」
「一応伝えます」
「お願いします」
 伊集院さんは、用紙の記入事項を見ながら言った。
「すみません。ここの趣味の欄に囲碁・将棋と書いてあって、将棋の方に5段と書いてありますが囲碁は何段くらいですか?お年寄りの囲碁や将棋の相手をするボランティアというのがけっこうあるんです」
「最近囲碁はやっていないので囲碁の段はわかりません」
「だいたいでいいです」
「うーん。何段だろう。すみませんがわかりません」
「だいたい何段ですか」
「だいたい何段なのかはわかりません」
「そうですか、それで、今提出していただいた用紙に書かれたメールアドレスに、毎月募集しているボランティアの一覧を送りますので、もし、これ、というのが決まったら、メールか電話で連絡してください」
「わかりました」
(まあ、思ったことを率直に言い過ぎたのかもしれないが、意外と面倒くさかったなあ)
 ボランティア一個人よりも受け入れ団体の方が力が強いのだろうか。まあ、受け入れ団体の方がその活動をずっとやっていかなければならないが、ボランティアは、嫌ならすぐ辞められるのだから、センターにとっては受け入れ団体の方がむしろ大切な顧客なのかもしれない。ボランティア一個人だって○○区の納税者ではあるのだが、気に入らなければなんにも言わないでボランティアをやらなくなるだけの話である。
 今日の感触では、小さなスナックとはいえ経営者として自分の考えである程度物事を決める習慣のある人が、1ボランティアとして社会参加するというは心理的に難しいことなのかもしれない。意外なことなのか当然のことなのかよくわからないが、そんな感じがする。
 頼まれたことだけをやるのではなく、「ここはもっとこうした方がいい」とか余計なことを言いそうだ。まあ、チームを組んでやることではなく、お年寄りの囲碁や将棋の相手をするくらいだったらそんなに難しくもないかもしれないが。
 でも、囲碁や将棋が強いことがそれなりに一つの強みであることがわかったのは収穫かもしれない。
(自分が中心になってやることの方が向いているかな)
 とマスターは思った。
 それと、お年寄りで、囲碁や将棋をする人が結構いるというのは、わりあい何かのヒントになるかもしれない。夜は今までどおりスナックをやり、昼間小さな碁会所か将棋クラブを経営してみる、というのはどうだろうか?
 とも思った。

 翌日の1時ごろ、マスターは、前々からその存在は知っていた駅前の碁会所に行った。
 それは、駅前のビルの3階にあり、エレベーターはないので階段を昇って行った。
 「A碁会所」と書いてあるドアを開けて中に入ると、中はがらんとしていて、碁盤が20面くらいあるのにお年寄りが4人いるだけだった。
(まあ、平日だからこんなものなのかな?)
 そう思って入っていくと、体格がよくて白髪でニコニコしているおじいさんから声をかけられた。その人がこの碁会所の席主らしい。
「いらっしゃいませ。初めてですか?」
「そうですね。ここがあるのは知っていたのですが、入ったのは初めてです」
「棋力はどのくらいですか?」
「最近打っていないのでわかりません。前の打っていた頃は3段くらいだったと思います」
「それじゃあ、私でよければ1局うちませんか?」
 1局打ってみた。その人はかなり強いようなので、4子局という、あらかじめマスターが盤の上に石を4つ置いてから戦いを始めるハンデ戦で打った。相撲で言えば手を使わないくらいのハンデだろうか。
 手加減して打ってくれたのかもしれないが、けっこういい勝負のような感じもしたのだが、でも終わってみるとかなり負けていた。
「たぶん3段くらいかもしれません。平日の昼間はあまり人がいませんが、平日でも8時くらいからとか、土日などはいい勝負の人がいると思います」
「そですか。やはり平日の昼はあまり人がいないんですね」
「見ての通りです」
「最近、碁会所とか将棋クラブの景気はどうですか?」
「将棋クラブは本当にどんどんなくなっている。碁会所は将棋クラブよりは多少ましかもしれないけど、でも減少傾向ですね。うちも長い目で見ると、お客さんは減っています。やっぱりネットで打つ人が増えているのと、コンピューターゲームなどが流行っているぶん、碁会所や将棋クラブはすたれてきている」
「そうですか。なんだか寂しい話ですね」
「うちは、まあまあ、今まで長年来てくださっているお客さんが、定年退職後暇になってわりあいよく来てくれるのでなんとかやってます。これから碁会所を始めようという人はあまりいないと思うけど、始めたら失敗するでしょうね」
(そんなもんなんだなあ)
 マスターは、自分で将棋クラブか碁会所をやるのは、時代の流れに逆行していてかなり難しそうだ、と思った。

※ 次の話→もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第7話 人生をマネジメントする(その3)

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