心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その18

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その17
※ 関連動画:日暮里研究会と小池重明さんの思い出(体験談)

 試験に成績について両親から言われたこと
 前の前の項目に書いたように、中学3年の頃は、本屋や図書館に行くのが好きで、いろいろな小説とか実用書が置いてある棚を見て、面白そうな本を探してきてはおこづかいをはたいて買ってきて読むのが趣味のような感じだった。いつまでも「生ける屍だ」なんて言ってなんにもしないでふらふらしているわけにもいかず、それくらいしかやることを思いつかなかったのである。
 その頃読んだ本の中に中高生向きの数学の本があった。数学の問題の解き方をイラスト入りでハウツーふうに解説してある本で、けっこう面白そうだなあと思ってお小遣いをはたいて買ってきて家で読んでいた。
 母に「こんな本を買ってきたよ」と見せたところ「そんなもの読んだって成績はあがんないよ」と言われた。
 でも、せっかく買ってきたのでだいたい全部読んだ。
 それから二か月くらいして学校の実力テストがあった。
 そのテストでは、本で読んだ内容がおおいに役に立ち、数学は、たぶん全校で5位くらいの成績だった。5位というのが絶対正確かどうか自分のその頃の記憶に自信がないのだけど、とにかく数学が一桁の順位だったことは確かだ。でも、英語・国語は100位以下だった。
 自分の通っていた学校は1学年600人くらいいるマンモス校で、その当時進学実績が急上昇しており、自分が卒業する頃には、東大合格者が5人くらいいた。だから、数学だけだったら東大に受かってもおかしくない好成績だった。
 その成績を母に見せると、母はびっくりして、成績表を父に見せた。
 すると父は、「数学なんてできたって、高校の教師にしかなれないだろう」「英語ができないとだめだ」「教師もだめな仕事じゃないけど、大変な仕事で労働者だよな」と言った。
 父は、夕食をいっしょに食べている時に「職業に貴賤はないというけど、やっぱり高級な仕事とそうでない仕事があるよな」なんていうことをごく普通の顔をしてさらっと言う人で、それに対して小中学生の頃の自分は、「子どもの前でそんな差別的なことを言うとは、困った人だな」と子ども心に思っていた。
 なぜそう思っていたかというと、小学校の中学年・高学年や中学の頃の担任の先生がよくも悪くも「進歩的」な人だったからだと思う。現代の日本では、特に小学生の場合、担任の先生と過ごす時間の方が父親と過ごす時間より圧倒的に長いので、どうしても担任の先生の影響が強くなるのではないだろうか。中学だと小学校ほどではないが、やはり担任の先生の影響はそれなりに大きいと思う。
 その時のやりとりを現在になってから思い出してみると「その後、高校の英語の教師になったということが、実に微妙というか不思議なことだなあ」と変な感慨めいたものが心の中にわいてくる。
 父に反発してわざと数学の教師になったわけでもなく、かと言って、父の言ったことを率直に聞いて英語をがんばり外交官だか商社マンだかになったわけでもない。英語ではあるものの教師にはなった。妙に納得できそうでもあり、なんだか不思議なようでもあり、中途半端と言えば中途半端な変な結果なのである。
 それと、すぐに進路の話になってしまうところも、父の考え方・話し方の特徴的なところだった。今振り返ってみると、「どうして数学でいい点数が取れたのか」「うまくいったそのやり方を英語など他の教科でも使えないか」といった方向に行く方があの場には合っていたような気がする。
 一方、母は、父に成績を見せた時ではなくその後の別の機会に、「マーちゃんは、数学の成績がよかったけど一生懸命勉強したの」と聞いた。
 自分がおこづかいをはたいて買ってきた本を見せた時、「そんなもの読んだって成績はあがんないよ」と言っていたのにどうしてそんなことを言うんだろう。「意外にもあの本は役に立つ本だったのね」なんて言えばいいのになあ。大人だって、結構自分の言動をちゃんと覚えていないことがあるものだ。親だって例外ではない。
 と思った。
 現在の自分の言い方だと「母は、方法論に関する関心・意識が低い」という表現になるだろうか。当時の自分はこういうもの見方あるいは言い方はしていなかったので、「お母さんは本とか勉強方法とかが大切だと思っていないみたいだ」といった言い方が頭に浮かんでいたはずである。実際母は、方法論について主体的に考えることが嫌いで、先生とか専門家が言っているやり方を何も考えずに丸呑みすることが好きというか、それ以外のことを考えない人あるいは考えられない人だったようだ。身もふたもないわかりやすい言い方をすると、「お母さんは頭が悪い」「まともに物事を考えるのが嫌いだ」ということになる。もちろん、何か言ってもむだだと思って、そういったことは言わなかった。
 まあ、親もいろいろと欠点のある普通の人だということに本当の意味で気がついて批判したくなる、という年頃だったのだろう。
「どうもうちは親子関係がうまくいかないなあ。どうしてうちの親はこうなんだろう」
「相性の悪い親にあたったのかなあ」
 その頃は、そう思っていた。
 その心理は、奨励会を退会する時の納得できない気持ちとも似ていた。
 ところで今になってみると、中学3年生の頃の見方が一方的に間違っているとはもちろん思わないのだけど、当然のことかもしれないけど、おじさんになって少し感性が変わってきている。
「世の中に子どもと考えが完全に一致している親などいないので、あのくらいはしょうがないんだろうな」
「でも、そう思う自分は、結構年をとったんだなあ。威張れるようなことでもないが、かといって恥じるべきことでもない」
 こんな具合になるだろうか。
 もちろん犯罪者とか自殺者を生むほどの困った家庭環境ではないのだけど、子どもの頃に親子の相性が悪かったことが、後の結婚せずに転職を繰り返す生き方をしたこととある程度の関連はあるような気がする。
 周囲のせいにしてはいけないのだが。
 もっとも、結婚していないとか転職の回数が多いのが一方的に悪いことだと決まっているというわけでもない。「どんな人生にも価値はある」とか「生きているだけですごいことだ」と言うではないか。
 なんだか変な宗教的な格言のような文句も出てくるが、最近の自分が過去を振り返るときには、おおよそこういった堂々巡りのどうでもいいようなことをぶつぶつと心の中でつぶやいていることが多い。
 「年をとって生産性が低い方向に頭が働くようになってきた」という言い方ができるのだろうか。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その19

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