心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その59

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その58

 離任式後
 表に出ると日がさしていて、足元には影ができていた。
 それを見て、突然子どもの頃に見たテレビCMを思い出した。それは「自分の影を見つめてパッと空を見る」というセリフが出てくるチョコレートのCMである。
 そのCMを思い出していてふと思った。
 結局、「元奨くん」は自分自身の影なのではないか。影を失ってしまったら真っ白い空虚な世界が広がっているだけで、自分がこの世界で生きているとは言えないのではないか。うっとうしくてもつらくても大変でも、彼とともに生きていくしかない。影を引きずり悩んだり苦しんだりして年老いて死んでいく。別に何か理由・根拠・証明方法等々があるわけではないのだが、きっとそれが自分にとって自然な生き方なのだろう。「正しいことなのだ」「正当な生き方だ」という言い方もできるかもしれない。
 それでは、「将棋くん」はなんなのだろうか。ユング心理学の用語を使えば、太母になるのか。老賢人になるのか。自分にとって、将棋は母なる海のような存在なので、太母と言うのがよさそうだが、教員採用試験の面接の時に助けられた時のことなどを考えると老賢人といってもよさそうだ。よくわからないが、とにかく大切な存在であることは間違いない。
 それから、がんの手術の時に夢に出てきた分別くさいことばかり言ううっとうしい人格。あれは、心理学の言葉で言えば超自我とか仮面といったものなのだろうか。あいつは分別くさい嫌な奴だが、あいつのおかげで現実世界で暴力事件や犯罪等を犯さないですんでいる。ということなのだろう。そこは、残念ながら認めざるを得ない。
 自分の心の中には、他にもいろいろと煮ても焼いても食えぬ奴がいろいろといそうだ。たぶん、いるのに気がつかないだけなのだろう。
 生徒たちに話したように、心の中にいろいろな人格を抱えながら生きていくしかないのだし、そうでなければ生きているとは言えない。
 そのように覚悟を決めると、自分が生きている世界が立体的・現実的に見えてきた。
 ここはここだ。今は今だ。自分は自分だ。
 霧が晴れた。
 もちろん、「今ここにいる自分」は底なし沼の水面のようなものである。油とか発砲スチロールとか木の葉のような軽いものが浮いていてとても見苦しく、天候や風向きなどによってとりとめもなく変化し続ける非常にうつろいやすい頼りにならないものである。例えば、誰かが沼にちり紙を捨てただけで、水面にそれがぷかぷか浮かんで大幅に様子が変わる。「今ここにいる自分」というのはとても表層的・流動的・暫定的な存在だ。「本当の自分」とはあまり呼びたくない存在である。
 それでは、自分自身の影であるところの「元奨くん」の方が本当の自分なのだろうか。あいつは、純粋と愚劣の入り混じった独特の観点を絶対に手放そうとしない。全然成熟しないとも言えるがぶれなくて一貫性があるとも言える。死ぬ間際になったら、あいつが考えていることが本当は正しいのだ。とわかるのかもしれない。
 「あいつこそが本当の自分だ」と考えたくもなるが、もちろんそうではない。自分は「本当は正しい」ことばかり考えることはできないからだ。
もちろん、「本当の自分とはこのようなものだ」という定義なり定説なりがあるわけではないし、「こうすれば見つかる」という確実な方程式とか方法論があるわけでもない。結局、自分が納得できる答えを直感的に見つけるしかないのだが、「ミスター本当の自分」みたいな存在というものはないのかもしれない。いろいろな自分の寄り合い所帯であるところの常に揺れ動くどろどろとした玉虫色の存在を本当の自分と考えるしかないのだろう。
 それでも確かに、ここはここ、今は今、自分は自分なのだ。自分が生きている世界は立体的な現実なのだ。
 父の墓参りに行ってみよう。行ってみたら、どんな「死者からのメッセージ」が聞こえてくるだろうか。「死者からのメッセージ」が恐ろしいのは、結局それが自分が本当に考えていることだからなのだろう。霊魂とか幽子情報系といったものが実在する可能性もないと断言することはできないが、普通「死者からのメッセージ」を聞くというのは、イコール自分の心を知ることだと思う。確かに、それは恐ろしいことだが、でも勇気を出して聞いてみよう。それが自分にとって必要なことだし、本当の親孝行になるのだろう。別に理由や根拠を説明できるわけでもないのだが。
 自分は自分自身の影を見つめながら、校舎の方に向かって歩いていた。

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