別府温泉は50年前の雨
今回撮影した菅野さんのインタビューに以下のような話が出てくる。
50年前に降った雨が温泉になる。とてもロマンチックな話だ。気になったので少し調べてみた。
つまり、別府市の温泉は火山性で元々は雨や雪で、大分市の温泉は非火山性で元々は化石水らしい。このサイクルが約50年で循環しているから、別府温泉は50年前の雨。というわけだ。湯けむりが雨の日や雨上がりによく見えるのは温泉の前世が雨だから。そんなことを考えたりもする。
菅野さんはインタビューの時にこんなことも言っていた。「温泉が好きだから抱きしめたいのに抱きしめられない、逆にいつもいびつな自分を温泉が抱きしめてくれる」
その時はなんてロマンチックなことを言う人だろうと安直に思ったけれど、知識と体験がしっかりあるからこそ、こういう感性になるんだろうなと思う。聴いてきた音楽や、見てきた景色や、終わった恋や、そんな一つ一つにちゃんと感動して、ちゃんと傷ついて来たのだろう。自分の人生の主役を演じるのは、他ならぬ自分だ、ということにいちいち照れたり冷めたりしない。そういうロマンチックな感性を磨くためには、決してロマンチックではない地道な努力や勉強や挑戦を継続して、人と出逢い、会話し、体験を重ねていくしかないんだろうなと思う。
一方で、この全くロマンチックじゃない文章を書きながら、時にあるがままの自分を信じて、安直で不安定で青臭い感覚に身をまかせるのも大事だと思ったりもする。
別府という街をロマンチックに感じるのは、ただ情緒や浪漫があるだけじゃなく、キラキラと目を輝かせて物語を語る菅野さんみたいな人が住んでいるからなんだと思う。一言で言うなら、愛がある人。
僕の50歳の誕生日は、別府で温泉に抱かれよう。インタビューを書き起こしながら、そう心に決めた。
2021.3.11 東京神父
渋の湯「温泉を抱きしめたいのに、抱きしめられてばかりだ。」
東京神父 写真家。1978年4月20日生まれ。 別府出身、自由が丘在住。