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別府温泉は50年前の雨

今回撮影した菅野さんのインタビューに以下のような話が出てくる。

別府に降った雨が大地に浸透して、何百年前のマグマと何千万年前の地質から出たミネラルを受け取って、やっと50年経って温泉として地上に出てくるんですよね。そんな凄い神秘の自然循環を考えると、たかだか何年の私達の人生はちっぽけだなと思う瞬間があるんです。でも、だからこそこの一瞬が大事である事にも気付くことが出来る。
—菅野さんインタビューより引用

50年前に降った雨が温泉になる。とてもロマンチックな話だ。気になったので少し調べてみた。

私たちが入浴している温泉の殆どは、雨や雪が地中にしみ込んで何年か後に温度や成分などを得て、再び地上に出てきた「循環水」であることが、近年の研究によって明らかになってきました。
温泉は「火山性の温泉」と「非火山性の温泉」に大別できます。
地表に降った雨や雪の一部は地中にしみ込んで地下水となります。この地下水がマグマ溜まりの熱で温められ、断層等の地下構造や人工的なボーリングなどによって地表に湧き出してきたものが火山性の温泉です。
—日本温泉協会より引用

 「大分県の温泉(5):平成24年新年号(2012)」で述べたように、温泉は、熱源の観点から、「火山性温泉」と「非火山性温泉」の2種に分けられる。このうち、火山性温泉が古くから知られてきた温泉であり、マグマからの熱を熱源としている。一方、非火山性温泉は、火山とは直接の関係はなく、地下深部に閉じ込められた化石水(古い地下水や海水)が、地球内部からの熱流(地殻熱流)によって加熱されたもので、近年になって開発され始めた、新しいタイプの温泉である。別府市の温泉は前者、大分市の温泉は後者に当る。
—別府温泉地球博物館より引用

つまり、別府市の温泉は火山性で元々は雨や雪で、大分市の温泉は非火山性で元々は化石水らしい。このサイクルが約50年で循環しているから、別府温泉は50年前の雨。というわけだ。湯けむりが雨の日や雨上がりによく見えるのは温泉の前世が雨だから。そんなことを考えたりもする。

菅野さんはインタビューの時にこんなことも言っていた。「温泉が好きだから抱きしめたいのに抱きしめられない、逆にいつもいびつな自分を温泉が抱きしめてくれる」

その時はなんてロマンチックなことを言う人だろうと安直に思ったけれど、知識と体験がしっかりあるからこそ、こういう感性になるんだろうなと思う。聴いてきた音楽や、見てきた景色や、終わった恋や、そんな一つ一つにちゃんと感動して、ちゃんと傷ついて来たのだろう。自分の人生の主役を演じるのは、他ならぬ自分だ、ということにいちいち照れたり冷めたりしない。そういうロマンチックな感性を磨くためには、決してロマンチックではない地道な努力や勉強や挑戦を継続して、人と出逢い、会話し、体験を重ねていくしかないんだろうなと思う。

一方で、この全くロマンチックじゃない文章を書きながら、時にあるがままの自分を信じて、安直で不安定で青臭い感覚に身をまかせるのも大事だと思ったりもする。

別府という街をロマンチックに感じるのは、ただ情緒や浪漫があるだけじゃなく、キラキラと目を輝かせて物語を語る菅野さんみたいな人が住んでいるからなんだと思う。一言で言うなら、愛がある人。

僕の50歳の誕生日は、別府で温泉に抱かれよう。インタビューを書き起こしながら、そう心に決めた。

2021.3.11 東京神父
渋の湯「温泉を抱きしめたいのに、抱きしめられてばかりだ。」


東京神父 写真家。1978年4月20日生まれ。 別府出身、自由が丘在住。