2021年3月6日東京思風塾「美しい心を持とうと思ったら美しいの対概念である「醜くない」を考える」

美しい心を持とうと思ったら美しさそのものを求めてはならない

美しいあり方とは何か?に直接的に答えようとすると複雑で多岐に渡るので、学問的に考えて答えを出すならば、どういう方法論を使わなければならないのか
というところから、話さなくてはならない
その方法論としては醜くないあり方とは何なのか?

そこから考えていかないと人間として本当の美しい心、人間性を持つ事は出来ない。


美しいの対概念である「醜くない」を考える

醜くない在り方とは何か?人間という立場から考えると、我々は美を求めるが、人間は不完全であるので、完全なる美に到達することはない
人間であるならば、なんらかの醜さというものを、その存在の中に抱えている
自分の心にある醜さを反省することが、美しさであるという自覚に到達する
不完全性というものを、存在論的に受け入れていかなくてはならない人間という命の在り方からする、非常に大事な原点
美しいあり方とは、醜くないあり方

我々は日常、醜い言動をしていることへの自覚をすることにより、対存在としての美しさに気づいていく

本当の自分を隠して相手の気に入るような言動、夫婦間での我慢、遠慮
偽りの自分、。演技された自分をやっていないか

人の不幸を喜んでしまったり
ある人を批判したり、責めたり、からかったり、悪口を行ったり、陰口を言ったり、
誹謗中傷したりというのは、自分の心の中にあることを反省し、そういう醜い心を持ってはならないという、その心の在り方というのを、自覚的に求めていく努力をする必要がある
それが不完全なる美の追求の仕方
完全な人間はいないので美しい心というのは醜くない心

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