見出し画像

【今夜もニュース1984】嘘に没入できれば幸せになれるのに。

連日皆さんもきっとうんざりしているはずだ。政治家は平気で場当たり的な嘘をつく。『武士に二言はない』と言うが政治家は二枚舌を上手く使うのが有能な証拠だと思っている。
IOCのバッハ会長が「オリンピックは日本人に迷惑をかけない」といった旨の発言をした。まさに狂気の発言である。オリンピックという存在を無条件に善なるものであると圧し付けようとしている。馬鹿げた話だがスポーツはいかなる時も善なるものとしてこの世に存在しているらしい。

しかし、なぜかその嘘を信じて疑わない人々もいる。多分、その思考としては『上に立つ者はきっと下の者の不利になるようなことはやらないはずだ』という性善説的な考えがあるに違いない。もはやいい人を通り越して馬鹿である。社会は人々の思考を閉じ込めるために機能してしまっている。うーん、こうなると絶望しかない。世の中はすでにディストピア化してしまっている。上の者は嘘をつき、下の者は無条件に信じてしまう。

このような馬鹿なことがなぜ起こるのか。政治家の思考の度量衡は自分の所属する立場を守ること。彼らは権力を象徴する存在だ。彼らの価値は権力を持っていることなのである。権力を手放すとは自分の存在を消すも同じなのである。

しかし、我々は『彼らのことを道徳的な存在であり、我々の上に立つべき徳を備えた素晴らしい人物である』と信じたいし、そう願っているし、大きな器を持っている人だと期待している。
しかし『政治家=権力』なのだ。彼らは現状の立場を守るのに必死な我々と同じ弱い人間であり、我々と同じくらいの器の小さな奴らなのだ。器が小さい奴って嘘はつくし、他人のせいにするし、自分には甘いし、武士道の欠片もない。そういう奴は、上の立場にいるべきでないし、もはや会社の社員と同じで、立場を守るだけの歯車になってしまっている。己のなかに正しい指針がないのだ。

●予見性の無さ
●場当たり的なその場しのぎ
●嘘をつくことへのハードルの低さ
●思考力の薄さ
●上記の全てを正当化する面の厚さ

これら全ては小物の証である。だが、もし、これらの特長を大物の証だと勘違いしているとしたら狂気以外の何物でもない。テレスクリーンが小物の彼らをまるで大物のように見せている。自分の責任の取り方も知らないような奴らを人々は崇めているんだ。テレスクリーンに登場する人間は神聖化され、自分たちより上の存在のように映るのだ。
また、彼らのような小物であっても、その立場になりさえすれば完璧に守られるシステムが構築されている。『テレスクリーン』や『税金』や『補助金』や『嘘をつく権利』がつくる社会システムだ。もし器を測る測定器があったら、アイツらはみんな失格だな。
上の者はマネーの論理でなく、武士道の『義』を貫く、そういう世界であってほしい。

◇◇東京ハバナの理屈の想定外のコーナー◇◇
政治家が何を発言しようが、明日になれば忘れてしまう。いや、許してしまう。我々に植え付けられた二重思考はいつでも権力者の嘘を信じてしまうし、スポーツとハイキングと祭りを与えられれば、それで幸せだと勘違いしてしまう。ああ、来週にはオリンピックか。給付金は渡さないのに、湯水のようにカネを浪費する。上の奴らは所詮その程度の奴らさ。


ご興味いただきましたら是非とも『東京砂論』をサポートくださいますようお願い申し上げます。サポート頂けましたら誠に助かります。 『REBEL』と『COPENHAGEN』も宜しくお願いいたします。