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【12月の本よみ】 螺旋の上の一周年

少し肌寒い朝、駅へ向かう途中にある公園の、木立に囲まれたベンチで本を読んでいる男性がいたので、撮影させていただいた。


一見なんの変哲もないように見えるこの写真について、なにか書くことがあるだろうかと考えながら、写真を見直し、撮影時のことを思い出してみるにつれ、この「なんの変哲もないように見える」ということが、今なかなか難しいのではないか、と思い至った。


写真を撮るという行為が一昔前より身近なものになって、街中で何かを撮っている人を見かけない日はないくらいになった。それに付随するように、撮られる側の人にありがちな自意識過剰な敬遠もあまり見られなくなり、多くの人は手軽に写真を撮り、撮られるようになった。それはひとつの楽しみとして歓迎されるものである裏で、こういった「なんの変哲もないように見える」写真が少なくなったように思う。写真の総量が増えたことによる割合の変化と見たほうが正しいのかもしれないが、どうしても撮ること、撮られることを意識した写真があふれてしまう。他でもない「東京の本よみ」も事前に撮影の承諾を得るため、少なからずそういう種類の写真になっている部分は否定できない。だからこそ今この「なんの変哲もないように見える」写真を撮ることができたのは、自分にとって意味のあることだと感じた。



写真の男性は寡黙で、あまり邪魔にならないよう少なめの言葉を交わして辞した。本を読んでいる姿が「なんの変哲もないように見える」ということは、その人にとって本を読むということが、毎日歯を磨くように、顔を洗うように、生活の中に根付いているということなのだろう。それを踏まえてよく見てみると、そこに写っているものが、都市生活者が潜在的に憧れる自由や放浪に似たものに見えてくる。「東京の本よみ」の撮影を一年続けたうえで、自分自身がひとつ新しい視点を得たような一枚になった。


text : Kawana Seiji

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