水上悟志先生インタビュー【惑星のさみだれ/スピリットサークル】
少年画報社「ヤングキングアワーズ」よりデビュー、『惑星のさみだれ』、『スピリットサークル』等の作者水上悟志先生インタビュー!日常と非日常、シリアスとコメディ、リアルとファンタジーの境界を軽々と飛び越えていく、作品制作を支える原動力のルーツを探りました!
1章:漫画家「水上悟志」を作った作品と経験
2章:すべては物語に入りこんでもらうために……水上先生の創作術
3章:日常・死・成長。「真っ当」な少年漫画を描き続ける理由とは
4章:アワーズにて連載!『スピリットサークル』
漫画家「水上悟志」を作った作品と経験
プロの漫画家になろうと思ったのはいつ頃ですか?
水上悟志先生(以下水上):小学2年生の頃から「俺は漫画家になるんだ」と思っていました。その頃は「少年ジャンプ」に『ドラゴンボール』や『聖闘士星矢』といった作品が連載されており、とても漫画が盛り上がっていた時期で周りにも漫画家になりたいと言っている同級生はたくさんいました。それで、人並みに漫画家になりたいと思うようになったうちの1人が自分です。
実際に漫画を描きはじめたのはいつ頃ですか?
水上:中学生の頃は、大学ノートにシャーペンで思いつくまま適当にストーリー漫画を描いていました。それを20~30冊ぐらい描いていましたね。終わりも決めずに描いていたから、ただダラダラと長く続いていただけの漫画でした。
その作品を周りの友達に見せたりなどはしていましたか?
水上:見せたり見せなかったりしていたけど、そんなに歓迎はされていなかったと思います。
小学校の頃は皆漫画家に憧れていたけど、中学高校になってくるとそういう人は周りに誰もいなくなりました。要は自分だけ大人になりそこねちゃったんです(笑) だから自分も、周りに「俺漫画家になりたい!」とは言っていたけど、皆「ふーん」って聞き流しているだけで仲間がいたという感じではなかったです。
それでも水上先生が漫画家を目指し続けられたのはなぜなのでしょうか?
水上:とにかく二次元の中に入りたかった(笑) ずっと漫画を描いて、漫画だけの生活をやり続ければそういう感じの気持ちになれるんじゃないかなと。それでずっと一生懸命頑張ってきたんだけど、いまだに中々入れないんですよね。漫画以外に考えなきゃいけないことが沢山ありすぎて……
その願望を叶えるのは難しいですね……それでは、その学生時代に好きだった作品はどういったものがありましたか?
水上:まず小学生の頃に『魔神英雄伝ワタル』というアニメにハマり、今でもすごく影響を受けています。「ワタル」は、7階層ある山の一つ一つの階層を冒険しながら、最後にボスを倒して登っていくという話だったんですが、自分はその頃に物語といったら、ジャンプの漫画しか知らなかったので「なにか話が終わるときは打ち切り以外ない」と思っていたんです。そんな大冒険を7回も繰り返すなんて無茶だろ、途中で終わるだろと思いながら観ていたんですが、最終的にちゃんと最後の階層まで行って、ラスボスにも仲間4人で力を合わせて勝つ、という展開にものすごく熱くなったんです。
しかもラスボスを倒したあと、1話まるまるエピローグとしてとってあることにもすごく感動しました。「ワタル」を観て、俺が漫画家になったときはラスボスも順繰りにやっつけて、エンディングもたっぷり時間をかけてしっかりとやり、完膚なきまでに終わらせる!と決心しました。その影響が1番強く出たのが、『惑星のさみだれ(以下さみだれ)』のラストですね。
他にはどういった作品がお好きでしたか?
水上:漫画でいうと椎名高志先生が描いていた『GS美神 極楽大作戦!!』ですね。横島という主人公が、はじめはすごく弱いところから、物語を通してだんだんと強くなるという展開に燃えていたのが、今の作品作りに活きているのかもしれません。
それと『スレイヤーズ』などが出始めた最初期の頃のライトノベルはいろいろと読んでいました。そういった作品は、ほとんどが「一人称」なことがすごく読みやすいなと感じていました。一人称だと、それこそ物語の中に「ちゃんと入っていける」ような気がしたんです。「二次元の中に入りこみたい」という気持ちを上手く漫画で具現化するためには、とにかく一人称的に描いていき、生活に根ざした描写を重ねることでその世界の「空気感」を感じられるようにしなければと思いました。
そういう話を描きたいなと以前から思っていて、「さみだれ」ではラノベっぽくやろうと夕日君の一人称で描くことを強く意識しながら当時は描いていましたね。
以前サイトに上げられていた先生のファンアートを拝見すると、「エヴァ」以降のガイナックス作品がお好きだったように思われるのですが、いかがでしょうか。
水上:ガイナックス作品のなかで一番好きで、なおかつ影響を受けたのは『フリクリ』ですね。榎戸洋司さんの脚本と鶴巻監督の作品作りがすごく好きなんです。
先生が考える『フリクリ』の魅力とはなんですか?
水上:6話で全体の話がまとまっているのと、1話1話の満足感がすごいなと感じていました。とくに3話が1話完結の話としてすごくよくできているので1度、何分後にこのシーンがあって、起承転結の起から承まで何分かかる、というところまで計算しながら研究をしたことがあります。どのタイミングで観ている人が作品のなかに入りこめるかがすごく計算されて作られているので、アニメの中で経っている時間は数分なのに観ている方は2~3日そこにいるかのような錯覚を起こさせるんです。場面の切り替え方、時間経過の仕方で、すごく上手い時間の使い方をしていると感じていました。
『戦国妖狐』の「闇(かたわら)」であったり、読み切りシリーズの「お隣さん」などから、先生の作品で描く妖怪は「人間の隣にいる存在」といったような、共通する妖怪観が一貫して流れているように感じられるのですが、そのような考えに至ったのはどのようなきっかけがあったのでしょうか。
水上:自分は小さい頃、吠えられるのが怖くて犬が嫌いだったんです。ところがあるとき、商店街で犬を連れて歩いている人を遠くから観察していたら、犬は誰彼構わず吠えかかる訳ではないというのに気付いたんです。自分が街を歩いているときに、ほかの人が歩いているのを気にしないのと同じように、自分を含めた通行人は、犬にとっても背景みたいなものなんだと感じました。それなら自分も、あの犬という生き物を通行人のようなものだと思ってもいいんだと。
その経験が、妖怪の描き方と繋がっているのかもしれません。「もし妖怪が存在するのならいろんな妖怪がいるだろう、無害な妖怪もそこらへんに山ほどいるだろう」と考えるようになったのは、そうやって犬を人間扱いすることで、人間とは別の生き物を怖がらなくなったのがきっかけだと思います。
そのような作品や経験が、今の水上先生の作品作りの元となっているのですね。それでは、漫画家としてデビューするまでにどれくらいの作品を描いたのでしょうか?
水上:大学受験の前に1本、受験が終わったあとにたしか1~2本。大学に入ってからは3本くらい描いた記憶があります。その間もネームは沢山描いていました。
そのあと専門学校に入り直してから、課題で16P以上のものを1本描けと言われたので描いて投稿したら、それがすぐデビュー作になっちゃったという感じです(笑) 課題でちゃんと1本作品を描かせるところはあまりないらしいので、今にしてみるといい学校に入ったなと思います。
その後、連載デビューに至るまではどのような経緯なのでしょうか。
水上:自分はデビュー作が載ってから、毎月オムニバス連載みたいな形で読み切りが載り続けてしまったんです。というのも、自分がデビューした頃の『ヤングキングアワーズ』は何人かの先生が頻繁に休載されていたので(笑)、ちょうど自分の描く短編が全て代原として載ったんです 。それからそのまま読み切り掲載が途切れることなく、普通の連載もやってみないかと声をかけられ、専門学校在学中に連載デビューが決まりました。デビューするためには、そういったタイミングに左右されるところも大きいので、自分はデビューには運が1番大事だと考えていますね。
すべては物語に入りこんでもらうために……水上先生の創作術
現在作画に使っている画材や、作画行程を教えてください。
水上:輪郭線や体のメインのところはGペンで、目・鼻・口や細かいちょっとした斜線と、あとは遠景シーンの小さいキャラクターの線などは丸ペンで描きます。背景は丸ペンで描いてもらって、それからミリペンでちょっと影を入れて調整したり、気になるところを筆ペンで強調してみたり。きまぐれに筆で主線を入れるときもあります。自分は筆ペンを入れているときが1番気持ちいいですね。それが画面を汚くしている要因なんだけど、どうもそれが手癖のようで止められなくて……もうちょっと綺麗な絵を描きたいなとは思ってはいるんだけど、生理的なものなのかどうしてもああゆう絵になってしまいます。
しかし『戦国妖狐』の9巻のバトルシーンは、それこそ筆ペンで描かれているコマが多く「水上先生、このときテンション上がっているんだな」と読んでいるときに感じていました!
水上:あれはひさびさに上手く絵が入ったシーンでした。普段はそんなに絵にこだわりを持って描いている方ではないので、毎月消しゴムをかけながら「自分の絵、下手だな」と思ったり、原稿にアシスタントさんへの指示を入れながら「もっとこういう風に描けば良かった」と後悔することが多いのですが、時々そのシーンのように、良い絵が描けたなと思うときもあります。
水上先生の画面からは、「すごく読みやすい」という印象を受けることが多いのですが。
水上:絵にこだわりがない分、上手く描こうと思うよりもとにかくわかりやすく描こうと意識しています。今何が起こっているのかがわかりやすい絵の方が、話にも入りこんでもらいやすくなると思うので。わかりやすく描けば、一見つまらなさそうなアイディアでも面白く見せることができます(笑) 逆に何が起こっているかがわからないと、そもそも何が面白いことなのかもわかりにくくなってしまう。
今アワーズで掲載している『俺のまんが道(仮)』は、最終的に漫画の描き方講座にしていこうという話で始まったのですが、そのときは漫画を読みやすくするための話だけに特化して、内容を詰めこみすぎず最終的に本を出すとしたらめちゃくちゃ薄い本にしようかと考えています。「こうしたら漫画が読みやすくなる」という、ただそれ1点だけの、漫画家のなり方の本や描き方本はそうそうないと思いますので。
それは漫画家志望者には是非手元に置いておきたい本になりそうです!それでは現在カラーでどういったものを使っているのかも教えてください。
水上:カラーはデジタルです。PhotoshopとSaiを併用しています。カラーはいまだに全然慣れていないですね。デビュー前は、どうせプロになるまでカラーで描く機会はないだろうし、それよりもまずはプロにならなきゃいけないと思ってカラー絵の練習を一切やらなかったんです。なので着色は、デビューしてから慌ててちょっとずつ色を塗るようになり、それから覚えていった感じです。色に関する意識がなかったせいで、色の理想がみえてないから方向性もよくわからない。こういうところがたぶん、絵の才能がないというところなんだと思います。話作りや構成の仕方には理想が見えているのに、絵に関しては理想が見えていないから、見やすさ重視だけで頑張っているというのは自分でも感じます。
絵作りに引き続きお話作りの話を。まずはネームを切るときの手順を教えてください。
水上:最初は編集者と打ち合わせをしながら、ノートに次の話で何をやるかなどを書きだしていきます。このキャラクターが何をしたいのか・何をするつもりなのか。その後どういう展開にしたいか、そのためには今回どういった伏線を張る必要があるかといったようなことをどんどんとメモ書きしていきます。
それを元に、ファミレスに行ってノートパソコンにセリフを打ちこんでいきます。台詞組みと同時に、「4コマノート」という最初から4コマの枠線が描いてあるものがあるので、それを横向きにしてコマを2分割にし、それを1見開きだと考え小さく大体のコマ割を描いていきます。セリフの量によってコマの形や大きさが変わるし、描きたい絵、浮かんでいるシーンの目安としてちょっとコマを割ってみるんです。そうやって少しずつ構成していき、セリフを削ったりコマ割を調整しながら全体を組み立てていきます。
先生の作品といえば「熱いセリフ回し」が特徴的ですが、どのようにして練られているのでしょうか。
水上:よく聞かれるけど、特殊な思考法とか調べ物をしている訳ではないです。本当に勘というか、とにかく考え続けて思いついたことをそのとおりに描くだけです。
作家さんの中核にあるものはなんとなくできていったものなので、その人の特性についてその人自身に聞いても多分なんとなくでしか答えが返ってこないと思いますね。自分も理由はいろいろと付けられるけど、ほとんどは後付けです。自分が好きなものが好きである理由って、ほとんどないですからね。
自分でも説明しきれないものが「個性」と言えるのかもしれないですね。
それではその後はどのように作業を進められるのでしょうか?
水上:脚本ができた段階で、小さいネームを見ながら清書して人に見せます。清書するときもいらないコマを削ったり、セリフをもっと簡潔にしたりと直しながら描きます。しして、それをまずは奥さんに見せます。チェックがすごく厳しいから、いつも駄目だしされたり描き直させられたりするので、そこを調整してカミさんのOKをもらってから編集者にファックスします。そうすると大体は通ります(笑) 正直カミさんのチェックのほうが、編集者よりもずっと厳しいです……
本日は、水上先生の奥様でありアシスタントも務めていらっしゃいます蝶田じゅえるさんにも同席して頂いております。そこでお聞きしたいのですが、ネームのどういったところを注意して見られているのですか?
じゅえるさん:自分はプロの視点とかぜんぜん持っていないので、一読者のつもりになって読んだときにわかりやすいかどうか、面白いかどうかで見ています。この人ってセリフが一つ一つすごくキチッとしているから、ついつい説明が長すぎて頭に入りづらかったり、ちょっとわかりづらかったりするので、そういうところを直してもらっています。
たとえば、『戦国妖狐』の1~3巻ぐらいまでは、主人公の迅火も感じ悪いままだし、自分は正直面白さがよくわからなかったんです。なのでこの人に「申し訳ないけどどういう話なのかすごくわかりにくい」と何度も言い続けていました。
水上:……(両手で顔を覆う)
じゅえるさん:とにかく主人公をどうにかしなきゃということで、二人でいろいろと打ち合わせをした結果、主人公を交代させて第2部を始めるということになりました。
戦国妖狐の展開は、奥様のアドバイスがきっかけだったんですね!それまで2部構成にすることは?
水上:なんにも考えていませんでした(笑) 『戦国妖狐』は今までの作品とは真逆の方向ということで、先の展開を何も考えずに描いてみようと思って描きはじめたんです。そうしたら、いわれたとおりに序盤で失敗してしまって……千夜を出した時に「千夜が主人公の話とかもいつか描きたいな」という話をカミさんにしたら「今描いちゃえば?」と言われたんです。正直1部の主人公である迅火は、自分でも扱いづらいなと思っていました。それで主人公を交代させることにしてから、ようやく『戦国妖狐』のラストがみえたんです。「主人公VS主人公」、これならかっこいいじゃん、と。それからようやっと、ラストまでの構成を考え始めたところですね。
「それまでとは逆の方向」ということは、以前の作品作りにおいては設定集であったり、全体の構成をまとめたものなどがあったのでしょうか。
水上:「さみだれ」のときはきっちりと作っていました。連載デビュー作の『散人左道』のときに打ち切りにあってしまったので、急いでラストまでいかないとまた打ち切りにあってしまうと思っていて、「さみだれ」はラストから話を考え始めました。
連載が始まってからも、打ち切られる前にはラストまで行かなくとも主人公の話まではとりあえず終わらせなきゃと思い、最初から飛ばし気味で1巻は主人公の話に集中させました。それからちょっとずつ手応えを感じはじめ、キャラクターを増やしていったときにその都度キャラクターのエピソードを少しずつ入れつつも、なるべくダラダラしないようすぐ次の話に行くことを意識していました。打ち合わせをしながら毎回、1巻ごとにその巻ごとのエピソード、1冊分の構成を考えながら話を描いていましたね。
ちなみに、『惑星のさみだれ』ではタイトルそのものがラストの「とあるシーン」と結びついているのですがこれは最初から考えていたのでしょうか?
じゅえるさん:あれは私がまだ付き合っていた頃にさみだれを読み始めて、この『惑星のさみだれ』っていうタイトルだと最後はこうなるんでしょ、みたいなことを冗談で言っていたら、この人が本当にそれ使おうって言い出して(笑)
水上:構成を作っていたといっても、最初から決まっていたのは最後に主人公がヒロインに何をするかということ、最終回は1エピローグとしてたっぷり1話使うこと。本当にただそれだけだったんです。あとは途中で出てきたキャラクターそれぞれの話もちゃんと決着させるためにも、打ち合わせとかネームで思いついたことをその場のテンションでどんどんと入れていった感じです。適当に伏線ぽいシーンを入れてみたり、自分では伏線として描いたつもりのないものでも、あとで読み返したら伏線に使えるなと思って使うことは今でもよくあります。
日常・死・成長。「真っ当」な少年漫画を描き続ける理由とは
「さみだれ」の作中に「かっこいいだけじゃかっこ悪い」という台詞があります。それが端的に表しているように、先生の生み出すキャラクター達はそれぞれが自分の弱さを抱えているようなキャラ造形をしています。そのようなところからは、少年漫画として非常に「真っ当」であるように感じるのですが、いかがでしょうか。
水上:それはもう、中学高校の頃に感じていた「カッコいいものや気取ったものに対する妬み」があるのだと思います。自分が学生の頃はバスケブームとかバンドブームなどいろいろあって、もてはやされている人気者達はみな、いかにも「私は掃除や料理はしません、そんなことは誰かがやってくれます」みたいな気取り方をしていて、自分はそれを見て引いちゃったんです。「ダサい」と。
自分達の「生活感」を感じさせないことでかっこよさを演出しているというのが、気持ち悪いと思ったんです。それをいくつまでやるつもりなの、そのテンションや物言いから出るかっこよさとやらは、いつまでも保ち続けられるものなの?と。それでも彼らだって飯を作ったり、コンビニでおにぎりを買って食べないといけないじゃないですか。そういったところからですね、「かっこいいはかっこ悪い」と思うようになったのは。
また、少年漫画では主人公達の前に立ち塞がるものとして大人達が敵のように描かれることも多いですが、先生の描く大人のキャラがみなかっこいいことからも「真っ当さ」を感じます。
水上:それもたぶん人気作品への僻みです(笑) たかだか十数年しか生きていない主人公が、若いまんま最強という感じで描かれていると「お前は一体誰に育てられたんだよ」って思ってしまいます。自分が子供の頃は「10代最強!」という漫画ばかりだったのがすごく嫌でした。その主人公がひたすらかっこよく悪い奴らをやっつけていくシーンを見ていると、なんだかすごく大人のキャラクター達が馬鹿にされているような気がしました。
それに主人公がどんなにかっこいい少年だったとしても、いつかは大人にならなきゃいけないわけじゃないですか。大人になってもかっこいいままの主人公ってどんなんだろう、と考えたとき、それなら主人公の未来の姿としてかっこいいじいさんみたいなのを出しておかないと駄目だなと思ったんです。
主人公の脇を固める大人達がちゃんとかっこいいからこそ、主人公が「かっこよくなる」ことがより際立っているように感じます。
水上:大人だけじゃなく、脇役が悪く言われてしまうことが自分は苦手なんです。たとえば『ドラゴンボール』のヤムチャって読者から「弱い弱い」とネタにされるけど、それは悟空達の中では弱いだけであって、あいつ一個人の戦闘能力はものすごく高いじゃないですか。なのに皆から弱いと言われ続けているのが自分は嫌でした。だから自分の作品では、脇役のキャラクターでもしっかりと「キャラ」を立てようと思いました。少年が主人公なら大人は脇役になるので、その大人達も立てたほうが良いなと。
大人に絶望したまま、年を取るのがかっこ悪いって思っていたら、生きていられないですよね。それに自分の場合、プロの漫画家になってからやっと自分の人生が始まった気がしたんです。子供の頃は生きている気がしないというか、本当につまんない人生だと感じていました。それもあって、大人になってからのほうが絶対に楽しいなと思ったんです。お金は好きに使い道を考えられるし、何変な時間に変な物食べても誰にも怒られないし(笑) それは自分が組織人ではないからなのかもしれないけど、大人のほうが絶対良いというのは、プロになってから強く思うようになったことです。
そんな「大人と子供」もそうですが、出てくるキャラクターごとの「対比」が作中で鮮明に浮き上がることが多く、そういった点も台詞を熱くする一つだと思っているのですが。
水上:あっちであんな格好良いことを言っていたのに、こっちではそれが否定されるといったほうがキャラクターが「生きている」感じがするし、ドラマにもなりやすいので対比はあったほうが良いです。キャラクターそれぞれ考えていることが違って、その人なりの信念から「これが1番正しい」と思える思考法があるんだということは常に頭にあります。
それとキャラクターに自分を重ねすぎると、自分が好きなこと・思想をただ発表しているだけになってしまうので、なるべくカウンター的な思想は用意したほうが良いなと思っています。そしてその物語のなかで出てきた考え方のなかから、「こっちの考えが正しい」というのは出さなくて良いなと思っています。
バトル漫画である以上、勝ち負けは必ず出てくるものですが、先生の気持ちとしては「正しい方が勝った」ということではないのですね?
水上:自分は「勝負は時の運」だと強く思っているので、その瞬間勝ったからといってその人が強い訳ではないという意識で描いています。
「時の運」というものを強く感じたのは、たとえば大学受験のときです。試験日が1日目と2日目にわかれているときに、1日目はすごく調子が良くて手応えがあったので2日目は「行かなくてもいいか」と思えるぐらい気楽に受けにいったんです。それで合格発表を見にいったら、1日目は落ちていて2日目は受かっていた。それを知ったときにはゾクッとしましたね。
それから大学で入っていた日本拳法のサークルにいた師匠がいっていたのも、「勝負は時の運であり、毎日練習をするのは瞬間瞬間の運を掴むためだ」というものでした。だから、どっちが勝ったからどっちが強い・正しいというのはなるべく固定せずに考えようと思って描いています。
そのような葛藤や対立を乗り越えて、主人公達は確実に成長していきます。中々未来に展望が見えない現代において、単純な「成長物語」を描くことは中々困難だと思うのですが、水上先生は「成長」を描くことに強いこだわりはあるのでしょうか。
水上:物語が始まったのなら、最後は主人公が成長しなければ終われないと思います。最初のページと最後のページで主人公の顔付きが違わないと、その物語が存在する意味がなくなると思うので、何らかの成長は描こうと思っています。
自分が読んでいても読後感がスッキリだと良いなと思っているので、結局は自分が読みたい漫画を描いているだけだと思います。自分に何か強いこだわりがあるわけじゃない、ただ自分が好きなだけです。
アワーズにて好評連載!『スピリットサークル』
この作品の着想はどこから得られたのでしょうか?
水上:『スピリットサークル』は最初に思いついたのがラストでした。さみだれの最終回直前を描いているあたりで、『スピリットサークル』の最終回がどういう風になるかということが、ほんの瞬間だけ思いついたんです。逆にはじめの方はまったく思いついてなくて、連載直前になるまで主人公の風太とヒロインの鉱子というキャラクターはまったく考えていませんでした。最初の構想では、手塚治虫先生の『火の鳥』における我王のような、決まったキャラクターを何人か置いて、そいつらの人生をワンエピソードとして3~4話ずつでずっと描いていこうという予定でした。風太よりもルンのほうが先にイメージとしてはありました。最初はルンを、『火の鳥』の火の鳥のような大きさを持ったキャラクターにしようと思っていたんだけど、なかなか思うように動かなかったんです。
そこから現在のような形になったのはどういった経緯があったのでしょうか?
水上:連載開始直前に、編集長から「次の話はどんな感じ?」とせっつかれ、慌てて構成を考えたときにもどうしても第1話が思いつかなくて……それで結局、構成が上手くいってないのは自分がかっこつけて『火の鳥』に寄せようとしすぎたのが原因だと思ったんです。そこで急遽、全体を通しての主人公というのを作ったほうが良いと思って出したのが風太です。やっぱり最初は現代で、読者に足を付けてもらってから物語に入っていった方が良いかなと。
今後独立しているそれぞれのエピソードが連関していくのでしょうか?
水上:それは描きながら考えている感じですね。最終回のイメージと、どこかで今までの伏線を収束させていくことだけ考えていて、残りの過去生が何編になるかも考えていません。連載前に決まっていたのはエジプト編ぐらいまでで、それ以降はまったく決まっていないです。ですので、毎回割と手探りで描いています。ラストが決まっていればどうにかなるなとは思っているので、未来の自分がなんとかしてくれることを信じ(笑)、伏線は思いついたときにその都度入れるようにしています。
それでは最後に、漫画家を目指す学生の方にメッセージをお願いします!
水上:漫画家志望者に限らず、自分がどんな一生を過ごしたい考えるために、50,60代の自分を、それが無理だったら10~20年後の自分を1度想像してみるのが良いと思います。
それを踏まえたうえで、漫画家志望者にいえるのは「無理してなることはない」ということです。なんとなく「漫画家先生」というものになりたいと思っているのか、自分があと3~40年間毎日漫画を描き続ける生活をするという覚悟ができているのか、それこそ60歳の自分を思い描いてみてください。
志望者は「漫画家なんてやめとけ」とかいろんなことを周りから言われるだろうけど、それでも毎日なんとなく漫画を描いているやつがなんとなく漫画家になっていくだけです。自分も「君は漫画家に向いてない」と編集に言われたことがありますが、今更ほかのことができる気がしなくて、「漫画家を諦める」という選択肢は思いつきませんでした。だから漫画家になる奴に言うことはあまりないですね。そういう人は、ほっといても勝手になっていきますから、ただ「描け、そしてなれ」としか言えない。
むしろ漫画家になりたいという気持ちだけがなんとなくあって、漫画もたまにしか描かない、毎日漫画のことを考えている訳でもなくただぼんやりと日々を過ごしているような子のほうが後々過酷な人生を歩むかもしれないので、大事な言葉をかけてやりたいなとは、常々思っています。