見出し画像

ヒトとの対話、モノとの対話

ダイアログ・イン・ザ・ダークとは

先日、小学生の息子とダイアログ・イン・ザ・ダークに参加しました。ダイアログ・イン・ザ・ダーク(Dialog in the Dark)は、1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれたもので、これまで世界47カ国以上で開催され、900万人を超える人々が体験しました。日本では1999年11月の初開催以来、これまで24万人以上が体験しています(ダイアログ・イン・ザ・ダークホームページより)。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク
https://did.dialogue.or.jp

特別なトレーニングを積み重ねた視覚障害者がダイアログのアテンドとなり、参加者を漆黒の暗闇に案内してくれます。ホームページやパンフレットに「純度100%の暗闇」と書かれていましたが、「純度100%って…本当??」と思いながら参加しました。

いよいよ「純度100%の暗闇」へ

その日、私たちと一緒に暗闇に入ったのは、30代の女性とその母親、20代の二人連れの男性と私たち親子でした。30代の女性は、その前月に職場の人と来たことがあり、その時の体験がとても良かったので母親を誘って再び参加したということでした。

参加者は暗闇に入る前に白杖を1本渡されます。もちろん暗闇なので反射材が巻かれている白杖である必要はなく、実質的には足元を探索できる長さのものであれば何でも構わないでしょう。それはともかく、目を開けても閉じても何も見えない世界に足を踏み出した時、杖を持っていることによる大きな安心感がありました。

目が慣れても何も見えない世界 音が頼り

普段、明るいところから暗いところに移動する時、しばらくすると暗いところに目が慣れて徐々に見えるようになりますが、「純度100%の暗闇」の中では目が慣れても何も見えないので、順応したのかどうかもわからない状態でした。そしてひたすら何も見えない中を杖で足元を探りながら歩き出しました。

暗闇の中で杖は足を踏み出す助けになりましたが、どこへ向かったら良いかということの助けにはなりませんでした。自分の方向を決める手がかりは音でした。導いてくれるアテンドや他の参加者の声、その大きさや位置、人が物にぶつかる音などを手がかりに進んでいきました。

私の頭はフル回転 息子が人生で初めて触ったものは

自分がいる周辺の状況を把握するのが難しい中、公園のベンチや電車の座席と思われるところに座ったり、カフェの中で好きな飲み物や食べ物を注文してお金を払い、飲んだり食べたりしました。その場面毎において、私の頭の中は、これまでの経験の中で知っている形を思い出すのにフル回転していました。例えば、ここが電車の中なら座席はこういう並びになっているはずだから…などなど。頭の中で既知のものと照合させながら、合致した時は安堵し、合致しなかった時は不安になったり焦ったり…という繰り返しでした。

飲み物メニューにはアルコールもありました。その状況でなければ、私は迷わずアルコールを注文していたかもしれません。でも、その時はアルコールによって自分の感覚が低下するかもしれない危険性を回避しなければと思い、無難に紅茶を注文しました。届けられた紅茶の香りは馴染み深い香りで、無条件にリラックスさせてくれる効果を感じました。

いつもと違う環境の中で私は知らずのうちに緊張していましたが、息子は今まで実物を見たことがない物を触って楽しんでいました。後で話を聞くと、その体験が一番楽しかったそうです。息子が触っていたものは昔の黒電話でした。私が子どもの頃、家の電話は黒電話でダイヤルを回して電話を掛けていました。でも今の生活環境で目にすることはありません。息子は本やテレビで黒電話を見たことはあったものの、実際に触ったのはその時が初めてでした。本当に指を入れるダイヤルの穴があることに感動していました。

既知の物に触れて安堵する私と未知の物に触れてハイテンションになる息子。同じ状況に置かれても、感じるものにコントラストが生まれていました。視覚を一切使わない世界で何をどう感じるかは、きっと人によって全く違うものなのでしょう。

見えない世界の歩き方は人それぞれ

ダイアログ・イン・ザ・ダークで体験した見えない世界では、物音や人の声など、ほんの少しの手がかりであっても、一歩を踏み出すための大きな安心感に繋がりました。実際に視覚障害がある方々は、見えない世界を歩く時にさまざまな手がかりを使いながら歩いているのだろうと思います。生活背景や経験知によって使う手がかりは異なり、歩き方も人それぞれでしょう。

今回、私たちは短時間ながら見えない世界を歩きました。パンフレットに謳われていた「純度100%の暗闇」はその言葉通りでした。どれくらいの広さだったのか、どの方向に歩いていたのか…。方向感覚が優れている方なら把握できたのかもしれませんが、私も息子も全く分かりませんでした。全ての行程を終えて、わずかな光に足元が照らされた時、私たちはいつの間にか暗闇に入る前の部屋に戻っていたことを知り、大きな衝撃を受けました。

ヒトとの対話、モノとの対話

私たちの暮らしは、自分を取り巻くヒトとの対話、モノとの対話の繰り返しで成り立っています。「純度100%の暗闇」での体験は、その一つ一つがとても愛おしく感じられました。ヒトとモノとの対話を繰り返す中で五感を研ぎ澄まし、自分の感受性を高めることで世界は歩きやすくなるのかもしれません。

文:西脇友紀

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?