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■酩酊と幻惑ロック 番外編 第3回「メタルな俺とパンクス友人の感性の違い【杉本】」

第1回「私のドゥーム入門 その1 【杉本】」
第2回「ドゥーム/ストーナー/スラッジ入門 : あえての変化球 【加藤】」

こんにちは。加藤隆雅君とリレー形式で送るプレイガイド「酩酊と幻惑ロック 番外編」の第3回です。

第1回で「私のドゥーム入門 その1」と題し、今回は「その2」をやる予定だったのですが、少し方向転換することにしました。本連載を通して「私的なドゥーム体験」について綴ることは私の回の共通事項とし、各回では「私的なドゥーム体験」のなかでもひとつのテーマに沿って話題を掘り下げてみようと思いました。

というわけで今回のテーマは「メタルな俺とパンクス友人の感性の違い」です。大上段に構えたテーマ設定ですが、あくまで「俺」と「友人」の間に限った話ですので、世の一般のメタルヘッズとパンクスすべてに通じる話でないことは、あらかじめお含みおきください。

■Black Widow "Come To The Sabbat"(『Sacrifice』1970年より)

大学時代、〝Vintage and Evil〟な音源を掘っていたときに購入したのがこのアルバム。当時、各々が見つけた音源を仲間内で聴かせ合うのがならわしになっていたので、ハードコア・パンク系からブラックメタルなどを経て70’カルトハードの世界に足を踏み入れていた友人に見出しの曲を聴かせたところ、「コケオドシで物足りない」と一蹴されました。そこにメタルヘッズとハードコアパンクスの感性の差が出ていたのではないかと『酩酊と幻惑ロック』に書いたのですが、それがどういうことなのか、もう少し踏み込んでみたいと思います。

私は第1回に記した通り、Deep PurpleやJudas Priestからロックの世界に入った王道のハードロック少年タイプで、その後様々なサブジャンルを通過するも、大学入学までは基本的にいわゆる「HM/HR」の範疇から出ない音楽の聴き方をしていました。それにより、Bruce DickinsonやRonnie James Dioのようにヴォーカリストが仰々しい歌い方をすることに違和感をもたない美的感覚が培われましたし、Helloweenなどのメロディック・スピードメタル系、Yngwie Malmsteenなどの様式美系、RhapsodyやCradle Of Filthといったシンフォニック系ももちろん通りましたので、「シアトリカルで回りくどくてクサい音楽」を違和感なく受け入れる感性が自然と養われていたのだと思います。でもその感覚って、HM/HRの世界の外に出ると、決して一般的じゃないんですよね。

かたや友人の彼は、ハードコア・パンクのなかでもDischargeなどのD-Beat系やクラスト系、日本の(80年代の)メタルコアなどを好むタイプで、そこから趣味がブラックメタルや電子音楽系にも波及していたことに鑑みれば、「冷徹でミニマルで無機質」であることが琴線に触れるポイントになっていたのではないでしょうか。だからBlack Sabbathでも80年代以降の様式美路線はダメで徹底的に70年代のリフロック至上主義だし、BudgieやBangやCactusは聴いてもDeep PurpleやUriah HeepやQueenはピンとこないという、普通のハードロックファンからすれば「何を選り好みしているのか」という感じですが、本人のなかには確固たる評価基準があって各バンドを聴き分けていたに違いないのです。

その前提に立脚したうえで“Come To The Sabbat”に立ち戻ってみれば、この曲はとても「シアトリカルで回りくどくてクサ」くて、メタル者には良くてもそこが彼にとってはむしろ苦手なポイントだし、「冷徹でミニマルで無機質」かといえば少しミニマルだけれどその他の要素は薄いというわけで、彼が気に入らないのも当然なのでした。


■Victor Griffin "Never Surrender"(『Late For An Early Grave』2005年より)

上記の”Come To The Sabbat”が刺さらなかった友人が見つけて聴かせてくれたのが、こちらの音源でした。元Pentagramのギタリストによるソロアルバムです。Pentagramの1stは仲間内でマスターピースとなっていたので、メンバーのソロ活動を辿っていくことも当然ではありますが、Motörheadフリークの友人はパンクス的な革ジャン趣味から転じてバイカー的な革ジャン趣味にも足を踏み入れていましたから、このアルバムのジャケットにはとくに強く惹かれるものがあったのでしょう。

Pentagram時代から感じられたシンプルなリフ一発で黙らせるゴリ押しの説得力を、Motörheadにも通じるキャッチーさでドライブさせたコンパクトな楽曲が並ぶこのアルバムは、友人も私も共通して気に入るところとなりました。やっぱりメタルとパンクのハブはMotörhead(とBlack Sabbath)に違いないですね。

見出しの“Never Surrender”という曲は、メロコアか青春パンクかという明るいメロディを乗せて軽やかに疾走するポップなナンバー。普段メタルやハードコア・パンクばかり聴いていると、たまに耳にするこうした曲が凄く新鮮に感じます。

ちなみに、本稿に登場した「友人」が好んで聴いていたハードロック系の曲でパッと思い出せるのは下記のような楽曲群です。

■Pentagram ”Relentless”(『Pentagram』1985年より)
⇒この曲、リフが大変にミニマルで、「友人」の感性を象徴していると思います。
■Budgie ”In For The Kill”(『In For The Kill』1974年より)
■Demon Pact “Raiders”(『Eaten Alive』1981年より)
■Cactus ”Parchman Farm”(『Cactus』1970年より)

その他、「友人」がよく聴いていたハードロック(系の)バンドはBolder Damn、Carmen Maki & Blues Creation、Sir Lord Baltimore、Gun、Witchfinder General、Pagan Altarなど。

今回書いたように、今現在聴いている音楽が偶然同じような分野の人同士であっても、ルーツが異なると琴線に触れるポイントも異なってくるというのは興味深いです。
加藤君はLinkin Parkとかのニューメタルからこっちの世界に足を踏み入れてますから、彼と私の感性も当然異なります。その辺の微妙な違いも、『酩酊と幻惑ロック』から感じ取ってもらえたら嬉しいですね。

■杉本憲史(すぎもと・のりひと)
1986年生まれ。NightwingsWitchslaughtでギター&ヴォーカルを担当。編著書に『酩酊と幻惑ロック』(東京キララ社)、『Vintage and Evil』(オルタナパブリッシング)。『酩酊と幻惑ロック』の監修・著者である加藤隆雅とウェブメディア「Tranquilized Magazine」を共同運営。出版業界専門紙「新文化」記者。

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