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映画『ラストエンペラー』操られる憤りとそこに漂う安心感

歴史映画好きならこの作品を観たことがない人はいない、もっと言うと
この作品から歴史映画が好きになった人が多い作品と言えるのではないだろうか。

本作は、イタリア映画の巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督が、中国清王朝のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀の皇帝即位から老後までを描いた作品である。

テクノロジーの発展による時代の流れの速さのそれとは比べ物にならない、社会の変化がある時代に、否応無しに立場の変化に順応しなければならない溥儀。
しかし彼の皇帝即位は数え年3歳。
皇帝以外の生き方を知らない溥儀には社会や立場の変化に追いつく難しさがあった。


端的にこの映画の面白いところを挙げるならば、
・社会や人との関わりによる溥儀の内面の頑固さと変化
・歴史と文化の発見
・映像と音楽の世界観
この3点に魅入ってしまう。

時の権力者、西太后に指名され溥儀は皇帝となる。

切ないのは、溥儀が父親に紫禁城に連れてこられて、非日常を楽しんではいるものの、時折「おうちに帰ろう」と言うシーンである。皇帝として、もうそこを出ることは許されないのだが本人は自分の”家”だとは全く思ってはいない。

服を着ることから用を足すことお風呂に入ること、宦官たちが身の回りの世話を全て行う中で、一人の宦官が幼い溥儀に「あなたは何をしてもいいのです」と教える。
「ほんとに?」と親に躾をされている子供そのものの純真な心で投げかけるが当然のように「もちろんです」と返答される。
この時の溥儀にはやっていいことといけないことの分別があった。

紫禁城の外の世界を知る弟溥傑に溥儀はもう皇帝ではないことを告げられ、事実を教えなかった周囲の大人たちに憤るところから物語は展開していく。

辛亥革命後も清室優待条件により良いか悪いか紫禁城に住み続けられたが、青年期に起きた北京政変で急に城の外の世界へ出される怖さは言うまでもない。

ラストエンペラー溥儀はその恐怖とどう対峙していくのか。


映画を観終わっている方はこちらの記事をぜひ読んでほしい。
こちらの記事は、映画を観終わった高揚感を文章で包み込んでくれる。
私は読みながら情景が次々に浮かび監督の気持ちを汲んだ文章に感動した。

ラストエンペラー鑑賞後、感想を記事にする前にすでにnoteで出ている記事と類似しては読者としても面白くないだろうと思い、ラストエンペラーで引っかかる記事全てに目を通した。
その中の一つであるこちらの記事だけは他の記事を読んでは戻り、何度も帰って来たくなる文章だった。
そして映画の総括という点でこちらの記事以上に書くことはないと思い、あらすじのようにまとめたという経緯がある。

こちらの記事を読めばきっと、鑑賞談義を一緒にする仲間ができた気持ちになれるだろう。


おのうはんとパストラーレ様
記事を紹介させていただきありがとうございます!


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