仕事とは思えないものは何か?
ポール・グレアム(Paul Graham)が執筆したエッセー「What Doesn't Seem Like Work?」の日本語訳になります。
2015年1月
私の父は数学者である。私の子供時代のほとんどにおいて、彼はウェスティングハウス社で働き、原子炉をモデル化した。
彼は早期に自分が何をしたいのか知るラッキーな人たちの1人であった。あなたが彼と彼の子供時代について話すと、彼が「数学に興味を持った。」12歳頃に明らかな分岐点がある。
彼は小さなウェールズの海岸の町プスヘリ(Pwllheli)で育った。私たちが Google Street View 上で学校への歩き方をたどると、彼はこの国で成長して良かったと言った。
「15歳ぐらいになったとき、退屈しなかったの?」と私は聞いた。
「いいや、その時までには私は数学に興味があった。」と彼は言った。
別の会話で、彼は本当に好きなのは問題を解決することだと私に言った。私にとって、数学の教科書の各章の終わりにある練習問題は仕事、またはせいぜいその章で学んだことを強固にする方法であった。彼にとって問題は報酬であったのだ。各章のテキストは問題を解決するのに関する単なるアドバイス。彼は新しい教科書を手に入れるとすぐに全ての問題を解いたが、クラスは徐々にその本を学習することになっていたので、少し先生にとっては頭痛の種であったと彼は言った。
自分が何に取り組みたいのかかなり早期に、または確実に知る人たちは少ない。しかし、私の父と話すことで私は残りの私たちが使える発見的問題解決法に気づいた。もし他の人たちにとって仕事のように思えるものがあなたにとって仕事のように思えないのなら、それはあなたによく合ったものである。たとえば、私を含め私の知る多くのプログラマーは実はデバックするのが好きだ。これは人びとがボランティアする傾向があるものではなく、人が飛び出すにきびが好きであるように、プログラマーはデバックが好きなのである。しかし、プログラミングが好きになるためには、プログラミングがデバックに属する度合いを考慮しながら、あなたはデバックを好きにならなければいけないかもしれない。
あなたの見識が他の人にとって奇妙であるほど、それはおそらくあなたが何をすべきかという強い証拠となる。私が大学にいたとき、私は友達のためにレポートを書いていた。自分の取っていない授業のレポートを書くことはかなり面白かった。その上、彼らはいつもホッと安心していた。
同じタスクがある人には苦痛で、ある人には喜びとなるのは興味深いように思えたが、この不釣り合いが何を意味するのか当時は気づかなかった。なぜなら、私はその意味を探していなかったからだ。何に取り組むべきか決めることがどれほど難しいかということ、そして、ミステリー小説の中で探偵が問題を解決するように、あなたはときどきわずかな手がかりからそれを見つけ出さなければならないということを理解していなかった。だから、私は多くの人たちが自分自身にこのことを明確に聞くことがきっと役立つと断言する。あなたにとって仕事と思えないもので他の人たちにとって仕事のように思えるものは何か?
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