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息子に見せたい私の背中

子育ての伝統は、母から娘に引き継がれるのか。

これには賛否両論がありそう。

母からもらった愛を自分の子に注ぎたいと思う人もいれば、母のような子育てはしたくないと思う人もいるだろう。

息子と向き合っていると、母の好きだった姿も、嫌いだった姿も、忘れていた記憶が蘇ってくる時がある。

共通して言えることは、私は恵まれていたということ。

幼少期から家を出て独立するまで、私の親の人生は平坦ではなかったけど、どんな環境でも、私は愛されていたしその愛を受け続けられていたから、私は恵まれていたと思う。

母の人生と引き換えに、私の人生を頂いた

母は私に厳しかった。

物心ついた頃から常に言われ続けていたことは、
「専門職に就きなさい。女性が働き続けるためには、専門性が必要よ」

私がちょっと怠けてゲームばかりしていたり、結果が出るまで努力していない姿を見せたりしたら、愛のムチが容赦なく飛んできた。

母が私に自己犠牲について直接触れたことはことはない。

でも、幼い頃、私は母の人生の引き換えに、自分の人生を頂いたと感じていた。

何気なく漏らした「あなたができたタイミングで仕事を辞めた」というつぶやきと、女性として社会で成功して欲しい気持ちから来る私への厳しさ、その二つから、母の悔しさが感じ取れた。

あの時代は、女性が結婚して子供を産んだら仕事を辞めるのが普通だった時代だったと思う。

仕事を続けたくても手段がなかったし、周りのサポートも得られなかったのだろう。

日本では今でも、女性が結婚を機に仕事を辞めることや、女性が出産を機に仕事を辞めることを「寿退社」という。

私はこの言葉にずっと違和感を感じてる。

確かにおめでたいことだけれど、その選択をした全ての女性は幸せなんだろうか。

少なくとも母はそういう風には見えなかった。

母が私に見せてくれた背中

母が専業主婦だった記憶はあまりない。

父はIMF危機の時、働いていた大手企業を辞め、ベンチャー企業に転職した。それから、元同僚と一緒に会社を立ち上げた。

父が選んだ道、起業は華やかなものではなかった。
家族を巻き込んだ険しい道だった。

あの頃、事業が軌道に乗るまで、我が家の家計を支えていたのは母だった。

手に職となるスキルがなく、小さい2人の子持ちである母がどんな仕事をしていたかは想像できる。

本当に苦労したと思うし、その苦労を一番近くで見ていた。

それでも母は、絶えず努力し、チャレンジしていた。

毎朝4時に起き、新聞を読み、私たちの朝ごはんを準備しては誰よりも早く仕事に出かけた。我が家で一番多く本を読み勉強する人でもあった。

父の事業が落ち着いてきた頃には、自分のお店を持つことにも挑戦した。
母のお店は私の自慢だった。

今も母が老後のためにできることをコツコツと頑張っていることを私は知っている。

私はそんな母の背中を見て育った。

息子に見せたい私の背中

1歳になった息子に私はどのように映るのだろう。
そして、私は今後彼にどのような母でありたいのだろう。

母になってみて分かったこと、それは子供にはあまり多くを望まないという親の気持ちだった。

健康で幸せな人生を歩んでくれるのであれば、それで十分だ。

そのためなら何でもする。

それから、私が息子に絶対思って欲しくないことがある。

それは、「母は私のせいで自分の人生を犠牲した」ということ。

母の愛=母の人生の犠牲
という図を、私の代で終わりにしたい。

そのためには、誰でもない私が一番努力しなければならないだろう。

彼のために全てを犠牲した母ではなく、自分の人生を一生懸命生きながら僕に愛を注いでくれた自慢の母でありたい。

彼に話してあげたい、学んで欲しい、知って欲しい全てを、自ら率先して行動し、背中を見せる母でありたい。

私が勉強していないのに、勉強しなさいとは言わない。
私が読書していないのに、読書しなさいとは言わない。
私が人に優しくしていないのに、人に優しくしなさいとは言わない。
私がチャレンジしていないのに、チャレンジしてとは言わない。

それだと説得力がないからね。

彼が冒険からいつでも帰って来れる温かい場所であり、彼が助言を求めた時は先輩として支えてあげられるそんな母でありたい。

それが、息子に見せたい私の背中だ。

私の母が見せてくれたように。

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