見出し画像

東京はるかに について(new)

 東京はるかにとは、舞台と生活を連続的に生きるための場所です。わたし植村朔也を主宰として、匿名的かつゲリラ的な批評と、柔軟な姿勢での上演行為を、連続的な仕方で実践していきます。

 わたしが2019年の秋に結成した東京はるかには2020年の4月以降、実質的にほとんどその活動を停止していました。スペースノットブランクや小田尚稔さんの舞台のイントロダクションや批評を掲載することはありましたが、あくまで主宰の植村朔也個人が文章を発表するプラットフォームとして東京はるかにを選択したにとどまっていたのです。
 もともと東京はるかにの活動の軸は、野外における「静かな演劇」の上演と、批評主体を曖昧化した匿名性の強いゲリラ的な批評にありました。しかし、ソーシャル・ディスタンスによって前者を基礎づけていた観客との至近距離という前提条件が崩れ、また団体内の複数人で観劇を行うことも憚られたのです。批評については劇場に置かれるチラシを主要なメディアとすることを目論んでいたのですが、時勢柄そのことも難しくなってしまいました。

 しかし長い沈黙期間の中で、自分の演劇観はしだいに形をとってきました。また、どうやら自分が演劇に関わり続けたいこと、演劇を介して人と関わり続けたいことは確からしいと、わかってきました。
 改めて、東京はるかにを再度動かし始めることにします。最低でも隔週のペースで、植村ひとりに必ずしもよらない批評を実践していきます。2021年3月には三鷹SCOOLで舞台の上演を試みます。また、具体的な時期は定かではありませんが、この春にはオンライン演劇の連作を発表するつもりです。

 東京はるかにの核にあるのは、舞台と生活とを連続的に扱う発想です。より具体的にいえば、職業として演劇人を選択することなくいかにして生活者として演劇に携わりうるかを模索する場所が、東京はるかになのです。ですから、批評や演技の腕を磨くことをしたとしても、あくまでわたしたちはDIYの精神、アマチュア演劇の精神に意図的に立ち止まり続けます。

 結成当時に書いた「東京はるかに について」は、現在の眼で見返すと、ずいぶん視野の狭く尊大な文章を書いてしまったものだなと思います。
 批評については、あくまで具体的な一個人として批評を行い敬称と敬語を原則的に欠かさない姿勢、アーカイブとしての性格を重視する姿勢、衒学的な記述を回避する姿勢を大事にします。その一方で、小劇場演劇のインテリや業界人に閉じた閉鎖性については、現在のわたしはこれをいくらかポジティヴに捉える立場にあります。したがって、小劇場演劇の観客層を拡大し厚くしようという以前の宣教師的な態度については必ずしも採用しません。それよりは、斜陽に突入してなお営まれる小劇場での営為をより健全な仕方で活性化することを、微力ながらに目指していきたいです。「劇場と市街の接続」ということは、もはやわたしにとって問題ではなくなりました。
 実作について言えば、「東京はるかに について」では創作を野外劇に限ること、その帰結として戯曲の短さと声の小ささをわたしたちの作品の成立条件として設定していましたが、これらは撤回します。一方で、舞台が消費活動に組み込まれることへの批評性、俳優の演技を「商品」化することへの疑念と、団体内外の権力構造の取り扱いへの注意――これらのスタンスは、今後の活動においても維持していきます。また、演劇というジャンルが持つ一回性と循環性、閉鎖性と解放性、祝祭性と日常性、虚構性と現実性への目配りを欠かすこともしません。
 東京はるかには批評と上演をともに行いますが、両者は不可分です。批評で展開された考えは上演を支え、上演の際に得られた知見は批評の眼を織りなすからです。

 2020年、わたしは「リレーショナル・シアター」と「モダニズムの演劇」という、二つの概念を考案するに至りました。これらは今後の東京はるかにのキーとなるでしょう。それらの具体的な内容については今後の批評活動を通じて紹介し、また創作を通じてかたちにしていきたいと思います。

 演劇に対する考えは、常に柔軟に保っておきたいものです。ここに書き改めた宣言も、やはりまた撤回することがあるかもしれません。しかしいずれにしても、自分にとって自然なスタイルで、生活者としての演劇を継続的に、ていねいに実践していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

2021年2月4日 植村朔也

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?