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昭和のぼっちは令和もぼっち

 アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」を観始めた。

 例えば同じようなジャンルのアニメで「けいおん!」というのが前に流行ったが、あれはタイトル通り軽音学部の話で、私はそういうサークル的なノリが苦手で、全く惹かれなかった。というかそもそも、アニメは子供が観るものだと思っており、従って普段アニメを観る習慣がない。その点に関しては、私はひどく古い価値観の持ち主だ。
 なのに何故、ぼっち・ざ・ろっく、略してぼざろ、を観始めたのか、正直よくわからない。離婚してから暫く会っていなかった娘たちと最近会い始めていて、下の子がアニメとか好きなことや、上の子がバンドをやっていることが関係しているのかも知れない。私自身ロック音楽好きではあるし、主人公がぼっち、という設定になんとなく惹かれたのかも知れない。
 いざ観始めると、頑張る主人公が自分の娘らと被るのか、つい親目線でうるうるしてしまう瞬間などある。歳である。

 前置きが長くなった。今回のテーマは「ぼっち」についてである。ぼっち、という言葉が使われ出したのはいつだろう。今となってははっきりしないが、比較的最近であろうことは間違いない。とはいえ、私のような五十代のおじさんにとっては平成の頭くらいまでは「最近」なので、もう二十年くらいは使われてる言葉なのかも知れない。
 しかし、そんな新しい言葉である「ぼっち」のニュアンスも変わってきていて、冒頭のぼざろ然り、ぼっち=陰キャ、のニュアンスが最近は強まっているように感じられて仕方ない。

 私は幼少時、保育園や幼稚園に通っていなかった。理由は知らない。母が元気なうちに聞いておこう。とにかく、小学校に入学するまで、部屋で一人で過ごすことが多かった。家の中、隣の部屋などに大人がいたのかどうか、誰がいたのか、それすらもはっきりしない。
 住んでいたアパートの隣に、エミ美容室という美容室があって、そこにはみきちゃんがいた。アパートの下の階は公明党議員の浅野さんがいて、そこにはほっちゃんがいた。その隣の部屋には自分より小さいゆかちゃんがいた。大家さんの家にも娘がいた。という具合に、何故か周りは女の子だらけで、一緒に遊ぶ男の子が少なかったせいもある。女の子らとゴム飛びをしたり、鬼ごっこをしたりした記憶があるが、何せ女の子と遊ぶのは、つまらなかった。
 道路を渡った向こうに住んでいた、二つ上のけんじくんと時々は遊んだ。ただけんじくんは乱暴だったし、時々おもちゃを取られた。それも嫌だったので、一人で遊ぶのが当たり前になった。レゴで何かを作ったり、西洋紙にマンガを描いたり。それが普通で、寂しくもなかった。

 小学校に入学して、初めて集団生活というものを経験した。入学式、そしてその後の半月ほどは子供心に胃が痛かった。物凄いプレッシャーだった。しかし人付き合いに慣れてはいなかったが嫌いだったわけではなかったし、マンガが上手かったのもあって、友達が出来るのにさほど時間はかからなかった。
 ところが小学校に入ってからも、改めて考えると一人で行動する事が随分多かったのである。お駄賃をもらえば、一人自転車で駄菓子屋に向かい、ロボダッチシリーズのプラモを買って帰って作った。近所のいもと商店に、マンガを描くための西洋紙をよく買いに行った。姉のレコードを引っ張り出して、一人でレコードプレーヤーの前に座って聴いていた。 
 そもそも、そんな風に一人で過ごしていた時間が多かったことを、最近まで忘れていた。小学校に上がる前、家で過ごしていた期間はさておき、小学校に上がってからは、普通に友達と遊んでいた思い出が沢山あるからだ。
 だがよくよく思い返すと、何故この時一人だったのだろう、という場面も沢山あることに、最近気がつき始めた。

 最近でこそ全く見ないが、昭和五十年代あたりはまだ、街に野良犬がうろうろしていた。野良犬は野良猫と違い、噛み付いてきたりもするし、狂犬病というものもあったから、少なくとも子供の私には恐ろしい存在であった。そんな野良犬を捕まえて周る保健所の車もよく街を走っていた。
 ある日自分は、日も暮れ始めた夕方に、滑り台の上にずっといた。何故かというと、帰ろうとした時に、滑り台の下に野良犬が現れて、私の方を見て唸っているため、降りられなくなったのだ。だんだん暗くなってくるし、犬はずっと唸っているし、何とか野良犬を追い払う方法がないかとずっと悩んでいた。然るのちに、野良犬も唸り疲れたか、すっといなくなり、姿が見えなくなったのをしっかりと確かめ、大慌てで帰った記憶がある。結局この時も、公園に行ったところから帰るまで、一人だったのだ。
 それから、自転車で細い路地を走っていた時に、チンピラの車に幅寄せされて因縁をつけられ、家まで着いてこられた事もあった。この時も恐らく、駄菓子屋に一人で行っていて、その帰り道の出来事であったのだ。
 一人で廃工場の屋根に登って遊んでいた記憶もある。三つ子の魂百までで、その性格が完全に今も変わっていない。離婚して一人になってからは余計に、全くその頃と同じような過ごし方をしている、気がする。

 集団生活は、自分としては苦手には感じないのだが、他人の目からは、私はもしかしたら随分自分勝手に見えるのかなと、今更ながら感じることが多々ある。複数人で何処かに行っても、割と勝手に自分の好きな方に歩いて行ってしまったりする事があるからだ。
 基本的に、自分もそうであるように、他人も自由にしてもらって構わない、という根本の思想があるのだが、よくよく考えたらそうでない人の目線には自分勝手だな、めんどくさいな、疲れるなと、映るかも知れない。
 これこそ、ぼっちのメンタリティなのだが、言い換えれば個を重視するメンタリティだとも思っている。そしてその捉え方で言うと、隠キャというカテゴライズは全く合致しない。
 と言いつつ過去に、私のキャラクターについて、他人から「暗い」と評された経験は何度かあって、自己評価はさておいて、見る人から見たら私も立派な隠キャなのかも知れない。その辺の話になってくるとそもそも「暗い」の定義・捉え方から他人と違うようにも思え、話は泥沼になるので、この辺にしておこう。

 とにかく私は「昭和のぼっち」だったのであり、そのまま今「令和のぼっち」でもある。今も昔も大して、生きづらさは感じていない。

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